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佐賀→フランス→銀座 小学生からの夢を叶えた「27歳フランス料理人」の揺るぎない信念〜連載第6回

みなさん、こんにちは。
食のディレクター
山口繭子と申します。

『エル・グルメ』や『婦人画報』で
エディターとして働き、独立。

今は食にまつわるあれこれを
企画したり、書いたり
編集したりしています。

この連載では
そんな仕事を通して私が出会った人々、
とりわけ
料理を通じて己を表現する人=シェフ
を毎回、紹介していきます。


これがパテアンクルートか!!!

この連載を読んでくださっている
みなさまはおそらく、
レストランが大好き。
そうに違いありません。
私だってもちろんそうです。
が、ちょっとこの写真をご覧ください。

工芸作品ではありません。故宮博物館に展示されている翡翠製の肉のオブジェでもありません。これはパテアンクルート。クラシックフレンチを代表する料理で、パテをパイ生地で包み焼きにしたもの……って簡単に言えないほど、非常に手間がかかりしかも素人だと失敗率も高い、いわば“フランス料理の超絶難関プラモデル”的な存在です。

この見事な
パテアンクルートの作り手は
「現代茶寮 銀座凮月堂」の
槙 紫音シェフ。
27歳になったばかりの
フランス料理人です。
一人分に切り分けた
ディテールもご覧ください。

もはやフードだと思えない、美しき90°

触ると鋭角をはっきりと指先に感じさせるような、美しい90°のエッジに注目! 外側のパイ生地はサクサクと香ばしく、中のパテはしっとりとやわらか、それでいて本州鹿や蝦夷ヒグマ、フォアグラの多彩な食感や香りを感じさせる仕上がり。パイ生地とパテの間にはジュレが行き渡り、1ミリの隙間もなく完成しているのには、もう食事しながら拍手贈りたくなるくらい。

槙シェフのことは
友人のジャーナリストが
教えてくれました。
クラシックフレンチで勝負する
すごい26歳(当時)がいるよ。

クラシックフレンチ、つまり
ずっと受け継がれてきた
伝統的かつ正統派フランス料理。
なんでクラシック?
これだけ多様性が尊ばれ、
次々に新しい調理法や食材が
脚光を浴びている
現代の飲食業界において、
20代のシェフが
ソースとかパイ包み焼きとか
重々しくも長い歴史を持つ
クラシックフレンチに傾倒って?

自分でも
そこに惹かれる理由が
よくわからないや。
……と思いながら訪れたのが
「現代茶寮 銀座凮月堂」でした。

モダン空間で展開するクラシックフレンチ

「現代茶寮 銀座凮月堂」の店内。槙シェフが調理する目の前に陣取ることができるカウンター席の他、テーブル1卓と小さな個室が1つ。料理を槙シェフが担当し、ソムリエの中山陽弘さんやバーテンダーの成瀬憲史さんが自らの専門業務を担当。そして3人でサービスも行う。

初体験、そして
すぐに待ちきれずに
2回目を味わった
槙紫音シェフの料理は、
なるほど確かに
クラシックフレンチです。
それもしっかりとした正統派。
ですが、どうしても私には

新鮮! そして斬新!

に映ります。なぜ?
その答えは
食事の際に手渡された
メニュー表にも
表れているのかもしれません。
現在のトレンド店では
あまり見ることのないワード、
例えばラヴィゴットソース、
ソースデュグレレ、
ソースグランヴヌール
など
フランス料理の教科書に
出てきそうな名称の
オンパレード。
何百年もの歴史があるのに
今は出合うことの少なくなった
クラシックフレンチの粋に萌え、
帰りの電車の中で
一つ一つの由来を
Google先生に確認するのが
本当に楽しい時間でした。

なぜ私は萌えてしまうのか?

調理中の槙シェフ。カウンター席に座ることができたら、その様子を間近に見ることができる。私は少し離れたテーブル席だったけれど、最初は無口だったカウンター席の客は途中から好奇心が爆発。槙シェフを質問攻めにしていて、ちょっと離れたところで私が勝手にそれをメモするという不思議なインタビュー取材に(後からお礼を言いました)。

取材時、
槙シェフに伝えました。
なぜ私はこんなにも
槙さんの作る料理に
反応してしまうのでしょうか?
槙シェフはそれに対し
「僕、教科書通りの
フランス料理を作ってる
だけですけどね笑」

という返事。

今って、料理界はかなり
飽和状態にあると思うんです。
新しいものも生まれているけど
SNSやインターネットで
あっという間に拡散されて
そして消費されていく。
そんな中で
僕は小学生の時から
フランス料理のシェフに
なりたいと思ってやってきた。
素晴らしいレストランで
修業もさせていただきました。
そんな僕が今、
シェフとして店をやるのに
どんな料理で勝負すれば良いだろうか?
修業した店の料理を
なぞるだけなら失礼だし、
トレンド要素を集めて料理するなら
もうすでにそんな店は山ほどある。
僕が最初に魅了された
フランス料理の真髄を
未来にもちゃんと伝えられるように
クラシックフレンチをやろう。
最初から、迷いはありませんでした。

槙シェフ談

“料理界の東大”と呼ばれる
「エコール辻」を卒業し、
リヨンにある辻調グループ
フランス校を首席で修了。
念願だった
フランス料理の老舗三つ星店
「トロワグロ」で研修。
帰国後ももちろん
フランス料理店勤務を継続。
「スプートニク」(六本木)、
「ロオジエ」(銀座)と
星付きレストランで
修業を続けました。
経歴を知ると
ちょっとたじろぐのですが
そんな槙シェフは
研修・修業した3店の
カラーとも異なる
“ザ・古典”なクラシックフレンチを
自らの料理人生の骨格にすべく
丹念に研究しています。

「○○出身」と透ける料理は目指しません

フランス、リヨン郊外のレストラン「トロワグロ」。フランス料理界を代表する名店としても知られていて、現在のシェフは3代目。ミシュランガイドフランス版の三つ星を50年以上ホールドしているなんて、もはや神。以前は東京にも出店していて(現在は閉店)、そこを出た料理人たちは現在、多くのホテルやレストランで花形シェフとして働いている。

槙シェフが参考にするのは
古い料理文献。
そしてインターネットや
SNSから得られる
数多くの
クラシックフレンチの情報です。
長くこの世界で生きている私には
ちょっとイヤな趣味がありましてね。
初めて行くレストランでは
料理のディテールに
シェフの系譜を嗅ぎ取るのが得意
……だったのです。
ところが
槙シェフの料理からは
彼の過去が読み取れません。
わかるのは、
圧倒的な技術力と知識。
そして
古典に対する飽くなき好奇心。
実際、槙シェフ本人も
「僕の料理から
過去の修業先が透けて見える。
そんなふうには
したくないなと思ってます」
と言います。

「トロワグロ」研修時代の槙シェフ(右)。童顔(失礼!)ながら頭の中には幼い頃から温めてきた未来へのビジョンがしっかりとあり、たった1年のフランス暮らしの中でも、「辻調グループフランス校を首席で卒業し、三つ星レストランで研修する」という譲れない計画をしっかりと敢行。

僕は佐賀県の
吉野ヶ里遺跡のある町に
生まれ育ちました。
会社員の父親と
介護福祉士の母親との間の
一人っ子で。
友達は多かったけれど
それ以上に
図画工作が大好きでした。
粘土細工をやりたい、
絵を描きたい、
写真を撮りたい、
ロボットを作りたい、
そんな思いがいつしか
料理を作りたい
に変化していったんです。

槙シェフ談

フランス料理という歴史の一部になる

コロナ禍あたりから、自分の料理を見つけたいという思いから、夜毎自宅でクラシックフレンチに着手。単身者向けマンションの狭いキッチンで取り組む独学のフレンチ修業は、槙シェフの未来への扉を静かに開いていった。「まだ全然下手くそもいいところ」と槙シェフが笑って見せてくれた、2020年頃の習作。おいしそうですけどね。でも確かに今の料理とビジュアルが違います。

インタビューしていて
気づいたのは、
槙シェフの時間軸が
人とちょっと違うということ。
長尺を俯瞰している感じがします。
それは、メジャーリーグで活躍する
大谷翔平選手が描いた
ライフプラン表を
彷彿とさせます。
小学生から料理人を目指し、
中高一貫の進学校在学中は
脇目も振らず
シェフになるための勉強に勤しんだ。
(進学先に料理学校を選んだのは
現在のところ槙シェフのみだとか)
フランス修業、東京修業、
そして2023年のシェフ就任。
ですが、まだまだ先があります。

僕がなぜ
初めて店に来てくださる
お客様に必ず
パテアンクルートを
お出しするかというと、
この料理の中に
僕の存在する意義や
クラシックフレンチからの
大切な問いかけがあると
思っているから。
だって、パテアンクルートって
下準備にむちゃくちゃ
手間と時間が
かかる料理なんです。
しかも中世から
脈々と受け継がれてきた
すごい料理なんですよ。
これはつまり、
継承に次ぐ継承が
連綿と続けられてきたという証。
「継承」って、
理解できない人にとっては
単なる模倣、真似の一種
なのかもしれないんですが、
フランス語には
オマージュという言葉があります。
敬意を持って
愚直に伝え続けていかないと
この素晴らしい伝統が
途絶えてしまう。
そんなことを考えたら、
僕はフランス料理という
偉大な歴史の正しい一コマとなり
過去の料理人が残してくれた
宝物の数々を
きちんと未来に伝えないと。
クラシックフレンチで勝負するのには
そんな思いがあるんです。

槙シェフ談

そういえば
初めて私がここで食事した際、
カウンターのお客様が
槙シェフに質問をしていました。
「なんでクラシックフレンチを?」と。
それに対してシェフは
20代半ばの僕が
真剣にクラシックフレンチに
取り組んだら
50歳くらいになった時に
どんな料理が
作れるようになるんだろう。
そう思ったら
なんだかワクワクして

と答えていました。
この話をこっそり聞いた私は
「こういう料理を手がけるシェフって
確かに人間国宝みたいな
重鎮シェフが多いよな。
新時代の若手料理人が
クラシックフレンチを極めたら
それはもはや
古典ではなくなるんじゃ?
と思ったのでした。

この人にしてこの皿あり。「現代茶寮 銀座凮月堂」の場合

「北海道根室産 帆立のポワレ ソースデュグレレ」は、新鮮な帆立に火を通し、ソースデュグレレをどっさりとかけたもの。ソース・デュグレレは、1800年代初頭に活躍した料理人、アンドレ・デュグレレの名から。「料理界のモーツァルト」と呼ばれた人で、バターを焦がした風味にハーブやエシャロット、白ワイン(槙シェフはシャンパンを使用!)を合わせた酸味あるソースは200年以上経った今でも魅力がまったく褪せない。中世フランスと今を繋ぐ美味なんです。

フランス料理を伝承する
正しい1個のピースになる

と決めた槙紫音シェフ。
星付きレストランで学んだ技術は
大いに用いつつ、
作る料理はクラシックです。
ですが、
注意して眺めてみると
やはりそこは令和の20代。
ネクスト世代の創意工夫や情熱が
たくさん宿っているのに
気付かされます。
例えばカウンターの初対面ゲストが
料理に興味津々の様子なら
「あえて肉料理は断面を見せずに仕上げ、
シズル感からではない
好奇心にお応えできるよう
ご説明したりします」とのこと。
リピーターのゲストであれば
パテアンクルート以外の前菜を出し、
他の引き出しも見てもらうように
工夫するといいます。
一斉スタートではありますが
数名のゲストに
異なる料理を同じタイミングで出すのは
なかなか労力のいる仕事のはず。

せっかく来ていただいたんですから
うちの店を覚えていただきたいし
クラシックフレンチを
今より好きになっていただきたい。
大昔から伝わる料理が
うちのベースではありますが、
やはりそこに
今を生きる僕の考えやセンスが
のっているはずです。
それに、日本という
四季のある食材豊かな国なので
クラシックフレンチでありながら
使う食材の数々は
日本の自然の恵みを宿しています。
うちでしか体験できない味わいを
お客様に楽しんでいただけるように
これからも努力します。

槙シェフ談

グランメゾンを作りたい

そんな槙シェフの思考は
彼の個人インスタグラムからも
透けて見えます。
「エコール辻」を卒業して
フランスに羽ばたいた後の努力や
東京生活やコロナ禍での疲れや迷い。
クラシックフレンチという
新たな軸を見出したストーリーも
ドラマを観るような思いで
見入ってしまいました。
プロフィール欄には
「旅の、途中」と書かれています。
その真意は?と聞いたら
いつか、日本が世界に誇れる
「グランメゾン」
(誰もが納得する名店)
を作り出せたら最高です、と、
即答してくれました。

 

現代茶寮 銀座凮月堂
東京都中央区銀座6-6-1 銀座凮月堂ビル 2階
電話:03-3571-2900
HP:https://www.instagram.com/gendaisaryou_ginzafugetsudo/ 

槙紫音さん
1997年佐賀県生まれ。幼い頃から図画工作をはじめものづくりが大好きで、小学校時代に料理人になることを決意。「エコール辻大阪 フランスイタリアマスターカレッジ」卒業後渡仏。辻調グループフランス校を首席で卒業した後に「トロワグロ」で研修。2018年の帰国後は「スプートニク」で修業。2020年に「ロオジエ」に入り、3年間ガルドマンジェ(前菜やデザートの盛り付けをメインとする)を務める。個人活動として月に一度、レンタルキッチンスペースにてフルコースのレストランを展開し、好評を得て多くのレストランから声をかけられるように。2023年7月、「現代茶寮 銀座凮月堂」シェフに就任。早々に「ミシュランガイド東京 2025」ではセレクテッドレストランに選出される。


写真・文/山口繭子
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(ハースト婦人画報社)を経て独立。現在、レストランやホテルのディレクションやコンサルタントを行う。ファインダイニングから角打ち居酒屋まで、食愛のキャパシティーはかなり広いと自負しつつも、胃袋と肝臓のキャパを労わりたいと願う今日この頃。https://www.instagram.com/mayukoyamaguchi_tokyo/