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「究極の鍛錬」1万時間だけで超一流になれない理由

 才能の正体に迫り、ハイパフォーマンスを上げる人たちに共通する要素――「究極の鍛錬」――があることをつきとめた『新版 究極の鍛錬』

 誰でも一流の人になれる「究極の鍛錬」の要素とは以下の通り。

①しばしば教師の手を借り、実績向上のため特別に考案されている。
②その鍛錬は練習者の限界を超えているのだがはるかに超えているわけではない。
③何度も繰り返すことができる。
④結果に関し継続的にフィードバックを受けることができる。
⑤チェスやビジネスのように純粋に知的な活動であるか、スポーツのように主に肉体的な活動であるかにかかわらず、精神的にはとてもつらい。しかも、
⑥あまりおもしろくもない。

 ただ、「この通りにやれば、本当に成功するのか?」「何らかの才能に秀でている人は、そうはいっても生まれつきの遺伝や環境の要素が大きいのでは?」「どれぐらいの時間を費やせばいいか?」などの疑問は出てきそうです。

 本書が導き出した答えは?

『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版) ジェフ・コルヴァン
『新版 究極の鍛錬』

・究極の鍛錬だけなのだろうか?

 究極の鍛錬のみで高い業績を十分説明できるのだろうか。究極の鍛錬を2倍以上行えば、行わなかった人に比べて2倍成功するのだろうか。こうした類いの質問に対しては明らかにノーと言わねばならない。究極の鍛錬で業績のすべてが説明できるわけではない。現実の人生はすべて説明し尽くそうとするにはあまりにも複雑だ。

「コヘレトの言葉(旧約聖書の伝道の書)」にもあるように私たちの人生は身に降りかかる運、タイミング、偶然に影響を受けている。もっとも努力している者がもっとも幸運に思えるのはよくあることだが、それでも車を運転して橋を渡ろうとしたときにその橋が落ちてしまう可能性もあり、こうしたことはいかんともしがたい。

 もっと日常的ではあるがより重要なことに、子ども時代の環境が究極の鍛錬を行うのに強烈な影響を与える可能性がある。タイガー・ウッズは絵に描いたように究極の鍛錬の原則が用いられた例ではあるが、そうした機会を与えられたタイガーは驚くほど幸運だったといえる。この点でいえば、タイガー・ウッズになれない本当の理由は、アール・ウッズがあなたの父親ではないからだといってもけっしておかしくはないだろう。

 しかし、そうした環境はとくに若いころは、自分ではコントロールできない要素だ。

単なる幸運以上に、年齢に伴う肉体的変化は不可避だ。究極の鍛錬を通じ、多くの人が考えるよりもずっと長期間にわたり人間は高いレベルで、能力を発揮することができる。しかし、結局はみな死ぬ運命にあり、能力は衰えていく。この事実は、意外に重要かもしれない。

 仮に生涯、究極の鍛錬を続けるとすれば、鍛錬の総時間は一生涯でみればけっして減少することはない。もし究極の鍛錬に費やす総時間が能力に与える唯一の要因ならば、鍛錬を積んでいればけっして能力が落ちることはないことになってしまう。

 しかし、たとえ習熟した年齢になっても、結局は誰もが能力が衰えてくるのだから、コントロールできない外部要因が自分たちの能力に影響を与えている可能性はある。この点については後にもっと掘り下げて再度検討することにしよう。

 加えて、幅広い研究成果でみれば究極の鍛錬の量とともに能力は向上していくように思えるが、両者の関係はすべてのケースにおいて単純でも直接的でもない。行う人によって練習には質的な違いが生じる。こうした質的な差は多くの場合、教師、コーチ、メンターの差から生じてくる。鍛錬は考案されるものなので、結果には良し悪しがありうるからだ。

 究極の鍛錬がたとえどのようにうまく設計されても、結果に影響を与えるもう一つの重要な要素は、どれだけ鍛錬に努力をつぎ込むかということだ。楽器演奏、スポーツなど何かで上達しようと究極の鍛錬を行う。

 ぴりっと引き締まり、集中力にあふれ、すごく頑張れるときもあれば、疲れて気が入らず、ただ体だけを動かしていることもあるだろう。練習の熱心さを計測することは難しいかもしれないが、明らかに重要なことだ。

 ボイストレーニングは、楽しくストレスの解消になるとアマチュアの声楽家は感じているのに、プロの声楽家は厳しくかつ難しい努力が求められると感じることが、声楽家を対象とした研究で明らかにされている。傍目(はため)には両者は同じことをやっているにもかかわらず、内面ではまったく異なる反応が起こっている。このことが重要なのだ。

 一般向けの書籍や記事は究極の鍛錬をひどく誤って伝えており、多くの人がそれについて話すときにさらに歪曲してしまうため、これらの要素をすべて覚えておくことはきわめて重要である。誤解の主な原因は、マルコム・グラッドウェルの大人気著書『天才!(Outliers)』(講談社)であり、その中には 「一万時間の法則」という章がある。

 この言葉は、エリクソンらによるベルリンでの研究に由来するもので、トップクラスのバイオリニストは、20歳になるまでに平均約一万時間の意図的な練習を積み重ねていることが判明した。 

 ビートルズなどに関するグラッドウェルの見事な語り口から、多くの読者は、一万時間練習さえすれば、あるいは「一万時間やるだけで、ほとんど何でも世界クラスの偉人になれると結論づけた。一万時間を費やす」というコンセプトを口にすれば、誰もが知っているように頷くだろう。

 残念ながら、これはすべて的外れだ。「一万時間の法則」など存在しない。一万時間には何の不思議もない。この数字は、たまたま20歳の一流のバイオリニストの究極の鍛錬の時間の平均合計だったが、その年齢にはとくに意味はない。

 彼らはその年齢でプロとしてのキャリアをスタートさせようとしていたにすぎない。30歳までに彼らははるかに多くの時間を積み重ね、一般的には40代、50代、そしてそれ以降も上達を続けるだろう。世界最高のバイオリニストの一人になるために一万時間以上のじっくりとした練習が必要なのはほぼ間違いない。また、20歳の時の一万時間はあくまで平均であり、もっと練習した生徒もいれば、もっと少ない生徒もいる。

 それでも膨大な時間だが、バイオリン演奏は、長い歴史の中熾烈(しれつ)な国際競争が繰り広げられてきた分野であることを忘れてはならない。あなたの分野もそうだろうか? たしかにそうかもしれない。

 しかし、もしあなたの分野がまだ生まれたばかりであったり、競争がまだほとんどローカルなものであったりするならば、あなたは少ない練習時間で一流の演奏家になれるかもしれない(しかし、おそらく競争相手よりもはるかに多くの練習時間をこなさなければならないだろう)。魔法の数字などないのだ。

 グラッドウェルの「一万時間の法則」がより問題となるのは、それについて話したり書いたりする多くの人々によってさらに複雑化されているだけでなく、偉大なパフォーマンスにつながる行動に関して明らかに間違っているからだ。

 これまでみてきたように、究極の鍛錬という行動は非常に具体的に定義されている。それは一般的な練習ではないし、単に仕事をこなすことでもない。しかしグラッドウェルは、ビートルズが演奏に費やした時間や、マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツやサン・マイクロシステムズの共同創業者ビル・ジョイがプログラミングに費やした時間について説明することで、彼の主張の正当性を展開している。

 たとえばジョイは、広く影響を与えるようなソフトウエアのプログラムを書くまでに、約1万時間をプログラミングに費やしたという。問題は、ビートルズやゲイツやジョイがやっていたことは、究極の鍛錬の基準を満たしているかは明らかでないということだ。

 だからといって、究極の鍛錬が彼らの成功に重要でなかったとか、彼らがとてつもない努力をしなかったということだろうか? そうではない。というのも、彼らが究極の鍛錬を何時間行ったのか、誰も見当がつかないからだ。1万時間より少なかったかもしれないし、もっと多かったかもしれない。それは問題ではない。 なぜなら、一万時間やその他の特定の時間数に魔法の力はないからだ。

 今度「偉大になるためには何が必要か」という話になったときに思い出してほしい。このトピックについて意見を述べたり、「一万時間の法則」について聞いたりする人のほとんどは、究極の鍛錬とは何かを知らず、その重要な役割を理解していない。しかし、あなたにはわかる。

 達人になるための究極の鍛錬の重要性は、もう一つの問題を提起する。

・いったいどういう人が究極の鍛錬をやろうとするのか?

 究極の鍛錬はとてもきつく、それ自体すぐには結果に結びつくことはない。何年にもわたり何千時間もつぎ込まないかぎり高い成果に結びつかないことを考えると、なぜほとんどの人がやろうとしないのに、一部の人はやろうとするのかという疑問がわいてくる。

 とてつもなく高い能力への道が明らかなのに、なぜほんの一握りの人だけがその道を選択するのだろうか。これはとても深い問いかけだ。

・遺伝で説明できる可能性はあるのだろうか?

 究極の鍛錬の全体像が完全な形で明らかにされたことで、多くの人が能力は生まれつきか後天的かの論争をするようになり、究極の鍛錬を支持する者と天賦の才を支持する者とが相対峙(あいたいじ)することとなった。

 しかし、究極の鍛錬の枠組みを支持する者でも、高い能力において遺伝の果たす役割を否定してきたわけではないことは大切なことだ。能力が生まれつきであることを証明する特定の遺伝子が、これまで発見されていないという立場であるだけなのだ。

 もちろん、「ずば抜けた能力をもつオーボエ奏者や飛行機のパイロットやセールスパーソンになれる遺伝子を発見しようとする試み」も、逆に「こうした分野の能力を制約する遺伝子を発見しようとする試み」も、これまでいずれも不毛に終わっている。

 しかし、究極の鍛錬を支持する人は、卓越した能力をもつのに必要であるとてつもなく厳しい鍛錬に進んで取り組むうえで、遺伝子の果たす役割が存在する可能性を否定しているわけではない。つまり、たとえばサッカー遺伝子というものが存在しないとしても、何千時間もサッカーを練習する苦労に耐え、それ自体を楽しめるようにさせる遺伝子の組み合わせも理論的には存在するかもしれない。

 生まれつきの才能を支持する人の中には、自分の主張が遺伝に基づいているにもかかわらず、「コツコツ努力する遺伝子」の可能性を認めようとしない者がいる。才能論者はこのことを「コツコツ働く人の理論(drudge theory)」と呼んでいる。現時点では、検証すらされていない仮説で正しいとも正しくないともいえないが、遺伝子の研究が長足の進歩を遂げるようにでもなれば、このことに関して新たな洞察が得られるかもしれない。

 同時に、受胎から始まり生涯を通じDNAと自然(遺伝子と環境)は相互に多様な形で影響し合っている。そのため、厳格な意味で能力は先天的なものか後天的訓練に基づくものかという論争は、人間が実際にはどのように発達しているのかを理解していくと、ますます役に立たなくなっているのだ。

<本稿は『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock


【著者】
ジョフ・コルヴァン(Geoff Colvin)
フォーチュン誌上級編集長。アメリカでもっとも尊敬を集めるジャーナリストの一人として広く講演・評論活動を行っており、経済会議「フォーチュン・グローバル・フォーラム」のレギュラー司会者も務める。1週間に700万人もの聴取者を集めるアメリカCBSラジオにゲストコメンテーターとして毎日出演。ビジネス番組としては全米最大の視聴者数を誇るPBS(アメリカ公共放送)の人気番組「ウォール・ストリート・ウィーク」でアンカーを3年間務めた。ハーバード大学卒業(最優秀学生)。ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスでMBA取得。アメリカ、コネチカット州フェアフィールド在住。本書はビジネスウィーク誌のベストセラーに選ばれている。

【訳者】
米田 隆(よねだ・たかし)

『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版) ジェフ・コルヴァン

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