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「日本の母は家事をやりすぎ」の意見が示唆するヒント

 書評家・印南敦史さんによる『シン・スタンダード』(サンマーク出版)のブックレビューをお届けします。

 誰かが「海外ではこうだから」というような発言をすると、「でも、ここは日本だから」と反論したがる人は必ず出てくるものだ。気持ちはわからなくもないが、とはいえその手のツッコミはレベルが低い。

「海外ではそう」なのであったとしたら、私たちがすべきは屁理屈じみた反論ではなく、「では、どうするべきなのだろう」と考えてみることなのではないだろうか? そうすれば、必然的に視野は広がっていくのだから。そしてその結果、いままで見えていなかったものが見えてくるかもしれないのだから。

 同じことは、『シン・スタンダード』(谷口たかひさ/著、サンマーク出版)にもあてはまるだろう。環境活動家である著者の谷口たかひさ氏はここで「日本人だけがまだ知らない、世界の常識」と題し、“世界の常識”と“日本の常識”とを比較している。

『シン・スタンダード』(サンマーク出版) 谷口たかひさ
『シン・スタンダード』

 それは日本人にとっては多少なりとも、自分たちの価値観を否定されることになるのかもしれない。だから、ここでもまた、「でも、ここは日本だから」という反論が出てくることになる可能性がないとはいえないのだ。

 けれども、見落とすべきでない重要なポイントがある。ここに書かれていることの多くが、谷口氏の実体験に基づいているということだ。

 谷口氏は日本の大学在学中に、インターネットビジネスで起業したお金を使ってイギリスへ留学。卒業後は、さまざまな仕事に携わったのち、移住先のドイツで起業する。

 特筆すべきは、そんななかで気候危機の深刻さを実感し、発信や講演活動を開始したことだ。結果的には家を売ってホテルで暮らしながら各地で講演活動を続け、4年間で通算1700回以上の講演を達成したのだという。

 つまり、机上の空論ではないからこそ、個々のトピックには説得力があるのだ。

海外の文化や常識、または政治や環境問題への取り組みを知ってもらうことで、きっと自分が大事にしたい「価値観」に対する解像度は自ずと上がっていくはずだ。

(「イントロダクション」より)

 たしかにそのとおり。重箱の隅をつつくように難癖をつけるのは簡単だが、もっと大切なのは視野を広げることなのだ。

 とはいえもちろん、ここに書かれていることすべてに共感できるとは限らない。なにしろ人はそれぞれ違うので、それは当然の話である。しかし同じように、共感できる部分も発見できるはずだ。

 つまり、そこが「では、どうするべきなのだろう」と考えるための出発点となるのである。

日本のお母さんは家事をやりすぎ?

 谷口氏はかつてイギリスでホームステイをした際、イギリスのお母さんから「日本のお母さんは家事をやりすぎ」だと指摘されたのだそうだ。そのときには驚きを隠せなかったようだが、後日ドイツでも同じ話題が出たという。

というのもドイツでは、お母さんが料理に「火を使う」のは、晩ご飯の時だけだという(一切使わない日もあるとか)。
朝ご飯は、冷たいパンに冷たい具材を各々がはさんで食べたり、フルーツやシリアルだったり。
昼ご飯も、冷たいサンドイッチやフルーツを各々が持っていくだけ。

(18ページより)

 これも、少なくとも私にとっては“全面的に共感できること”ではない。そうなのかもしれないが、日本人には日本人のライフスタイルがあるからだ。それは、以下の記述についても同じ。

ホームステイをさせてもらったイギリスのその家庭では、掃除はしても月に1回か2回だった。
洗濯も、「バスタオルはかけていれば乾くから」と、週に1回くらいだった。
それに、食器洗いは、特大の容器に使い終わった食器たちを浸けておいて、使う時に使う人が使うものを洗う(浸け洗いで洗剤も最低限)というルールが敷かれていた。

(18〜19ページより)

 私は掃除も洗濯も毎日したいし、食器洗いも欠かせたくない。仮に上記のようなことをしたとしたら、私の妻も不満を口にするだろうと思う。その点については谷口氏も「『清潔感』に対する日本の要求水準が高い」と指摘しているが、だから、ここで紹介されているドイツやイギリスのような習慣を“そのまま“真似たい”とは思わないのだ。

 ただし、それは谷口氏の考え方を否定したいという意味ではない。それどころか、「考えてみる」ということについては大きく共感できる。

 たとえば、このことに関していえば、「お母さんの家事が減ったら、その結果、どういうことになるだろう?」と考えてみることができるし、そうやって思いを巡らせることはとても大切だからだ。

例えば、洗濯や食器洗いが減れば、水の使用量も減り、汚水の量も減るわけだし、料理で火を使うことが減れば、ガスの使用量も減るわけだから、
確実に環境にとっても良いことずくめである。

(20ページより)

 こうした考えを取り入れてみれば、ドイツ人やイギリス人のようにならずとも、当たり前だと思っていたやり方を少しずつでも変えられるかもしれない。また谷口氏のいうように、お母さんの家事が減れば、ある程度はお父さんや子どもがやらざるを得ないことも出てくるだろうから、子供の自立にもつながっていく可能性もある。

 だからこそ谷口氏は、家事の基準を下げてみるべきだと主張するのだ。それはお母さんを楽にするだけでなく、家族にも、ひいては地球環境のためにもなるからである。そういう視点でものごとを見てみれば、生活環境にはさまざまな疑問が隠れていることがわかるだろう。そしてそれらは、生活をよりよいものにするためのヒントとしても機能するのである。

海外では「What」よりも「Why」が大切

そのことに関連しては、谷口氏の以下の発言にも注目したい。ここ数年の感染症騒動と、自身のひさびさのヨーロッパツアーを経て、谷口氏はあらためて強く感じていることがあるというのだ。

「日本では“What(なに)”は教えるが“Why?(なぜ?)”は教えない」ということ。
ヨーロッパ中で、たくさんの“Why?(なぜ?)”に出逢った。

(241ページより)

彼は「気になりだすと納得できるまで気が済まない」そうなので、一般的な日本人とは少し違うのかもしれない。が、いずれにしてもそんな思いから質問をすると、ヨーロッパの人たちはみな“Because〜・(なぜかというと)”と、その理由を教えてくれたというのだ。

 その理由のなかには納得できないこともあったようだが(当然の話だ)、説明してくれるというだけで、多少なりとも納得感があったそうだ。ここは重要なポイントである。

 イメージしてみよう。日本では同じような状況になったとき、「ルールだから」「決まりだから」「そういうものだから」というような返答が返ってくることが少なくない。だが、そう言われながら育った子どもは、いつしか好奇心を削ぎ落とされて無気力になり、やがて同じことを口にする大人になってしまうかもしれない。

 でも、それでいいのだろうか? そこに疑問を抱くからこそ、谷口氏はこう主張するのだ。

僕は自分なりに考えた理由を説明できる大人でありたい。
ルールや決まりというものは、「全知全能の神様」が作ったものではない。「物が下に落ちる」みたいな、いわゆる「自然の摂理」のようなものでもない。あくまでも、人間が作ったものだ。
それなのに、その理由も分からないまま思考停止し、無闇に従い続けるのは危険ではないだろうか。

(242〜243ページより)

 そう考えるからこそ、“What(なに)”ではなく、“Why?(なぜ)”と考え抜いてみるべきなのだ。時間はかかるかもしれないが、そうすればやがて、自分なりの答えが出るはずなのだから。

 本書はそんな、“当たり前だけれど、当たり前すぎて誰もが忘れかけている大切なこと”を思い出させてくれる。

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock


【著者】
印南敦史(いんなみ・あつし)
作家/書評家/株式会社アンビエンス代表取締役
1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。「1ページ5分」の超・遅読家だったにもかかわらず、ビジネスパーソンに人気のウェブ媒体「LifeHacker[日本版]」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。その後、ほかのウェブサイト「NewsWeek日本版」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などでも書評欄を担当することになり、年間700冊以上という驚異的な読書量を誇る。著書に『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)のほか多数。

『シン・スタンダード』(サンマーク出版) 谷口たかひさ

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