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料理を通して世界にメッセージを届けるパティシエ、加藤峰子さんの甘くない思想〜連載第4回〜

みなさん、こんにちは。
食のディレクター
山口繭子と申します。

『エル・グルメ』や『婦人画報』で
エディターとして働き、独立。

今は食にまつわるあれこれを
書いたり、編集したり、
企画したりしています。

この連載では
そんな仕事を通して私が出会った人々、
とりわけ
料理を通じて己を表現する人=シェフ
を毎回、紹介していきます。


極めて硬派。デザートに潜む甘くない思想

第4回目となる今回、
インタビューをお願いしたのはパティシエです。
有名すぎる銀座名所「東京銀座資生堂ビル」は
例え行ったことがなくても
その名は聞いたことがあると思います。
2001年、ここにオープンしたのが
イタリアンレストランの「FARO」。
各界のVIPやアーティスト、メディア関係者に愛される店は
2018年に大きなリニューアルを遂げたのですが
この時シェフパティシエに就任したのが
今回ご紹介する加藤峰子さんです。
料理を担う浜本拓晃シェフが作る
味わい深いコースに続いて始まるのが、
加藤シェフによる一連のデザート。
上品な甘さも香りも風味も素晴らしいけど
本質的な部分では甘くない。
極めて“硬派”なフィロソフィーが詰まってます。

加藤峰子さんのスペシャリテ、「日本の里山 花のタルト」。エレガントな見た目にふわーってなってしまうけれど、一口味わうと野生味に満ちた野の花々の勢いに「おぉ!」と驚く。米粉のタルト生地の上に柑橘などの香りを仕込んだ豆乳カスタードクリームを絞り、小さな花やハーブをあしらうのは非常に骨の折れる作業と推測。でもこれを味わうと銀座から里山に一気に心がワープする。
峰子シェフを感動させるものの一つが、生産者との交流。特に店で使用するハーブや野菜、フルーツ、エディブルフラワーなどは、忙しい合間をぬって実際の生産現場を見て回る。「いい食材を手に入れたい」というわけではなく(いや、それもあるだろうけど)、純粋に意識の高い生産者の思考を学び、知ることが目的なんだろうなというのは、交流の数の多さからも窺い知れる。


なぜ今回、加藤シェフの話を聞きたいと思ったか。
これには明確な理由があり、
「会いたい! 話を聞きたい!」と思った瞬間のことも
よく覚えています。
今年の夏、都内で開催されたトークイベントで
加藤シェフが語る言葉を耳にした時でした。

私、自分の満足のために料理するのを辞めました

そんな言葉が加藤シェフの口から飛び出したのは
丸の内で開催されているシェフとゲストのトークイベント
「EAT & LEADトークサロン」の壇上で。
その日のテーマは「個性豊かなシェフたちの
未来のありたい姿の描き方
」でした。
聴衆はもちろんですが、
壇上の登壇者もさぞかし驚いたことでしょう。
数々のパティシエ賞を獲得した加藤峰子ともあろう人が
そんなことを言うなら一体、
何をモチベーションに料理しているのか?
それに続いて加藤シェフが語ったのは
「料理もデザートもそうですが、
私にとってこれは一種のリアルメディア。
お客様に召し上がっていただくことで
社会に発信をしています」という言葉でした。

2024年3月に開催された「アジア50 ベストレストラン」で「アジアのベストペイストリーシェフ賞」を受賞。その他にも権威ある食のコンペティション「ゴ・エ・ミヨ2022」でベストパティシエ賞、「ラ・リスト 日本アワード2024」でトップパティシエ賞を受賞。「欲張りなの!?」と呼ばれそうな勢いで世界の賞を総ナメ気味の加藤シェフ。© William Reed Ltd 2024. All rights reserved.

社会への提言を行うために料理を作る

自分のために料理するのを辞めたパティシエ、加藤峰子さん。
それでも現在、彼女が作るスイーツは注目の的であり、
加藤シェフは世の期待を受け止めつつ
現代社会が抱える問題を社会に伝えるためのメッセージを
一皿一皿に込めているといいます。
こんな世界観を持つスイーツと出合うのは
初めてのこと。
例えばこんな一皿が目の前に出てきたら、
皆さんはどう感じるでしょうか?

タイトルは「東京の秋」。洋梨のアイスクリームの中にはマーガオ(台湾のスパイス)の風味。中心部分にはほうじ茶のムース。さらにほうじ茶のゼリーも。洋梨のマリネをビル群に見立てて配置し、吉野葛を揚げて立体的なチュイールを作り、飴を組み合わせて。ほうじ茶のソース、レモンカードのクリーム。添えられた小さな琥珀糖には金木犀の香りを忍ばせて。日本に“移住”した立場の日本人である加藤シェフの目から眺めた東京の移り変わり、環境の変化を感じさせる。

美しさに打たれ、味わいが想像できず「?!」となり
そしてこわごわ口に入れてみると
官能的(と言って良いと思います)な風味に
恍惚として黙り込んでしまう。
それが加藤シェフのスイーツです。
「で、おいしいの?」と質問する方に
勇気を出して答えるならば

「おいしい」の先にある、もっと何か根源的なもの

が、加藤シェフの皿には含まれているんですよ。
もちろん、
長くこの道で生きているプロですから、
おいしいのは当たり前です。その上で、
この「東京の秋」と名付けられたデザートには
成人してから日本に住むのは初という彼女が感じた
祖国ながら異国、ルーツでありながらどこか異質、
そして子供心の印象とは姿を変えた現代の東京が
見事な調和をもって表現されていました。

おいしいものは人の心を動かしてくれるから

海外のイベントや国内の生産者めぐりなど、加藤シェフの日常は想像をはるかに超えて忙しい。そんな暮らしの中で厨房は、落ち着いたり考えごとをするためには欠かせない場所。料理人たちがいる厨房とは別に、デザートを担当するパティシエたちの厨房があり、加藤シェフはそこでシェフパティシエを務めつつ料理長(シェフ)とも連携をとってメニューを構成する。

料理を生業(なりわい)にする人には
2種類あると思います。
①おいしさの究極を探し求めてなんでもする人
②おいしさの方程式に新たな解がないかを模索する人
がそれです。
①は、例えば鮨や天ぷら、
ラーメンや蕎麦の職人タイプに多いかも。
②は主にイノベーティブ系のシェフではないでしょうか。
が、加藤シェフはこの2つに当てはまりません。
第3のタイプ。
③おいしさと社会の問題をどう連結できるか探る人
だと思うのです。
これまでになかった着地点を求め、
独創的な視点で料理し続ける彼女のデザートは
多くの人々に賞賛されるようになりました。
今後、料理を手段として利用することができるなら
環境問題や社会問題を嫌味なく伝えられる!
……という気づきが
パティシエとしての次の扉を開けたのです。

THINKINGを積み重ねれば、料理も世界も変わる

日本に“移住”したのは2018年だけれど、たった6年で今や多彩な顔を持ちフルスロットルで活動する人になった加藤シェフ(前列左から4人目)。スイーツ情報のwebメディア「ufu」の坂井勇太朗編集長と2人で主宰するシンポジウム「THINK ME PROJECT」は、総勢150名ほどの主に女性パティシエで構成。業界、特に女性が抱える様々な問題についてじっくりと議論する場として発足した。

自分のタイプを聞かれると
「完全に理系だと思います」という加藤シェフ。
「お菓子作りってふわっとしてると思われるんですけどね。
実際はそうではないと思います。
緻密だし技術的だし、熟練も要するし」(加藤シェフ)
そんな彼女にとって、
新たなレシピのインスピレーションは
決して降りてくるものなどではなく、掴むもの。
食糧廃棄問題、女性と職業の問題、
生産者や農業の問題や環境問題のことなど
日頃考えている何かをテーマに据えた上で
そこをどう掘り下げるか、
どう料理に落とし込んでいくか、と、
思考を重ねていくのだといいます。
まるで建築家のよう。いや、教授というか。

泣いた時代もありました

イタリア、モデナのリストランテ「オステリア・フランチェスカーナ」。2016年と2018年の2回、「世界50 ベストレストラン」の1位に輝いた有名店で、マッシモ・ボットゥーラシェフ(左から5番目)は今や世界のスターシェフ。そんな名店がまだ有名ではなかった時代に、新天地を求めた加藤シェフ(右から2人目)は志願して厨房入り。加藤シェフだけ、表情に決意がみなぎってます。

Research and Development、テーマ設定、プロジェクト。
およそパティシエから聞くとは思えないような
言葉ばかりが飛び出す、
加藤シェフのインタビューですが、
どんなふうに“問題”を
デザートに落とし込むかの紹介の前に、
そもそもどんな境遇のもとに
こんなに硬派かつ
ロマンティックな料理を作る人が育ったのか。
好奇心が抑えられず、根掘り葉掘り聞いてみました。

父は外交官、
母はそれを支える専業主婦
という家庭に生まれ育った加藤シェフ。
幼少期からイタリアやイギリス、
タイ、ベトナムと、様々な国に暮らしました。
さらに、10代になると
弟はイギリスのボーディングスクール、
両親はイタリア、
自身はイギリスの弟とは別の学校に通うなど
個人の生活の場を確立することに。
祖父はヒマラヤ山脈を登る冒険家だったというし
加藤シェフの幼少期の話は
一般的な日本の家とは少し違っていました。

いちばん長かったのはイタリア暮らし。
イタリアの大学でコミュニケーション学を専攻し、
卒業後は『VOGUE Italy』編集部に入り
ファッションを担当したといいます。華やか!
ところが、そんな生活に入ってすぐに
「これは自分の求めている世界ではない」
と気づいたのだそう。
辞めて、趣味だったお菓子作りを生かすべく
街のパティスリーに掛け合って
菓子職人としての人生を踏み出しました。

こちらもイタリア「オステリア・フランチェスカーナ」時代の加藤シェフ(右)。大学卒業後、20年ほどを過ごしたイタリアでは、このほかにも「ブルガリホテル」「アイモ・エ・ナディア(ミラノで50年営まれる老舗リストランテ)」などで修業を積んだ。

編集者時代、通勤バスの中で泣いたのは
意気揚々と仕事に向かう人々の表情がまぶしかったから。
パティシエとしての道を踏み出し
何軒か店を渡り歩く中でも、辛いことはもちろんありました。
けれども
「出来なくて泣くくらいは、
大したことではないです」と加藤シェフ。
それよりも
自分がなぜここにいるのかわからなくて泣く方が
ずっと辛いし、悲しいと。
目的があれば手段を考えるし、
そのための努力や創意工夫は逆に楽しいというのは
今の彼女の仕事っぷりにも
同じものを汲み取ることができます。

イタリア時代には一人娘にも恵まれました。
彼女は2000年生まれ。
「娘が大学に入る時、自分は祖国に戻ろう。
日本という国と一度は対峙してみたい」と照準を定め、
その日に向かって
パティシエとしての技術を一つ一つ
習得していったというのも、
「理系肌」という加藤シェフらしいと感じました。

この人にしてこの皿あり。「FARO」の場合

「檜、薔薇,そして扁桃」と題された何とも艶めいた一皿。ソースには、バラの他にヒノキが使われていて高貴なニュアンスを与えている。日本の森林が抱える間伐材の問題を食で少しでも解決できないかということで編み出された。上に吉野葛のゼリー、中にアーモンドのアイスクリーム、マスカット、クランブル。説明を聞いても想像できない? そりゃそうですよね。ぜひ一度トライを!

「銀座のレストランでフルコースのごちそうをいただく」
なんという贅沢でしょうか。
多くの人々の楽しみとして
今後もこの価値が消えることはありません。
ただ、時代は日々、前に向かって進みます。
「銀座のレストランで、食事しながら地球環境を考える」
そんな経験が新たな贅沢になってもいい。
加藤シェフのデザートの一つ
「アーモンド エシカルローズに包まれて」に舌鼓を打ちつつ
上品に立ち上るバラの香りの奥に
ヒノキの清々しさをはっきり感じました。
東京のど真ん中、資生堂ビルの10階にいながら
味覚が私を日本の里山へと運んでくれた
不思議な午後の時間でした。


FARO
東京都中央区銀座 8-8-3 東京銀座資生堂ビル 10 階
電話:0120-862-150
HP:https://faro.shiseido.co.jp/

加藤峰子さん

1975年東京出身。外交官の両親の元、海外を転々とする。イタリアの大学を卒業後『VOGUE Italy』に勤務。退職後、街のパティスリーを手始めに「ブルガリホテル(イタリア)」「アイモ・エ・ナディア」「オステリア・フランチェスカーナ」で修業。2018年に帰国し、リニューアルした「 FARO資生堂」のシェフパティシエに就任。2022年「ゴ・エ・ミヨ」ベストパティシエ、2024年「アジア50ベストレストラン」にて「アジアのベストペイストリーシェフ」を受賞。2024年女性パティシエの働き方を考えるシンポジウム「THINK ME PROJECT」を立ち上げる。環境活動家でもある。


写真・文/山口繭子
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(ハースト婦人画報社)を経て独立。食や旅、ライフスタイル分野を中心にディレクションやコンサルを行う。ファインダイニングから角打ち居酒屋までジャンルのストライクゾーンはメジャーリーグ級(自称)、酒が友達。https://note.com/mayukoyamaguchi