「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた「命の次に大事なこと」
人道支援現場に10年。ハーバード大学の大学院で学んだ国境なき医師団日本 事務局長の村田慎二郎さんによる『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』(サンマーク出版)。
彼がスーダン、シリア、イラク、イエメンなどの世界の紛争地で考えた限りある「命の使い方」を6つのポイント(1.世界 2.アイデンティティ 3.夢 4.戦略 5.リーダーシップ 6.パブリック)で語った本書より冒頭の試し読みをお届けします。
世界の紛争地。
避難する人たちは、着のみ着のまま逃れてくる。
ようやく逃れてきても、
家はない。学校もない。でも、命はある――。
世界一過酷な場所で生き抜いていく人々がいる。
限りある命こそ、一番大事だ。
でも――。
この本を読める環境にいる僕たちは、
「限りある命」をどのように使っているだろう?
迷い、あきらめ、周りに流され、
いたずらにそれを消費していないか?
一度しかない人生、
自分の限りある命を使って
どのように生きるのか?
どのように死ぬのか?
これから一緒に考えていこう。
プロローグ
世界一過酷な場所で見つけた「命の次に大事なこと」
国際人道援助の最前線で僕が見てきたこと
駅のエスカレーターで、だれに言われるわけでもなく一列に並ぶ人々。
日が沈んだあとも、明るい街を自由に歩く女子学生。
無数の食品がキレイに陳列されているスーパーやコンビニ。
日本に帰国するたびに、逆カルチャーショックを受ける。
「国境なき医師団」に参加して18年。
その間、国際人道援助の最前線で命の「もろさ」と「強さ」の両面を目撃してきた。
スーダン、イラク、シリア、イエメン──。
世界のさまざまな紛争地での活動を通して実感したのは、限りある命こそがまず一番大切ということ。これは、間違いない。
では、命の次に大事なことは?
健康? 家族? 成功? お金?
どれも否定はしない。紛争地とは縁遠い、日本のような国に生まれ育った僕たちには、人生の選択肢がたくさんある。100人いれば、100通りの生き方がある。
だから、迷うのではないだろうか。
だからこそ、自分の未来をつくるための指針になるようなフィロソフィーが必要になってくる。
僕がこれまで世界の紛争地で出会った人たちには、生きる上で多くの制限があった。突然、命を奪われる現実があった。生きる上での尊厳を奪われる現実があった。
このあとの本文でお話しするが、アフリカのスーダン西部にある、ダルフール地方のある少年は「夢は外国人になること」と言う。また、中東のシリアで同僚だった医師は、SNSでイスラム原理主義者の批判をしたという、たったそれだけの理由で殺害された。
そんな世界の現実を目にすることで、この限りある命をどのように使うかという「命の使い方」こそが、生きていく上で重要だと感じたのだ。
ここで、僕の自己紹介も含みつつ、「命の使い方」についてより意識したきっかけをお伝えしたい。
「国境なき医師団」に所属していると言うと、医師だと思われることが多い。だが僕は医師ではない。海外派遣スタッフの半分は、非医療従事者。ここでは医師や看護師だけが働いているわけではないのだ。
そもそも国境なき医師団は、1971年に医師とジャーナリストが設立した、人道援助団体。「中立を守るためには沈黙を保たなければいけない」という、当時の赤十字国際委員会の方針に疑問を抱いた人たちが、フランスで設立した。
医療と証言活動の2つを軸にして「独立・中立・公平」の活動原則の下、70を超える国や地域で人道援助を展開している。
僕はもともとIT企業の営業マンだった。そんな僕が最初に担当したポジションは、サプライ・ロジスティシャン。
医師が100人いても、薬がないとなにもできない。援助活動に必要な医薬品などのすべての物資の調達と在庫管理を担当した。サプライチェーンの管理がしっかりしないと、すべてのプロジェクトが悪影響を受ける。きわめて大事な役割だった。
その後、プロジェクトのマネジメントを行うプロジェクト責任者になった。
チームの安全管理や現地当局との交渉がうまくいくかどうかも、紛争地では死活問題。営業マン時代にきたえられたコンテクスト(状況)を把握する力や、ネットワーキングのスキルが大いに役立った。
そして国境なき医師団の歴史で日本人としてはじめて、派遣国のすべてのプロジェクトを指揮する現地の活動責任者に抜擢(ばってき)された。
いまでは現場の経験を活(い)かし、事務局長として日本の事務局の運営を行っている。そんな僕はいまから8年前、ある挫折を味わった。
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