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結果主義で物事を判断する人が見落としていること

 仕事でもプライベートでも何かを「決断する」という場面の連続ですが、特に人生に大きな影響を及ぼすような事項の場合は、その決断が正しかったのか間違っていたのかを後で考えることは少なくありません。

 その評価を左右する要素として考えたいのが決断によってもたらされた「結果」。『How to Decide 誰もが学べる決断の技法』よりお届けします。

『How to Decide 誰もが学べる決断の技法』 サンマーク出版
『How to Decide 誰もが学べる決断の技法』

結果の質で決断の見方が変わる

①新しい会社で仕事をするために、いまの仕事を辞めたと想像してみてほしい。

 新しい職場は最高だ! 同僚はいい人たちだし、与えられた肩書きも満足のいくもので、数年以内に昇進もある。

前の仕事を辞めて新たな職に就いたのはいい決断だっただろうか?

はい   いいえ

②新しい会社で仕事をするために、いまの仕事を辞めたと想像してみてほしい。

 新しい職場は最悪だ。会社ではみじめな思いをし、数年で解雇されることになった。

前の仕事を辞めて新たな職に就いたのはいい決断だっただろうか?

はい   いいえ

うまくいかなければ悪い決断?

 おそらくあなたは、初めのケースでは仕事を辞めたのはいい決断で、あとのケースでは悪い決断だと判断しただろう。結果として仕事がうまくいけば前職を辞めたのはいい決断で、うまくいかなければ悪い決断だと感じたのではないだろうか。

 いずれのケースでも、私はこの決断にいたるまでの詳細情報を与えていない。ただ、ふたつの情報を示しただけだ。①結論にいたるまでの(同等の)要点と、②決断にともなう結果。

 結論にいたるまでの詳しい過程を聞かされていなくても、結果だけ聞くと、人は結論の良し悪しをきちんと判断できたような気になってしまうのだ。

 しかも、決断の結果は意思決定プロセスの質と密接に関わっているという感覚はとても強く、たとえ決断にいたる過程の説明が同じでも(仕事を辞めて新たな職に就く)、結果の質によって決断に対するあなたの見方も変わっていく。

 この現象はあらゆる場面で起こる。

 株を買う。価格が4倍になる。すばらしい決断だと感じる。株を買う。価格がゼロになる。最低の決断だと感じる。

 新たなクライアントや顧客を獲得しようと半年間努力する。その相手が最大の取引相手になる。半年間がんばった甲斐があったと思う。一方、半年間費やしても取引が成立しない。時間を無駄にし、ひどい判断をしたと感じる。

 家を買う。5年後に売ると50%以上の利益を得られる。最高の決断だ! 家を買う。5年後、家は水没している。最悪の決断だ!

 クロスフィットを始めて2カ月で体重が減り筋肉が増えた。最高の決断だ! しかし始めて2日で肩を脱臼したら、最低な決断に思えるだろう。

いい決断が悪い結果をもたらすこともある

 どんな場合も、決断は結果にふりまわされている。

 これは「結果主義(リザルティング)」と呼ばれるものだ。

(結果主義:結果から決断の質を判断してしまうこと)

 結果がともなう場合、人はその結果から判断し、決断の良し悪しを見極めようとする(心理学者はこれを「成果バイアス」と呼ぶが、私はもっと直感的に理解しやすい「結果主義」を使いたい)。結果主義が起きるのは、「決断」の良し悪しがちゃんと「見えていない」一方で、「結果」の良し悪しははっきりと目に見えているからだ。

 結果主義は、決断の質に関する複雑な評価をシンプルにする。

 ではその問題点は? シンプルがいつもいいとはかぎらないことだ。

 意思決定の質と結果の質は、当然のことながら関係している。しかしその相関関係は完璧ではなく、少なくとも普段私たちがおこなう大半の決断で完璧な相関関係が示されることはないし、一度きりの決断に関してはさらにその可能性は低い。このふたつの相関関係が明らかになるには、ある程度時間がかかるのだ。

 たとえば、仕事を辞めてひどい結果になったのは、一概に決断の質のせいとは言い切れない。いい決断がいい結果をもたらすこともあれば、いい決断が悪い結果をもたらすこともあるからだ。

 赤信号で交差点を突っ切って無傷の場合もあれば、青信号で走っていて、事故に遭うこともある。つまり、ひとつの結果から決断の良し悪しを判断しようとすると、誤った結論につながる可能性がある。

 結果主義のせいで、赤信号を車で突っ切るのがいいことだと判断するかもしれないのだ。

 いい決断をするには、経験から学ぶことが重要だ。経験には未来の決断を向上するための教訓が含まれている。結果主義から学ぼうとすると、間違った教訓を得ることになる。

結果の悪影響

 最初のエクササイズでは、決断の良し悪しを判断するための十分な情報を伝えていなかった。情報が少ないと、人は錯視が起こったときのように、空欄を勝手に埋めてしまう。だがそうした状況下で、結果主義がいい結論へつながるわけではない。たまたま結果を知っていても、空欄を自動的に埋めないほうが、さまざまなことを学べるだろう。といってもおそらく結果主義は、決断に関する情報が少ない場合に限定される。

 ならば結果重視の傾向は、情報を持っていれば消えるのだろうか?

 次のエクササイズで確認してみよう。

①電気自動車を購入したあなたは、その車をとても気に入っている。それは幅広い層に支持されている稀代の名技術者がつくったすばらしい車だ。車に関する経験に基づき、あなたはその会社の株を買う。

2年後、会社の株価が急騰し、あなたの投資は20倍の利益を生む。

投資に対する決断の質を0から5の段階で評価してほしい。

ひどい決断 0  1  2  3  4  5 いい決断

評価の理由(               )

②電気自動車を購入したあなたは、その車をとても気に入っている。それは幅広い層に支持されている稀代の名技術者がつくったすばらしい車だ。車に関する経験に基づき、あなたはその会社の株を買う。

2年後、会社は倒産、あなたの投資は無駄になる。

投資に対する決断の質を0から5の段階で評価してほしい。

ひどい決断 0  1  2  3  4  5 いい決断

評価の理由(               )

解釈は結果の質に左右される

 あなたが大半の人と同じなら、株を買った理由を結果の良し悪しに照らし合わせて解釈するだろう。

 いい結果なら、あなたはおそらく、肯定的な視点で決断の詳細を解釈する。製品について個人的に知っていたし、それは大いに役立った。なにしろ自分がその車を気に入っているのだから、ほかの人だって気に入る可能性は高い。加えて、稀代の天才は成功者であり、その人物が経営しているのなら、それはいい投資になるはずだ、と。

 しかしその会社が失敗して結果が芳ばしくなければ、同じ決断の詳細を別の角度から見ることになる。このとき、自分の経験に基づいて株を選ぶといった思考は、デューデリジェンス(適切な企業の価値やリスクの調査)の代わりにならない可能性が高い。

 その会社は利益を上げているか? 利益を上げることができるか? 債務負担は? 収益を達成するまでの資金は? 需要に追いつき、製造能力を高められるか? また、会社が車を売るたびに損をしていたなら、消費者としてはいい会社を選んだのかもしれない。

 もちろん、これは投資の決断にかぎったことではない。

 有望なスタートアップ企業が株を分けてくれることになり、あなたは仕事を辞めてそちらへ参加する。その企業は次のグーグルとなった。すばらしい決断だ!

 有望なスタートアップ企業が株を分けてくれることになり、あなたは仕事を辞めてそちらへ参加する。1年後、倒産する。半年間仕事がなく、貯金が底をつく。ひどい決断だ!

 高校時代の恋人と同じ学校に行きたいという理由で大学を選ぶ。大学を優秀な成績で卒業し、高校時代の恋人と結婚、いい仕事に就く。その大学を選んだのはすばらしい決断だったと思う。

 高校時代の恋人と同じ学校に行きたいという理由で大学を選ぶ。6カ月で破局する。専攻を変えようとするが、その学校にはいいプログラムがない。あなたはその学校がある町を恨めしく思う。そして1年目が終わるころ別の大学に編入。その学校を選んだのは最低な決断だったと思う。

 これらのケースは、たとえそこにいたる決断の詳細が同じだったとしても、結果の質が決断の見え方にフィルターをかけている。詳細の解釈は、結果の質に左右されるのだ。

 これが結果主義の力である。

大半の決断にまつわる事実を見逃す?

 悪い結果になると、決断の過程がまずかったと思わせる内容に目がいきやすい。私たちは、「過程のまずさは一目瞭然なのだから、決断の質を客観的に見ることができている」と思ってしまう。

 しかし結果が逆になれば、結末にふさわしい物語を書こうとして、今度は決断の質に関する情報を割り引いたり解釈し直したりする。

 結果の質は、私たちの決断の質を見極める能力に影を落とす。

 人は、結果と決断の質を一致させたいと思う。世界はそうあってほしいし、なるべく一貫していてほしいと思う。そして整合させようとすると、大半の決断にまつわる事実を見逃し、その先にあるさまざまな展開を認識できなくなる。

 最高の教師であるはずの経験は、ときとして結果と決断の質を必要以上に強く結びつけてしまうことがある。

 結果主義は私たちの水晶玉を曇らせてしまうのだ。

すべて、結果主義のせい

 結果主義について学んだところで、あなたが結果を出したときのことを考えてみよう。次の空欄にそのときの状況を記してほしい。

(               )

答えにくければ、次の質問を考えてみて欲しい。
「去年の最善の、そして最悪の決断は何だったか?」
ここでのポイントは、「大半の人は自分の最善の、そして最悪の決断についてあまり考えたことがない」という点だ。
たいていの人は最善と最悪の結果について考えてから、決断へとさかのぼる。

 それはすべて、結果主義のせいである。

<本稿は『How to Decide 誰もが学べる決断の技法』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by shutterstock


【著者】
アニー・デューク(Annie Duke)
作家、コーポレートスピーカー、意思決定に関するコンサルタント

米国科学財団(NSF)から奨学金を得てペンシルヴェニア大学で認知心理学を専攻し、修士号取得。認知心理学の知識をもとにプロのポーカープレーヤーとして活躍し、2012年の引退までにポーカーの大会で400万ドル以上の賞金を獲得。共同設立した非営利団体「Alliance for Decision Education」は、意思決定に関する教育を通じて生徒や学生を支援し、彼らの生活を向上させることを使命としている。このほかにも「National Board of After-School All-Stars」のメンバーや、「Franklin Institute」の役員を務め、2020年には「Renew Democracy Initiative」の一員となる。自著『確率思考──不確かな未来から利益を生みだす』(日経BP、2018年)が全米ベストセラーになる。

【訳者】
片桐恵理子(かたぎり・えりこ)