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居酒屋?割烹?「和食と自然派ワイン・熱燗の店」酒井商会の異色なのに王道な生き方〜連載第7回
みなさん、こんにちは。
食のディレクター
山口繭子と申します。
『エル・グルメ』や『婦人画報』で
エディターとして働き、独立。
今は食にまつわるあれこれを
企画したり、書いたり
編集したりしています。
この連載では
そんな仕事を通して私が出会った人々、
とりわけ
「料理を通じて己を表現する人=シェフ」
を毎回、紹介していきます。
2024、飲食店倒産件数が過去最多
2025年1月、
ショッキングな記事が目にとまりました。
「帝国データバンク」が発表した
飲食店の倒産軒数のニュースです。
2024年は過去最高の894件を数え、
最たるものが居酒屋だったという話。
コロナ禍を脱したのに?
インバウンド需要が顕著なのに?
どこに行っても賑わっているのに?
私、こんなに外食しているのに?
いくつもの「?」が
頭の中に浮かんできました。

「酒井商会」の勝ち方を知りたい
この連載では今まで
さまざまなシェフの思いや葛藤を
ご紹介してきました。
どちらかといえばそれは
オンリーワンでいるにはどうすれば?
オリジネーターになるにはどうすれば?
そんな目的を持つ
記事が多かったと思います。
ですが、今回はそれにプラスして
健全で着実な成長を歩む料理人の
ビジネスセンスについて
聞いてみたいと考えました。
そこで連絡したのが
渋谷の「酒井商会」や
恵比寿の「創和堂」など、
人気居酒屋を営む
料理人の酒井英彰さんです。
2018年の「酒井商会」オープン時は
「和食と自然派ワイン&燗酒」がコンセプト。
当時としてはレアなテーマで、
明快な味わいを持つ和の料理と
センス抜群のワインやお酒、何よりも
温かな店の雰囲気が話題をさらい、
2020年に開けた「創和堂」と共に
にぎわいの絶えない人気店です。
訪れた日も、ほぼ満席。
料理とワインに舌鼓を打ちつつ
飲食店受難時代って本当かなぁと
ぼんやり考えるほどでした。

1.自分なりの勝ち方を定める
さて、後日。
仕込みを始める前のお店を訪ね
酒井さんに話を伺いました。
時代に負けず「勝って」いるように
見える酒井商会の勝因ってなんですか?
うーん、と言いながらも
言葉を選んで話し出す酒井さん。
店側に立って言えば、まず
自分たちの“勝ち方”はどんなものかを
考えることが大切なのかなと思います。
例えばニューヨークや
ロンドンに見られるような
高級レストランの大型店舗。
100席を超える店で
一人当たりの客単価300ドル、
それがランチもディナーも
2回転するのがザラとなると、
それはもう大きな稼ぎになりますよね。
逆に昨今の都心部などで顕著な例を挙げると、
鮨店や天ぷら店かな。
大将1人とアシスタント1、2名で
カウンター8席のみ、みたいな店。
一人当たり5万とか10万とかのコースを
夜に2回転ほど営業する
“予約の取れない店”として話題になれば
まぁまぁ、すごい展開になるでしょう。
でも、これらは極端な例。
昨今の日本で言えば
人材難(雇用難)に食材費、
水道光熱費の高騰、円安、
店の決済等のデジタル化に費用がかかり、
そしてなんといっても飲食店数が多い。
一般的に客単価が低めの
居酒屋には受難の時代だと思います。
なので「酒井商会」は
実は居酒屋であることにこだわっていません。
逆に、そもそものスタート時から
居酒屋然ともしていませんでした。

2.競合店の多さに独自性で挑む
ここで少し、
私の個人的な見解を添えると
日本という国の飲食業界の特異さは
実はあまり知られていないと思います。
なんといっても圧巻なのが店の数。
日本全国には
約70万軒の飲食店が存在すると言われ、
東京だけでも15万軒強。
(※厚生労働省大臣官房統計情報部
「衛生行政報告例2021」より)
これは他国と比べても相当なものです。
飲食への意識の高さはもちろん、
飲食業への参入のしやすさ
という条件面もあるかと思います。
例えばフランス、パリなどでは
飲食店を営むことに対し、
国からの許可がなかなか下りないと聞きます。
しかし日本は他国に比べ
飲食店開業の最初のハードル自体は低い。
世界有数の飲食店激戦国である日本は
苦労してコロナ禍を超えましたが
その後に、空前の円安と
止まらない少子化による
深刻な人材難が待っていた。
淘汰の時代に入ったともいえそうです。
そんな中、「酒井商会」は
居酒屋というよりは
“和食と自然派ワイン・燗酒”という
酒井さんが純粋に
こんな店があればいいのにな
と考えていたスタイルで勝負をかけました。
そしてこの店に訪れる客も同様に
単に飲みたいからくるわけではなく
「酒井商会にしかないスタイル」
を求めてやってきます。
3.現代の利点を最大限に活かす
「現代の恩恵は利用した方がいいと思います」
と酒井さん。
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飲食業界は前途多難とはいえ、
働き手にとっては選択肢が広がりました。
僕が飲食業界に入った時とは別世界です。
僕は大学1年生の時に
サーフィンが大好きになって
卒業後はワーキングホリデーで
オーストラリアに渡りました。
サーフィンするために、
夜、レストランで働き始めたのが
飲食業界に入ったきっかけです。
帰国後は湘南のフランス料理店、
次に東京の飲食企業に入り、
そこでは料理長として
店の運営にも携わりました。
和食に惹かれて
渋谷の「並木橋なかむら」に入ったのが
30歳を超えてから。
3年間勤めたところで
今の店のコンセプトを思い立ち
一念発起して独立しました。
でも、今思えばちょっと無鉄砲だった。
もう少し修業してからの方が
よかったかとも思いましたが、
でもすでに、30代半ばでしたからね。
逆に今なら、情報収集にしても
国内外とのコミュニケーションも
選択肢の広さは比べものになりません。
無我夢中で修業し、頑張った時代があり
それらが無駄だったとは思いませんが
身の回りにある環境や情報などは
感謝してフルに活用するという姿勢が
とても重要だと考えています。

4.“一本道”が常に良しとは限らない
創業以来7年間、順風満帆に見える酒井商会。
ですが、話を聞いて分かったのは
酒井さんという人は若い時分から
飲食業界をさすらうように
大きな変化の中、生きてきたということ。
長い料理人人生ながら
和食料理人としてのキャリアは
30歳で「並木橋なかむら」から。
今年でようやく10年というのも
不思議な気がします。
なぜなら、居酒屋といっても
酒井さんの料理には
芯の通った日本料理の粋があるから。
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「酒井商会」で食事をすると
居酒屋や割烹などの識別が無意味に思えます。
(注:割烹とは、料理人が客の目の前で
料理をして提供する、カウンターやテーブル席の
比較的小さな店を指すことが多い)
器といい、料理といい食材といい、
ここはどっち?の問いに答えが出ない。
居酒屋ってなんだろう?
和食店ってなんだろう?
ただ、一つ言えるのは
現在のスタイルを形作るにあたり
オーストラリア、鵠沼のフランス料理店、
勢いに満ちた飲食グループ企業、
そして今も尊敬してやまない修業先の店。
そのどれが欠けても
「酒井商会」はなかったということです。
5.ロケットの発射台は角度が大事
でも「ジャンル」って重要かなと思います。
例えば今って、
高級な日本料理店に行っても
締めの一皿としてカレーとかラーメンが
出されたりすることがあります。
もちろん、すごくおいしく
プロフェッショナルに
仕上げているのですが、
昔なら考えられませんでした。
うちは居酒屋と呼ばれていますが
料理自体は割と
ブレの少ない正統派和食が多いです。
居酒屋っぽいといえば
「雲仙ハムカツ」なども人気ですが、
魚料理や野菜のあしらいなどは
星付き店にも負けない
クオリティーを持つと自負しています。
アラカルトで出せば居酒屋なのか?
最初に「うち、割烹です」っていえば
割烹だったのか?
その答えは出ないものの、
いちばん大切だと思っているのは
“ロケットの発射台の角度”です。
店を出す時に最初に決めることは
たくさんありますが、
立地や価格帯、メニューなどの条件があり
そこにコンセプトという角度を設ける。
この角度は、いわば
ロケットの発射台のそれに似ています。
これを間違えると、
どんなに頑張って料理を出してサービスしても
きちんと店が希望の場所に着地しない。
飛んでいかないんです。
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6.センス磨きとビジネスマン魂
「和食と自然派ワイン・燗酒の店」
というコンセプトを掲げて
ロケットを放った酒井さんは、
時に“角度”に微調整を加えながらも
懸命に育ててきたそうです。
常に現場に入って必ず厨房に立ち、
その一方では
足繁く京都の和食店に通い
料理の研究を続けて。
食材や酒の生産者はもちろん、
器作家との交流も増えて
店で使う器は
創業時とはほぼ全部変わりました。
いわば、これらが
料理人としてのセンス磨きであるなら、
酒井さんは並行して
ビジネスマンとしても店を磨き続けました。
「理論原価と実際原価」
なんていう用語を
ごく普通に語る料理人は
あまりいないと思いますが、
酒井さんにとっては日常。
「MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)」とか
「PL(損益計画書)」、人事評価制度などに、
「酒井商会」「創和堂」を
ブランドに育てるべく、
じっくりと取り組んできたのです。
これは前職の飲食グループ企業での店長時代に
叩き込まれたといいますが、
同時に自らがカバーできない部分、
例えば人事評価制度の導入や
お金の流れを司る部分については
外部のプロと連携して
一企業としての形を作り上げました。
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7.「利益」を絶対に諦めない
東京で、居酒屋の客単価って
いくらが妥当だと思いますか?
うちは今、1〜1.5万円くらい。
居酒屋としては高い方です。
ですが、ご存知の通り
昨今の物価上昇はすさまじい。
いい食材を使って料理して
優秀なスタッフと働き続けたい。
……となると、どうすればいいのか
考えなくちゃいけません。
価格を上げるのか?
席数を増やすのか?
多店舗展開するのか?
他にも、
物販を始めるとか
他店舗や商品の
外部プロデュースをするとか
コンサルを請け負うとか、
僕だけじゃなく、ライバルの料理人たちも
きっとみんな、苦労しているはずです。
いつもにぎわう人気店の店主、酒井さん。
そう思っていたのですが、
彼もまた、もがいていました。
ここまでの7年間は成功しても
これからを考えるとき、
すでにもう今こそが
変わらなくちゃいけないタイミング。
臆さず次に進む、未来に怯まない。
そのためにできることを
常に考えている
それが酒井さんという人です。
8.世界を見る、目指す
取材の最後に驚くような話が出ました。
来月、1ヶ月店を閉めます。
ニューヨークを見てきます
というのです。
ニューヨーク店を出すんですか?!
「まだ何も決まってませんよ」
と笑いながら酒井さんは言いますが、
ちょっと目は本気でした。
聞けば、出店の依頼が来ているそう。
これまで国内で何度も誘いを受け、
その都度断ってきた酒井さん。
コンサルやプロデュースはしつつも
自身の出店にはとても慎重です。
前述したように
居酒屋が生き残る道は険しい。
価格アップか多店舗展開か、に加え
海外経験と英語力を持つ酒井さんには
ビジネスセンスを活かす意味でも
ニューヨークは現実味のある話と思えます。
ビジネス面で魅力ある海外市場ですが
何よりも、海外の街に
僕が手がける居酒屋があるなんて
楽しいなと思うんです。わくわくします。
世界一の居酒屋を目指すのは
今の自分には大それた夢ですが
目指す価値があるんじゃないかと。
この人にしてこの皿あり。「酒井商会」の場合
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もちろん、海外進出が
飲食業界の現状を救う手だなんて
そんなシンプルな答えではないと思います。
が、居酒屋レッドオーシャンの国を
外から眺めてみることは、きっと意義ある話。
もしニューヨークに行ったら
ここはクローズしちゃうんですか?
「酒井商会」のファンとしては
わくわくしつつも少しため息です。
ところが酒井さんは
閉めないです、たぶん、と言う。
「酒井商会」っていうのは
福岡で祖父が営んでいた
自動車部品を扱う会社名です。
父も福岡で広告印刷業をやってた。
おじや母も含めて
うちはみんな自営業の家でした。
この場所は今後も
例え週に1回、月に1回程度しか
営業できなくなったとしても
「酒井商会」として残しておきたいな
という気持ちがあるんです。
世界で勝負する時のブランド名は
「創和堂」でいこうかな、と。
いや、それでも酒井さんのことだから
気持ちも目標もまた変わるかもしれません。
ですが、変化を繰り返すことこそが
これからの飲食業者にとって
成功へと突き進む
唯一のモチベーションではないのかと
そんな仮説を信じたいと思います。
酒井さんのIZAKAYAを味わいに
いつか旅ができたらと願ってやみません。
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酒井商会
東京都渋谷区渋谷3丁目6−18 2階
電話:050-1807-6914
HP:https://sakai-shokai.jp/
酒井英彰さん
福岡県出身。父親の影響で高校卒業までは野球一筋。福岡県内の大学に入学後はサーフィンの奥深さに目覚め、サーフィン漬けの学生時代を過ごす。卒業後はワーキングホリデーを利用してオーストラリアへ。昼はサーフィンに明け暮れ、夜は生活のためにレストランでアルバイトを続けていたところ、今度は料理に目覚める。2年後に帰国し、湘南のフランス料理店に勤める。その後「ゼットン」に入社し東京へ。ハワイアンレストラン「アロハテーブル」料理長などで5年間務め、30歳で「並木橋なかむら」に入店。和食を学び、2018年に独立し「酒井商会」を創業。2020年には姉妹店となる「創和堂」開業。2023年には渋谷に発酵と薪火料理の店「SHIZEN」開業。
写真(料理)・文/山口繭子
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(ハースト婦人画報社)を経て独立。現在、レストランやホテルのディレクションやコンサルタントを行う。ファインダイニングから角打ち居酒屋まで、食愛のキャパシティーはかなり広いと自負しつつも、胃袋と肝臓のキャパを労わりたいと願う今日この頃。https://www.instagram.com/mayukoyamaguchi_tokyo/