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古典落語と新作落語の根本的な違いを知ってますか

 大物政治家や経営者、ビジネスエリートに親しまれている日本の伝統芸能が「落語」です。

 落語は過去400年にわたって、日本人を笑わせ続けてきました。「人の心をつかむ術」が身につくだけでなく、日本の「文化」や日本人特有の「価値観」、「人間の変わらない本質」も教えてくれます。

 そんな“教養としての落語”を立川談志の弟子であり、慶應義塾大卒、元ビジネスマンという異色の経歴の持ち主である立川談慶氏が解説している本が『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』です。

 すでに落語にハマっている人、あるいは落語を楽しんでみたいけど、ハードルが高いと思っている人。どちらの人に向けても読んでいただきたい1冊。今回は本書から一部抜粋して古典落語と新作落語の違いについて掘り下げます。

『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版) 立川談慶
『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』

「古典落語」は著作権なしのカバー曲、新作落語はオリジナルソング

 落語には「古典落語」と「新作落語」がありますが、この二つの違いは何でしょうか。

 江戸時代に完成した落語の演目は、その後、明治、大正、昭和……と現代にまで伝わります。

 その演目の数については、諸説あり、正確に把握することは困難ですが、「300くらい」というのが定説になっています。

 それらをまとめて「古典落語」と総称しています。「古典落語」はほとんどの演目の作者が明らかになっていません。和歌でいうところの「詠み人知らず」と同じです。

 現代の落語家はこれらの「古典落語」の作品を、いつでも誰でも演じてよいのです。

 さらにいうと、話の細部を自由に演出したり、脚色したりしてもかまいません。落語家によっては、話の結末を大きく変えることだって珍しくありません。

 古典落語をきっちりと踏襲して演じる落語家もいれば、その日のお客さんの反応を見て、臨機応変にアレンジをする落語家もいます。つまり、古典落語をベースとして、どう〝料理〟するかは落語家一人一人の裁量にゆだねられているのです。

 このような「古典落語」に対して、現代の落語家が作った落語を「新作落語」と呼びます。これは、作り手である落語家の名前がはっきりしている演目のことです。

 落語家の中には、新作落語を精力的に作り続けている人もいます。

 たとえば、桂文枝(かつらぶんし)師匠(六代目)もその一人です。文枝師匠は「新作落語」のことを「創作落語」と呼び習わし、すでに200を超える作品を発表しています。

 つまり、音楽にたとえるなら、現代で演じられている新作落語は「オリジナルソング」古典落語は「カバー曲」といえるでしょう。

 ただし、現代の日本で、「落語」と表現する際、たいていは「古典落語」のことを指します。

落語家はネタバレしている噺を何回もして、なぜ生きていけるのか

 多くの落語家たちがカバーする対象、「古典落語」の噺の数は約300あると先ほどお話ししました。

 もちろん、マイナーな噺から上演回数の多い有名な噺まで、人気の差はあります。それら全てをかきあつめても、「わずか300しかない」という見方ができるでしょう。

 なぜなら、それらをカバーする落語家たちの数は、1000人近くもいるからです。

「現役の落語家1000人が、その3分の1以下の数である300の噺をカバーして活動している」

 そう聞くと、落語という世界の特殊性が、おわかりいただけるのではないでしょうか。

 作家の故中島らもさんも、生前に次のような指摘をされています。

「落語家が東西合わせて数百人しかいない状態で、その落語家の数より少ない落語を語って商売になっていること自体が不思議でならないですよ」

 彼は「古典落語に負けないような新しい落語を作る」と宣言し、有言実行。実際に並はずれた才能と教養を頼みにして、小説家でありながら、優れた新作落語を何作も残したのです。

 たとえば、ポップスや演歌などの歌謡曲のジャンルで、このような状況は起こりえません。

 多くの歌手は、自分独自のオリジナル曲で勝負に出ようとします。

「他人の曲をカバーして勝負しよう」という歌手はすでにベテランで余裕があるか、ごく少数派であるはずです。

 言い換えると、古典落語の噺は、いずれも完成度が高く、普遍性があり「時代を超えても受け入れられる力をもっている」ということです。

 歌謡曲の世界でも「多くの歌手がカバーしたくなる〝名曲〟」は存在します。

 古典落語の場合、ほぼ全ての噺のクオリティーが、そのくらい高水準なのだと考えてみてください。このような構図こそ、落語が〝スタンダードな芸能〟である証拠だと言えるでしょう。

 つまり古典落語を演じる落語家とは、すでに完成した「噺」という「型」を自分流にアレンジして現代に再現させる「職人」なのです。

<本稿は『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo  by Shutterstock


【著者】
立川談慶(たてかわ・だんけい)
1965年、長野県上田市(旧丸子町)生まれ。
慶應義塾大学経済学部を卒業後、株式会社ワコールに入社。3年間のサラリーマン体験を経て、1991年に立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。2000年に二つ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」と命名される。2005年、真打ち昇進。慶應大学卒業の初めての真打ちとなる。著書に『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)、『大事なことはすべて立川談志に教わった』(KKベストセラーズ)、『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』(PHP文庫)、『談志語辞典』(誠文堂新光社)などがある。

『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版) 立川談慶


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