目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと
北海道美唄(びばい)市で精神科医として従事する福場将太さん。彼はもともと目が見えていましたが徐々に視野が狭まる病を患っていることが発覚。32歳で完全に視力を失いましたが、それでも10年以上にわたり、患者さんの心の病と向き合い続けています。
目が見えていたからこそ、目が見えなくなったからこそ、両方の視点で「見えるもの」と「見えないもの」がわかる。そんな福場さんの明日を明るく照らす言葉が詰まった初の著書『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』が10月10日に発売となりました。冒頭の試し読みをお届けします。
はじめに
ものを見るのに、かならずしも「目」が必要とは限りません。
コウモリにしても、モグラにしても、一部例外の種類はいるものの視力をほとんど持たない生物と言われています。
ところが、そんなコウモリはビルの隙間を器用にすり抜けながら夜空を自由に飛び回っているし、モグラもまた真っ暗な土の中を大好物のミミズ目掛けてまっしぐらに進んでいます。
コウモリであれば「聴覚」を頼りに。
モグラであれば「嗅覚」を頼りに。
音や匂いを介して世界を見ながら、彼らは「暗闇」を駆け抜けているのでしょう。
見えていないのに、見えている。
そう認めざるを得ないことが、生命の間では当たり前のように起きているわけです。
「見る」という行為は何も視覚だけの専売特許ではなく、そんな彼らの生態を、私はちっとも不思議には感じません。
かく言う私自身も、目が見えないからです。
徐々に視野が狭まる網膜色素変性症という病気を患っていることが分かったのは、東京で暮らしていた医学部5年生の時でした。
そこから20代後半にかけて急速に症状が進行、32歳の時に完全に視力を失いました。以降は視野の端っこでわずかに光を感じ取れる程度で、正面は全く見えず、ものの認識はできません。
そんなコウモリやモグラの仲間になってもう10年以上の月日が流れたわけですが、現在私が何をしているかというと、夜空でも地中でもなく、ちゃんと昼間の人間社会で働いています。
仕事は精神科医、心を見る医師です。
病院があるのは流れ流れて北の大地、北海道の美唄市。かつては炭鉱で栄えた町に暮らす町医者です。
「目が見えないのに医者です」なんて言うと、「診察のカルテはどんなふうに書いているの!?」と気になっている方も多いかもしれませんね。
基本的にはパソコンを使っています。
中学生の頃にパソコン部に所属していたおかげでブラインドタッチができたものですから、画面やキーボードが見えなくても音声読み上げソフトを用いることで、自分で診療記録や診断書を書けるのです。もちろん、今この文章もその手法で目を使うことなく執筆しています。さほど支障はありません。
とはいえ目が見えなくなって、大変ではなかったと言えば、それはもちろん嘘になります。
物理的に見えなくなったものが、たくさんあるからです。
なんてことない階段の始まりや境目でつまずいてしまうこともあるし、買い物の際に目的の商品を探し出すのもひと苦労です。
目が見える人にとっては当たり前にできることが、私にはできません。つまり論ずるまでもありませんが、「目が見えないと、見ることができないもの」が、たくさんあるのです。
ただしその一方で、目が見えているばっかりに、見えなくなるものもある、と感じてもいます。このたび筆を執ろうと思ったのは、そのことを伝えたかったのも理由の1つです。
私には患者さんの姿を見ることができません。
診察は、特に患者さんの声色、声の向きや強弱、話すリズムやテンポ、使う言葉の選び方、足音などを頼りに行っています。
「あれ? 今日はドアを開ける音や足音に元気を感じないなあ……」
「前回来た時より使う言葉がトゲトゲしくなっているぞ?」
といった、調子の悪さだったり、
「この患者さん、声が生き生きし始めたな。良い感じ、良い感じ」
「お、呼吸のリズムが整ってる。これは良い兆しだな」
といった、調子の良さだったり、コウモリよろしく、「音」というのは、視覚では見えないものを見せてくれることが多々あります。
私にとって、音は景色の1つなのです。
きっとこういったことは、視覚情報に頼っていてはなかなか分からないことではないでしょうか。
見えることは時として残酷です。
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