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「あの人はゆるせない」と思い続けている人へ

 人には誰しも「ゆるせない」と思い出すようなことがあるものです。その原因となった人に対して、怒りや憎しみの感情にとらわれる続けることもあるかもしれません。一方で、それを「ゆるす」ことができたら。

 スタンフォード大学医学部卒で国際的に有名な精神医学者ジェラルド・G・ジャンポルスキー氏(2020年没)は「人をゆるすことはあらゆる問題の解決策で、あらゆる苦しみの処方箋だ」と言います。

 ジャンポルスキー氏の著書『新版 ゆるすということ』よりお届けします。

『新版 ゆるすということ』
『新版 ゆるすということ』

ゆるさない理由を1つずつ取りのぞいていく

 怖れ、恥、責める気持ちを乗り越える──ゆるすために最初に克服しなければならない障害は、価値観を変えたくないという思いです。

『ゆるしをじゃまする最大の障害は、愛でなく怖れに基づく価値観』です。この障害を乗り越えるためには、すべての人は愛に満ちているか、恐怖におびえて愛を求めているかのどちらかだと考えるといいでしょう。すると、他人の行動に善悪の判断を下さずにすみます。攻撃されたと身構える代わりに、相手は恐怖におびえて愛を求めていると考えるのです。

 白状すると、私は若いころ、こういう見方はできませんでした。みんなそうかもしれませんが、私の周りには身をもってゆるしを教えてくれる人はあまりいませんでした。そこで、ゆるしが何をもたらすか、そしてどんなに大切かといった自覚がほとんどないまま、大人になったのです。

 20代になるころには、私は自分や他人を攻撃し、侮辱する名人になっていました。周りには、そんな態度に同調する人が山ほどいました。当時は、エゴが私の自動操縦桿を握っていて、攻撃されたと思ったとたん相手に立ち向かいました。そうなってしまえば、相手は気の毒なものでした。私はあっというまに戦闘態勢に入ったのです。

 人生で学んだことを人に伝えるには、自分の体験を分かちあうという方法が最も効果的ではないかと思います。私はつらかったときのこと、また、その後のさまざまな出来事について振り返るたびに、心を開いておく大切さ、そして不可能なことなど絶対にないと信じることの大切さを、あらためてかみしめます。

ものの見方には、自分のクセがある

 私たちは人間ですから、人生を自分流に解釈しています。たとえば、私たちは過去の出来事すべてについて、すばらしい記憶をもっています。生まれたその日から、いや生まれる前のことだって、覚えているかもしれません。子どものころに恐ろしい思いをしたり傷つけられたりしたら、記憶に残るだけでなく、それにこだわって現在や未来を裁く傾向すらあります。

 心は映写機のようなものです。過去の思い出は、私たちがスクリーンに投影するイメージです。私たちは、いま話している相手に、過去の記憶を投影します。心が映しだすのが罪悪感や怒りなら、それをいまの状況に投影することになります。責められているように感じるか、相手に苛立たされているとみるかは、自分が何を知覚し、何を投影しているかで決まります。

 人間ならものの見方に過去が反映されるのは当然ですが、エゴは思うぞんぶん自分の都合に合わせて、この投影作用を利用します。私たちが他人に投影していることすべてが真実であり、現実なのだと、エゴは説得にかかるのです。

 その結果、私たちは他人や状況のせいでいやな思いをしているのだと、信じ込んでしまいます。どんな体験をするかは心に浮かべる思いによって決まるという事実を、エゴは、隠そうとします。

「ものの見方や自分の信念には過去が投影されている」と認めるのは、気が進まないかもしれません。しかし、いったん認めれば、エゴと愛のどちらに基づいて生きるか、選択できます。エゴが投影を利用していることがわかれば、私たちは変われるのです。感情にこだわるか、それとも手放すか、決定できるようになります。

別れたパートナーをゆるす

 数年前、ガン病棟の看護師さんのためのワークショップを開いたことがあります。

 まず、大きなゴミ箱を想像してもらい、その中に怒りや罪悪感をすべて入れてもらいました。ゴミ箱がいっぱいになったところで、私は尋ねました。

「その感情を手放したいですか。あなた自身や、あなたを傷つけた人を、ゆるす準備ができましたか?」

 続けて、私はいいました。

「準備ができたら、ヘリウムの入った巨大な風船を想像してください。風船にゴミ箱をつないで、手を離します。すると、ゴミ箱は風船と一緒にゆっくりと上がっていきます。どんどん上がり、やがて空のかなたに消えていくのを見届けてください」

 ワークショップの参加者のほとんどが、このワークをやってみました。しかし、一人の看護師さんは会場の後ろに立ち、ただ眺めていたのです。私はほかの参加者の世話をしていたため、そのことに気づきませんでした。しかし彼女は、休憩時間に私のところに駆け寄り、こう打ち明けてくれました。

「ワークが始まったとき、実は私は〝怒りも罪悪感も、ぜんぜんないわ〟と思いました。だから、ただみんなを眺めていようとしたんです。けれど、そのとき突然、別れた夫を思い出しました。あの最低男!──私を捨て、若い女に走ったんですよ。それで、ワークをやったんです。彼の首根っこをつかまえて、ゴミ箱に投げ捨てました。それからあなたにいわれたとおり、ゴミ箱に風船を結んで手を離して、空に消えていくのを見送りました。その瞬間、首根っこでポンとはじける音がしました。とたんに、離婚後ずっと続いていた首の痛みがとれて…」

 彼女はさらにいいました。

「ゴミ箱に捨てたのは、本当は前の夫じゃなく、彼の行動に対する私の怒りなんだってわかりました。私はもう、夫のことで首を痛くしたりしないわ」

 彼女は、ついに自分の怒りに気づいたので、もう、他人に投影する必要がなくなったのでした。

『何を考え、何を信じるかで人生が決まるということを、忘れてはなりません』

 なぜゆるすのかといえば、自分を過去から自由にするためです。他人への恨みつらみから、自分を自由にするためです。ゆるすと危険な目に遭うどころか、いまこの瞬間を、より生き生きと生きられるようになります。

 そして、いまこの瞬間が安らぎに満ちていれば、安らかな気持ちで未来を見ることができます。すると、安らかな現在がそのまま未来へと続き、安らかな現在が安らかな未来になります。不幸にも、多くの人たちは、怖れに満ちた過去が怖れに満ちた未来になる、というふうに生きています。私たちの信念が、「事態は悪くなるいっぽう」という現実をつくっているのです。

<本稿は『新版 ゆるすということ』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
 
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by ShutterStock


【著者】
ジェラルド・G・ジャンポルスキー(Gerald G. Jampolsky)
国際的に有名な精神医学者。世界40か国以上で講演活動などをおこなった。2020年没。

【訳者】
大内博(おおうち・ひろし)