文章が抜群な達人がやり遂げた「究極の鍛錬」の秘密
「文章が上手くなりたいけど、どうやっていいかわからない」
走る、投げる、蹴るなどのスポーツと同じように「文章を書くこと」自体は、誰にでもできます。だからこそプロと素人には雲泥の差があり、その奥もとてつもなく深いのです。
どうすれば文章の力量を上げることができるのでしょうか。
才能の正体に迫り、ハイパフォーマンスを上げる人たちに共通する要素「究極の鍛錬」があることをつきとめた『新版 究極の鍛錬』よりお届けします。
究極の文章修業
ベンジャミン・フランクリンは、デイビッド・ヒュームや他の多くの人も認める「アメリカで最初の偉大な文筆家」だ。それゆえ、フランクリンがどうやってあのような卓越した作家になりえたのか興味をひかれる。
フランクリンは自らの文章修業について自伝に書いており、学校で課題になったりするのでこの自伝は広く知られている。しかし、どのように達人が生まれるのかについて我々が得た知識に照らし合わせると、このベンジャミン・フランクリンの文章修業に秘められたいくつかの要素はこれまで思っていた以上に意味深く、ためになる。
ベンジャミン・フランクリンは、十代の少年としては文章がうまいと自分では思い込んでいた。ある日フランクリンの父親は、息子ベンジャミンと友人ジョン・コリンズが一つの論点をめぐり手紙でやり取りしていることに気がついた
(その議論は、女性は教育を受けるべきか否かという点についてだった。コリンズは、女性は男性と同じようには学ぶ才能に恵まれていないと主張し、一方ベンジャミンは反対の立場をとった)。
ベンジャミンの父親は、息子の手紙は綴りも句読点もコリンズよりもすぐれていると言った。そして、その後ベンジャミンの手紙の悪い点も具体的に教えた。「表現の流麗さと明快さについていくつか事例を示し、父は私に説明してくれた」とフランクリンは述懐している。
人を評価する際、まずほめ、批判をする際には具体的事例でその根拠を提示することは大切なことだ。この点からすれば、ベンジャミンの父親ジョサイア・フランクリンは、誰にとっても手本になるだろう。
すぐれた手本を見つけて取り組んだこと
父親の自分の文章力に対するこうした観察に、ベンジャミンはいくつかの方法でこたえている。第一に、どうやってもまねできないすぐれた手本を見つけた。ジョゼフ・アディソンとリチャード・スティールが書いた『The Spectator(スペクテイター)』という名のイギリスで高い評価をもつ定期刊行物を一巻にまとめた書籍だ。
これについては誰でも似たようなことはできたかもしれない。しかし、その後ベンジャミンはそれまでほとんど誰も考えもしなかった目を見張る方法で文章修業のプログラムに着手した。
そのプログラムは、『スペクテイター』の記事を読むことから始まった。そして一つひとつの文章の意味に簡単な注をつけ、数日後にその注を見て、ベンジャミン自身の言葉でそれぞれの文章の意味を再び表現した。それができるとベンジャミンは今度は自分の書いたものと原本とを見比べ、「いくつかの間違いを見つけ、訂正をした」と述べている。
気がついた間違いの一つは、語彙力不足によるものだった。どういう対策をとればよいかとベンジャミンは考え、詩を書こうとすれば膨大な「言葉の蓄積」が必要とされることに気がついた。同じことを表現するにも、詩ではリズムや韻律を考え多くの異なる方法で表現する必要があるからだ。
そこでベンジャミンは、『スペクテイター』を韻文に書き換えることにした。そして、書き換えたものを忘れたころ、今度はその韻文形式のエッセイを散文形式に書き換え、自分の苦心の作と原本とを見比べた。
(〈韻文verse〉とはその言語に特有の韻律の規則に従い,詩の行を形づくるように配慮して書かれた文章。この配慮のない文章を〈散文prose〉と呼ぶが,その対語としての〈韻文〉は事実上は〈詩行〉と同語である。韻律の規則を守るといっても,韻文を一読してただちにそれと認知する特徴は,韻よりもむしろ律,すなわちリズムにあると考えられる/改訂新版 世界大百科事典 コトバンクより)
またベンジャミンは、よいエッセイのカギとなる要素は構成だということに気がつき、改善の方法も編み出した。エッセイの文章一つひとつに短い注釈をつけ、その注釈をそれぞれ別の紙きれに書くことにした。そして注釈を書いた紙切れをグジャグジャに交ぜ、そのエッセイのことを忘れるまでの間、数週間寝かせておいた。
・フランクリンが行った究極の鍛錬文章編
忘れたころに、今度はその注釈を正しい順番に並べ替え、その順番に基づいてエッセイを書き原文と比較した。またもやフランクリンは「多くの間違いを発見し、修正した」。
驚くべきことには、この手法が、彼の置かれた状況下で、大変よく構成された究極の鍛錬の原則に合致していたことだ。フランクリンには指導してくれる教師はいなかったが、父親が文章の具体的な間違いを指摘してくれた。自分の能力を超える散文を見つけることで、事実上、自らの教師をつくり上げたのだ。フランクリンにとってこれ以上ない選択ができた。
『スペクテイター』のエッセイは人をひきつけ、時事的で、画期的な文章でフランクリンが望んでいた文体にまさに合致していた。フランクリンが手本にしたこうしたエッセイはいずれも大変素晴らしいできだったため、フランクリンが学んだあと300年たった今でもこの一巻は幅広く読みつづけられている。
このようにフランクリンは自分の能力のうち課題となる部分を見つけ、自らの限界に挑戦するとともに修業方法として究極の鍛錬の中核的内容を自ら発見していた。
何度も何度も働きかけ、コツコツとやり続けた
重要なことは、ベンジャミン・フランクリンがただ座ってエッセイを書くことでよい文筆家になろうとしたわけではなかった点だ。むしろ一流のスポーツ選手や音楽家のように、課題となる特定の部分に何度も何度も働きかけた。
まず最初は構文だ。究極の鍛錬の原則に正確に従って取り組んだ。『スペクテイター』の文章を一つひとつ要約し、再現するというフランクリンの手法は結果として究極の鍛錬の目的に沿って巧みに考案されていた。一つのエッセイには多くの文章があったので、フランクリンはかなりの量を日課のようにこなすことができ、また、原文と自分の文章を比較することで即座にフィードバックを得ることができた。
フランクリンは次の課題である語彙に取り組もうと決意し、韻文化するというまたもや素晴らしい練習の仕組みを考案した。これを大量に行い、また即時にフィードバックを得た。最終的には、フランクリンが韻文形式の文章を散文形式に書き換えている点に注目したい。
フランクリンはまさに文章の構成に取り組んだのだ。この3番目の課題であるエッセイ全体の文章構成に対してフランクリンがとったアプローチもまた非常に巧みで、構成に何度も挑戦するだけではなく、他の技術も維持できる仕組みとなっていた。
フランクリンが行ったよい文筆家となる修業方法の特徴で、注目したい点が一つある。コツコツとやりつづけた点だ。現代人がフランクリンの行ったことや考案した訓練のことを聞くとその素晴らしさだけではなく、最後までやり抜く彼の能力に驚嘆するだろう。やり抜くのはとてつもなく大変な仕事に思えるからだ。
誰でも理論的にはフランクリンの日課をこなすことができたであろうし、今でもできるだろう。しかし、たとえそれがどんなに効果があるとわかっていても誰もやらない。文章を書くことを学んでいる学生でもやらないだろう。しかもフランクリンは学生ではなかった。印刷をしている兄の職場の見習い工で、きつい仕事だったので自由時間はほとんどなかった。
そのため朝仕事に行く前と夜仕事から帰ったあとや日曜日に「一人で印刷工房にどうにかいられるようにすることができたとき」文章修業に勤しんだ。清教徒として育てられ日曜日は教会に行くべきだとわかってはいたが、「教会に行くための時間が自分にはないように思えた」とフランクリンは自伝に記している。
フランクリンが独学でどのように文章を上達させたか詳細に知ることは、二つの意味で注目すべきだと思われる。第一に、究極の鍛錬がどのように機能するかきわめて明確に示しているからだ。当時もっとも高い能力と影響力をもつ英文での散文家が、究極の鍛錬をどのように生み出しえたのか、事例研究の材料を提供している。
第2に、理想からは程遠い状況下で究極の鍛錬の原則をどのように自力で実行しうるのかという素晴らしい事例を提供してくれている。残念なことに今日企業やその他多くの組織が置かれている状況は、当時のフランクリンの状況と変わりはしない。
<本稿は『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
ジョフ・コルヴァン(Geoff Colvin)
フォーチュン誌上級編集長。アメリカでもっとも尊敬を集めるジャーナリストの一人として広く講演・評論活動を行っており、経済会議「フォーチュン・グローバル・フォーラム」のレギュラー司会者も務める。1週間に700万人もの聴取者を集めるアメリカCBSラジオにゲストコメンテーターとして毎日出演。ビジネス番組としては全米最大の視聴者数を誇るPBS(アメリカ公共放送)の人気番組「ウォール・ストリート・ウィーク」でアンカーを3年間務めた。ハーバード大学卒業(最優秀学生)。ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスでMBA取得。アメリカ、コネチカット州フェアフィールド在住。本書はビジネスウィーク誌のベストセラーに選ばれている。
【訳者】
米田 隆(よねだ・たかし)
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