生まれつきの才能があるかどうかを証明できるのか
何らかの分野で極めて優れた成果を出す人は、「生まれつき」の才能を持ち合わせているのでしょうか。
ロングセラーの新装版『新版 究極の鍛錬』よりお届けします。
不利な状況の人でも達人となった事例はたくさんある
究極の鍛錬の理論上の枠組みが有効だと裏づけるような身近な事例を見つけることは簡単だ。とりわけ天賦の才に特段恵まれているわけではない人たちだけではなく、むしろ不利な状況にあった人が究極の鍛錬の原則を実行することで、ついには達人となった数えきれない事例がある。
子どものころ小児まひの後遺症で足をひきずっていたウィルマ・ルドルフは、後年オリンピックの陸上短距離競技で金メダルを獲得している。舌足らずでつっかえ、つっかえ話をしていたウィンストン・チャーチルは、多くの講演を長期にわたり徹底的に高い精度で繰り返したおかげで、20世紀が生んだ最大の演説家の一人となったのである。
しかし、「究極の鍛錬」を支持する証拠は数多く、しかも増えつづけているにもかかわらず、私は当初、当惑する反応に出くわした。少なくとも最初は、多くの人がこの考えを好まないのだ。本書の読者の多くが、本書の主張を簡単に誰かに説明しようとした経験を語っている。
その反応はほとんどいつも同じで「その主張はおかしい」である。特定の生まれつきの能力は、一般に考えられているよりもはるかに重要ではなく、存在しないかもしれないと言われても、ほとんどの人はそれを信じようとはしない。
私はしばしばその理由を不思議に思ってきた。私の最初の推測では、人々はいつか自分の特別な才能を発見するという夢をあきらめるのが嫌なのだと思った。隠された才能が明らかになれば、ほとんど努力することなく、あっという間に目を見張るような成功を収めることができるのだ。
多くの人を不快にさせるほどの重荷
しかし、読者からはもっと説得力のある理由が指摘されている。もし先天的な才能が成功の原因でないなら、私たち一人ひとりが自分の功績に責任をもたなければならない。それは多くの人を不快にさせるほどの重荷である。したがって、彼らは最初、しばしばこの主張を拒絶したくなるのである。だが、十分な説明がなされると、多くの人はそれを認め、さらには受け入れるようになる。
しかし、疑念を抱くもう一つの、より少数のグループを説得するのは難しい。「究極の鍛錬」を否定する、あるいはあまり根拠がないとする証拠を集めたと信じている学術研究者たちである。何年もの間、そのような主張を続けてきた研究者もいれば、本書やその他の本が出版され、「究極の鍛錬」への関心が高まったことに反応した研究者もいる。
私たちは彼らの反論を真摯に受け止めるべきである。彼らは真剣に考えている人たちであり、私たち自身が抱きかねない疑念を反映しているかもしれない。
疑念を抱く人たちを二つのグループに分けて考えてみよう。
① 生まれつきの才能を全面的に支持する人々
「『究極の鍛錬』の枠組みは単純に間違っている」ときっぱりと断言する研究者もいる。「そう、天賦の才(別名「生まれつき」の能力)は存在する!("Yes, Giftedness [aka ‘Innate’]Talent Does Exist!")」。研究者の一人は、偉大なパフォーマンスに関する学術論文にこのようなタイトルをつけている。
彼らは強力と思われる証拠を提示しており、そのうちのいくつかは私たちがすでに調査したものである。たとえば、神童たち。幼いころの彼らの驚異的な能力を、極端な天賦の才能の証拠以外にどう説明できるだろうか? 彼らの中には、何千年も過去や未来からランダムに選んだ日付の曜日を、ほとんど瞬時に言い当てることができる者もいる。それは不可能に思える! そして知性だ。IQの大部分は遺伝する、つまり遺伝的なものであることは1世紀にわたる研究によって疑いの余地がないほど明らかになっている。
生まれつきの才能を研究で実証するのは困難
しかし、才能擁護論者でさえ、すぐれたパフォーマーが簡単に、あるいはすぐに偉大になれるとは主張していない。彼らの一人が言うように、生まれつきの才能は 「原材料」であり、「特定の卓越した目標につながる構造化された活動プログラムを、かなりの期間にわたって……体系的に追求すること」によって開発されなければならないと考えている。
「究極の鍛錬」がその説明に当てはまるのは明らかだ。才能擁護派は、生まれつき才能のある人は他の人よりも早く、あるいは簡単に目標を達成できると主張するが、研究によってそれを実証することは著しく困難である。なぜなら、生まれつきの才能が存在するとしても、その才能以外のすべての変数を、長年にわたって一定に保つことができる対照実験を行うことは事実上不可能だからである。
実際、前述したように、「究極の鍛錬」の擁護者たちは、生来の才能がパフォーマンスに関与する可能性を否定したことはないが、そのことは今のところ厳密には証明されていないと主張している。
科学は常にもっとも単純な説明を好むものであり、エリクソンが書いているように、「もっとも成功した個人はもっとも『究極の鍛錬』に取り組んでいたことを示す証拠がある。そして、これは生まれつきの才能という要素を加えるより簡素な説明である」。
② 「究極の鍛錬」を過小評価する人々
他の研究者たちは、偉業についての独自の論文は提唱していないが、どのような説明であれ、「究極の鍛錬」はせいぜい最小限の要素にすぎないと主張している。彼らの研究の中でもっとも著名なものは、このテーマに関する研究のメタ分析であり、1万1135人の参加者を対象とした88の過去の研究の調査報告である。
著者の目的は、「『究極の鍛錬』が研究されてきたすべての主要な領域」を調査することであり、その結果、「究極の鍛錬」はあまり重要ではない、たとえば音楽家ではパフォーマンスの違いについて21%しか説明できず、スポーツ選手ではわずか18%しか説明できないと結論づけた。研究の結論はこうだ。
「『究極の鍛錬』は重要だが、これまで議論されてきたほど重要ではない」
究極の鍛錬ではないほとんどの訓練はすべてを達成しない
エリクソンがすぐさま指摘したように、このメタ分析の問題点は、実際に「究極の鍛錬」を調査した研究がほとんど含まれていないことである。このトピックに関する基礎研究の重要な洞察が「現在の『訓練』の定義は曖昧である」としているのを思い出してほしい。人々は通常多様な種類の活動を「訓練」と呼んでいる。
しかし、「究極の鍛錬」は、これまでみてきたように非常に具体的に定義されており、私たちのほとんどは、自分で考案した究極の鍛錬ではない訓練を行い、そこからほとんど、あるいはまったく利益を得ていない。なおかつ、メタ分析の中には「究極の鍛錬」に言及していない研究もあり、その基準を満たさない訓練を調査した研究も多い。
もしこのメタ分析が何かを証明しているとすれば、それは「究極の鍛錬」推進派の調査結果や、私たち自身の人生における経験と一致しているように思われる。それは究極の鍛錬ではないほとんどの訓練は何かを達成するがすべてを達成するわけではないということだ。
<本稿は『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
【著者】
ジョフ・コルヴァン(Geoff Colvin)
フォーチュン誌上級編集長。アメリカでもっとも尊敬を集めるジャーナリストの一人として広く講演・評論活動を行っており、経済会議「フォーチュン・グローバル・フォーラム」のレギュラー司会者も務める。1週間に700万人もの聴取者を集めるアメリカCBSラジオにゲストコメンテーターとして毎日出演。ビジネス番組としては全米最大の視聴者数を誇るPBS(アメリカ公共放送)の人気番組「ウォール・ストリート・ウィーク」でアンカーを3年間務めた。ハーバード大学卒業(最優秀学生)。ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスでMBA取得。アメリカ、コネチカット州フェアフィールド在住。本書はビジネスウィーク誌のベストセラーに選ばれている。
【訳者】
米田 隆(よねだ・たかし)