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私たちはなぜ「推し」に、こんなにも熱くなれるのか

 昨年、アニメ化され人気に火がついた『【推しの子】』(おしのこ)。『週刊ヤングジャンプ』で2020年から連載中の漫画です(原作:赤坂アカ、作画:横槍メンゴ/集英社)。

 主人公が「推し」のアイドルの子供に生まれ変わるという転生ストーリーとサスペンス要素、芸能界の闇に切り込むなどの独創性が話題となり、テレビ放送のほか主要な動画配信サービスで配信され、YOASOBIによる主題歌『アイドル』は世界的なヒットになりました。

 今年4月もTVアニメ放送1周年を記念して渋谷駅で大型広告が展開されたり、回転寿司チェーン「スシロー」とのコラボが発表されるなど、まだまだ人気は広がっていきそうです。

 人気漫画・アニメのタイトルに入るほど「推し」とは一般的な言葉になりましたが、そもそも「推し」とは何なのでしょうか?

「オタクあるある」から「なぜそうしてしまうのか」の考察まで、その笑いも涙もすべてを書いた『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』よりお届けします。

『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版) 横川良明
『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』

今、みんな誰かを推したがっている

 いつからでしょうか。応援している対象のことを、人は「推し」と呼ぶようになりました。もともとはアイドルグループなどで自分のイチオシのメンバーを「推しメン」と称することから始まったこの「推し」という言葉。古くはモーニング娘。の頃から使われているという説もありますが、一般的には2000年代中盤から後半にかけて、AKB48グループの台頭と共に市民権を得るようになりました。

 当初はアイドル界隈のみで使われるスラング的な意味合いだったものが、その使いやすさ呼びやすさから、多ジャンルへ爆発的に浸透。今や「推し」は現代用語としてすっかり定着した感があります。

 みなさんには推しがいますか?

 たとえば推しがいるだけで、心は強くなれるし、何より大切なものに気づかせてくれるのです、True Heart。

 今までだっていろんな芸能人の方がいて、それぞれにたくさんのファンがいました。にもかかわらず、なぜ今こんなにも「推し」という概念が脚光を浴びているのか。その理由は、この「推し」という単語そのものに隠されている気がします。

 そもそもなぜ「応援する」ではなく「推す」なのか。まず「応援する」と「推す」の違いから考えてみましょう。

 「応援」とは読んで字のごとく「援(たす)ける者」と「応える者」、この二者によって成立しています。一方、「推す」とはつまり「推薦する」こと。この「推し」という言葉には、ファンと芸能人の二者にとどまらず「推薦される」第三者の存在が含まれています。

 単に対象に声援を送っているだけなら「応援する」で事足りる。第三者に推しの良さを語り、あわよくば好きになってもらいたい。この布教精神が、自己完結型の「応援」とは異なる熱狂を生んでいるのです。

「共感」から広がる推し文化

 では、なぜこんなにも僕たちは好きな人のことを第三者に広めたいのか。それはもちろん推しのことを知っている人を増やしたいというファン心理もあるでしょう。が、もっとシンプルに言うと、好きな人や好きなものについて話すのは、それだけでめちゃくちゃ楽しいことだからです。

 自分は誰が好きで、その人のどんなところが素敵なのか。言葉にするだけでドキドキするし、聞いている方もアドレナリンがガンガン出る。修学旅行の夜の告白タイムと同じです。「よし子、杉崎くんのことが好きなんだって」とクラスメイトの恋愛模様を聞いたときの、胸から立ちのぼる甘酸っぱい気持ち。

いくつになっても僕たちは、こと好きな人やものに関しては、布団をかぶって声をひそめて友達同士こっそり打ち明け合った10代の頃と何も変わらないのです。

 インターネットやSNSが発達し、自分の意思とは関係なく人の不満、愚痴、陰口などを浴びせられることが多くなった現代社会。知らず知らずのうちにネガティブな感情に汚染されることがあります。あまりにも否定的な言葉に侵食されると、毒素がたまって、身も心も重くなりがち。

 そんな中で、好きなものを語ること。愛のある言葉にふれること。それは、悪意と嫉妬とマウントが充満する現代社会における最高のデトックス。ネガティブな感情に対抗する最も有効な手段が、好きの「共感」です。同じ想いを持つ者同士、「共感」し合うことで、僕たちは胸の内にある愛をさらに膨らませているのです。

 特にSNSが定着して以降、シェアする/されるという行為が、僕たちの日常で当たり前のものになったのも大きいと思います。単に推しを愛でて終わりではなく、その愛を他の人と共有する。そんな「共感」というつながりの形成が、今日の推し文化の発展に多大な影響を与えました。

生きている実感を得にくい時代だからこそ、推しが必要

 さらに「推し」という言葉には、他者に語り広める「布教」のニュアンスのみならず、推しに貢ぐことで、第三者にこの人は数字を持っていると認識させ、推しの芸能活動を支える「献身」の要素も多分に含まれています。この「献身」もまた今日(こんにち)の推し文化を語るうえで欠かせないキーワードのひとつ。

ぶっちゃけ、僕たちは誰かの役に立ちたいのです。普通に生きていても、人の役に立てている実感を得られることは稀まれ。

 もちろん仕事をしていれば、何かしら社会に貢献しているでしょうし、家庭のある人は何らかのかたちで家族に貢献を果たしています。が、それを確かな実感として得られることが頻繁にあるかと言えば、そうでもないのが悲しい現実。ありがとうなんて言われることは滅多にないですし、奉仕したところでちっとも報われた気がしない。

 自分はなんでここにいるんだろう。誰が必要としてくれるんだろう。そんな寂しさや徒労感がいつも胸の奥底にひそんでいる。だからこそ、推しの「数字」になることで、わかりやすく自分の存在意義を確認できるのが、推し活の喜びのひとつでもあります。

 これだけ通った。これだけ課金した。お布施を払えば払うほど、確かにいろんな特典はついてきます。でも、そんな見返りよりも、そうやって推しが売れていくことで、推しの夢が叶う方がうれしい。

 いつか推しが大きくなったとき、その山あり谷ありの道のりのどこかに、自分というタイルが埋まっていて、少なからず推しが今立っているその場所の礎いしずえになっているなら、それだけで自分という人間がいた意味を感じられる。生きる理由を感じにくくなった現代社会で、推しは自分の居場所を与えてくれる存在。だから、みんな誰かを推したくてしょうがないのです。

 これが戦国時代とかだったら、そんな甘いことは言ってらんねえ。四の五の言ってねえで敵の首取ってこい。でなきゃ、こっちが討ち死にだという世界です。生きる理由とか探してられない。

 けれど、ありがたいことに、今の僕たちの日常は細々(こまごま)とした問題はあれど、桶狭間に放り込まれた雑兵(ぞうひょう)のように、生きるか死ぬかの切迫感はほぼなくて。信長ですら人間50年とか言ってるのに、こちとら人生100年時代です。

そういう何もしなくても普通に生きのびてしまうことの多い成熟社会で正気を保って生きていくには、何かしら自分の価値を認識できないと無理。それがなかなか日々の生活では感じられないからこそ、自分はここにいるんだ、ここにいていいんだと思わせてくれる存在として、推しは求められている気がします。

<本稿は『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock


【著者】
横川良明(よこがわ・よしあき)
1983年生まれ。大阪府出身。2011年、ライターとして活動開始。2018年、テレビドラマ『おっさんずラブ』に夢中になり、あり余る熱情と愛を言葉に変えて書いた「note」が話題を呼び、そこからテレビドラマから映画、演劇までエンタメに関するインタビュー、コラムで引っ張りだこのライターとなる。男性俳優インタビュー集『役者たちの現在地』が発売中。

『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版) 横川良明


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