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言えなかった「小さな声」を上げれば世界が広がる

 夫婦間で自分だけが家事や育児、介護などを背負って苦しい思いをしているとき、配偶者に対して何も言わないような状態は望ましいのでしょうか。
 
 九州第1号の女性弁護士として福岡市に開業してから、おもに離婚や相続といった人間関係のもつれをほどいてきた湯川久子氏。1万件を超える相談案件を通して、「どんな人でも、外からはうかがい知ることのできない悩みや迷いを抱えている」こと。そして、「ほどよく距離を置くことこそ、人が心地よく生きていくために必要な心がけ」と実感するに至ったそうです。
 
 60年以上にわたって、法で裁くことのできない人間模様を目の当たりにしてきた湯川氏が、人間関係の極意をやさしく説いたロングセラー『ほどよく距離を置きなさい』よりお届けします。

『ほどよく距離を置きなさい』(サンマーク出版) 湯川久子
『ほどよく距離を置きなさい』

言えなかった「小さな声」を上げてみる

「話す」ことは、「離す」ことであり「放す」ことにつながる。

 自分の内側にあるつらく苦しい思いも、話すことによって、一旦、自分から離れて行き場を得、解決の糸口が見つかる──問題解決とまではいかなくても、その一歩手前で、「なんだ、そうだったのか!」という思いがけない気づきにつながることもよくあります。

 それはまだ、イクメン(育児に積極的な男性)やカジダン(家事をすすんでする男性)なんて言葉がなかったころの話です。旅行をして何が一番嬉しいかと聞くと、ほとんどの主婦が 「食事の上げ膳据え膳」と「家事をしなくていい時間」をあげていました。

「座っているだけで、目の前にお料理が運ばれてくるなんて最高ね。献立を考える必要もないし、料理の後片づけも必要ないのだから」

 そう言いつつも、当時の女性たちの多くは、夕食時にはそそくさと帰り、クラス会などへの出席すら考えられないという人が多かったものです。

 旅行も一苦労でした。その間の料理を作って冷蔵庫に入れたり、なかには着替えまですべて用意する人もいたりしました。

「本当は別のことがしたい」「やりたくない」なら

 ある妻は、結婚三十年、趣味を持つこともなく、夜の外出は控え、ひたすら良妻であることを自身に課していました。ところがあるとき、友人から「結婚して三十年にもなるのに主婦の甲斐性がないんじゃない」と言われて、ハッとしました。それまで胸に押し込め、我慢していた思いがこみ上げてきたと言います。

「泊まりがけの旅行に行ってもいい?」

 夫にたずねると、夫はたいそう驚いたそうです。それもそのはず。夫のほうはてっきり、妻は人嫌いの出不精で、旅行嫌いの女だと思っていたのですから。

「いいよ、もちろん行っておいで」

 反対されるとばかり思っていた妻は、夫のニコニコした顔に驚きました。

 その後、妻は、友人に誘われてカラオケ教室に入ったりと、明るく快活になり、結婚する前の社交性を取り戻しました。夫は夫で、そんな妻を楽しそうに眺めながら、一人自由に過ごす時間や趣味を謳歌しています。

 今でこそ、夫も家事に参加するようになりましたが、共働きでも育児中でも、すべてを抱え込み、夫の面倒まで見ようとする女性は少なくありません。

 その根っこにあるのは「女性の務め」だという概念であったり、「そうしないと愛されない」という思いであったりするようですが、もしも「やらされ感」や「本当は別のことがしたい」「やりたくない」という思いがあるなら、言ってみる、話してみるということは、思いがけない展開につながるかもしれません。

 話をしてみれば、「なぁんだ、そうだったのか」「そんなことか」ということはよくあるものです。

 マイナスな思いをため込んで、いいことなんて一つもありません。

毎日の小さなことから一つずつ

 家事について言えば、最近、男性は本来、女性のために動くのが好きなのだという話を聞きました。

 思いきって夫に任せて、出来の悪い部分には目をつむり、してくれたことに心から感謝すること。そうやって、妻が楽しそうにしていると、夫のほうは「俺がそうさせている」と自己重要感が満たされていくのだそうです。

 私の夫は戦争経験があり、戦後も軍隊の厳しさを持ったままの男でしたから、正直言ってそう聞いてもあまりピンときません。世代によってもかなり意見は分かれると思いますが、以前こんなことがありました。

 夫が「俺は三角おにぎりなら作れる」と言って、めずらしく台所に立ったときのこと。ぎゅっとにぎりすぎてかたくなったおにぎりに、思わず「まぁ、かたいわ」と言ってしまいました。そうです、それ以降、夫は二度と台所に立つことはありませんでした。あのとき、娘や息子も一緒に、あのおにぎりを褒めていたら、夫も少しはカジダンになったのではと残念に思います。

 もしあなたが、今一人で家事をしていたり、育児や介護に追われたりして、すべてを背負って苦しい思いをしているのだとしたら、それは「声を上げてみなさい」というサインかもしれません。

 最初の一歩は、「それ取ってくださる?」「明日はちょっとむずかしいわ」など、言い出しやすい範囲の簡単なことからでもいいと思います。毎日の小さなことから、「あ、言っても大丈夫だったんだ」という安心感を一つずつ実感していくことです。

勇気を出して伝えてみれば、今まで知らなかった世界が広がることがある
――思いにフタをしてはいけません

<本稿は『ほどよく距離を置きなさい』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)


【著者】
湯川久子(ゆかわ・ひさこ)
1927年、熊本県生まれ。中央大学法学部卒。1954年に司法試験合格、ほどなく結婚し、1957年〝九州第1号の女性弁護士〟として福岡市に開業。2人の子を育てながら、60年を超える弁護士人生の中で、1万件以上の離婚や相続などの人間関係の問題を扱い、女性の生き方と幸せの行く末を見守り続けてきた。1958年より2000年まで福岡家庭裁判所調停委員。