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フレンチから和食に転向した野田雄紀さんの正解は?〜連載第1回〜

みなさん、こんにちは、はじめまして。
食の世界でディレクションや執筆の仕事をしている山口繭子と申します。
食を生業(なりわい)とし、胃と肝臓にムチ打って生きています。
フランス発祥の飲食店ガイドブック「ミシュラン東京」や
食のアカデミー賞と称される「World’s 50 Best Restaurants」の受賞セレモニーを取材したり、
雑誌やオンラインメディアに「このお店はよかったよ〜」という記事を書くこともありますが、
例えば、新たにホテルや飲食店が開業する時に“中の人”の1人となって
「世界の食のトレンドはJapan&北欧ミックスらしいですよ」(例よ)
「今どき厨房に女性や多国籍スタッフがいないの、ダサいですよ」(例ね)
などとご提案申し上げる、というようなお仕事もあります。
食やライフスタイルのブランドが、カタログやガイドブックを作りたいという希望をお持ちの際に
なるべくヤらしくならないように(でも売れるように!)それらを制作するなんて仕事もします。
要するに、食を通じて何ができるのかを
手と目と鼻と舌と胃と肝臓とハートを使って日夜考えています。

そんな私ですが、最近深く深〜く心に思うことがあります。

レストランって何しに行く場所か?

みなさんにとって、レストランってどういう存在ですか?
私にとってそれは、
美食を学ぶ場であり、トレンドを知る所であり
時にはウフフ&ムフフな感情を揺さぶられる時間だったり
ある時は料理もそっちのけで相手との話に終始する場だったりもします。
しかし、最近思うこと。それは

料理人の一皿を通して、人間ドラマや思想のシャワーをドッパーって浴びる場所

かもしれないなぁということです。

前置きが長くなりました。
この連載では今後、毎回1軒の飲食店を紹介してまいります。
登場するのはプロの料理人たち。でも、ちょっとだけクセ強&変わりもんの方々にご登場いただくことになります。
彼らが理想とする料理、あるいはレストランの在り方は、一般的な料理店の正解とは少し違っているかもしれません。
しかしなぜか惹かれるモノ・コト・味がある。他にはない個性がある。
そんな店に突撃し、失礼承知で根掘り葉掘りシェフの頭の中にあるものを吐露していただき、
それらを表現する料理をみなさまにお伝えしたいと思っています。

フランス料理20年→和食の料理人1年生に

原宿の路地にある「野田」。店の周りは、流行りのスイーツ店やアパレルショップが立ち並ぶ文字通りのキャピキャピ♡エリア。浮きまくる存在ながら、この地から世界に新たな食を発信する。

連載初回に取材させていただいたのは、原宿「野田」の野田雄紀さん。
真っ黒な短髪としっかり正面を見据える眼差しは
「いまどきの和食の料理人」という雰囲気です。
実は野田さん、昨年までは「野田シェフ」と呼ばれていました。
同じ場所で「kiki Harajuku」というフランス料理店を12年営み、
その前の10年間も故郷静岡や東京、フランスで
フレンチの料理人としてキャリアを積んだ方なのです。
2023年秋、

野田シェフ、店をリニューアルしたってよ

と聞いたので「久しぶりにkikiの料理、食べたいな」と思って行ったら
私の知る小さなフランス料理店はそこになかった。
代わりに誕生していたのが小さな和食店「野田」でした。

人生の進路変更に迷いはなかったんですか?

和食に転向といっても、過去を捨てたわけではなく。「薄造り」はコチの身でデラウェアを包みエルダーフラワーのポン酢で食べる料理で、そこには野田シェフの感性がちゃんと存在していた。

補足すると、レストランがリニューアルしたり移転したり新たなサービスを始めたりというのは珍しい話ではありません。
それまでと異なる新業態店をオープンするとか、がらりとインテリアデザインを変えるとか、思い切った例だと「肉類の使用を辞めてすべての料理をプラントベースにした」なんていうのもありました。しかし

キャリアを重ねたシェフがジャンルごと全とっかえ

というのは、たぶん初めて聞く話。
長く売文業を続けてきた私ではありますが、
野田さんのそれは私が今からドラマの脚本家目指すとか、そういうレベルです、きっと。
ましてや、キャリアが大きな評価基準である料理の世界。
今まで20年近くかけて培ったフランス料理界でのキャリアを置いて
和食の世界に転身っていったいどういうことなんだろう?
野田さんに理由を聞いてみたら、不思議な答えが返ってきました。

料理人が料理を続ける姿勢には、いろんなものがあると思います。
先人の教えを守り、それを次代に伝えていくスタイルもあり
新たな境地を探して足掻き続けるのもまた、ありです。
でも僕は、料理をもっと体で感じてみたかった。
そしてこれは、フレンチだろうと日本料理だろうと関係ないんじゃないか。
なら、守り続けるよりはいっそ、その時にいいと思うことをやり続ける方が自分の料理人人生は幸せなものになるのではないか?
……そんなことを考えているうちに、結局どんどん変わり続けていくことが自分にとっては正義なのだという結論に至りました。でもまた変わるかも。

野田さん談

……わからん、わかりません、野田さん〜!
悩み続けて変わり続けることが料理人としての選択というのであれば
フランス料理を続けていても、それは可能だったのでは?
しかし野田さん、以前の店「kiki Harajuku」が9年を迎えた2020年に
自身が料理の基本を学んだフランスを旅したそうで、その時に

あぁ、自分はもうフランス料理でなくてもいいのかも


という結論に至ったのだといいます。
流行の店、定番の料理を見て回った日、
「結局、フランス料理を続ける限り、トレンドだろうが伝統だろうが、異国発祥の他人の生むものを追い続けることになるのではないだろうか。
日本に暮らし、東京に店を構える料理人としてオリジネーターになりたければ、自分の内から発するもので勝負したい」
と強烈な思いが突き上げてきたのだと。
帰国した野田さんは、かつて店を訪れてくれた原宿の日本料理店「重よし」の料理長、佐藤憲三さんから渡された一冊の本を開いてみたそうです。
『重よし 料理覚え書き』に書かれていた料理への姿勢は
季節に沿った自然の食材を得て調理するというシンプルなもの。
そんな姿勢で、もう一度料理に向き合ってみたいと決意しました。

何かのトレースではないオリジネーターになる

2007年、パリの名店「タイユヴァン」に勤めていた時に悲願の就労ビザを取得。坊主頭の野田さんは周りのフランス人シェフから「kiki」という愛称で呼ばれ、その名を自身の店につけたという。

野田さんの思考を伺うと、学生時代の音楽活動にすでに片鱗がありました。
13歳でパンクロックに傾倒した野田さんは、
片時も音楽から離れられずに様々なジャンルを聴き続け、
自身もバンドを組んだりDJをやったり、レコードやカセットや本だと集め、そしてたびたび行き詰まったんだといいます。
そこで野田さんがとった行動は……。

次に何を聴いたらよいのかわからなくなるくらいまで聴いて、
それで最後は、今まで無しだと思っていた別ジャンルに触れてみると
なんだこれ! すごくいいじゃん! っていうものが突然現れる。
そしてまた「掘って掘って、とことんまで掘って……」の繰り返しです。
思えば、今の自分の料理との向き合い方に似ているかもしれません。
レコードやカセットを必死で集めましたが、それが今、食材になりました。
その時のことで活きているなと感じるのが自作のミックステープです。
自分で集めたレコードを、流れを考えながら再構成するんです。
抑揚をつけたり、全部はいいと思えないまでも「この曲のこの20秒だけすごくいいんだよな」という一部分を組み込んでみたり。
そうやって新たな個性を持たせて仕上げたテープを友達に聴いてもらって
そのリアクションを見たりしていました。
それが、今僕が店で取り組んでいるコース料理の組み立てに通じています。

野田さん談
音楽や本への情熱は以前と比べるとずっと静かで優しいものになったけれど、それでも料理人・野田雄紀を構成する重要素の一つであることは変わらない。大切なコレクションたち。

学生時代の音楽への傾倒が後に料理に変わったという野田さん。
けれど、その熱狂の姿勢はさほど変わることなく
理想とする“自分の在り方”も同様です。

オリジネーターであること

小さくても自身の店を己の責任で営み、
自分の力量で回せる程度のサイズ感の中で
ありったけの自分センスを表現できる料理店であること。
野田さんはそのために
20年続けたフランス料理にいったんピリオドを打ちました。

こんな和食があってもいいし、そんな時代が来てもいい

食事中、客の目の前に披露された「本日の出汁はここから」の器。大ぶりのアゴと、旅してきたばかりだという羅臼の昆布と。隣席にいた若い韓国の料理人が熱心に質問を繰り返していた。

行動をスタートした野田さんは、日本料理店「重よし」の門を叩きました。
きっかけになった書籍『重よし 料理覚え書き』の著書でもある師匠の佐藤憲三さんは、その後2023年早春に逝去。最後の弟子が野田さんとなりました。
「重よし」での修行は、長くフランス料理に携わってきた野田さんにとって
新たなアプローチで食材や調理法を学ぶ意義ある時間となりました。

ですが、そこはオリジネーターを目指す元・フランス料理シェフ。
野田さんの料理は、きっちり基本に忠実なだけの日本料理ではありません。
本人曰く、

我ながら最高だと思える料理ができる時があれば、その逆にどうしようもなくダサい味になっちゃったりする、その紙一重

なんだそうで、そのためにちょっと私には理解できないほどの
試作が「野田」の厨房では毎日繰り返されています。
このままいけば年間150〜200ほどのメニュー数になるというから驚き。
そんな調子で料理に取り組んでいて、果たして実りはあるのでしょうか?
いやそれ以前に、そんな料理をお客は理解してくれるのでしょうか?

わからない方もいるかもしれないな、とは思います。
色々な嗜好があるから。
J-POPしか聴かない人が、突如アンビエント(注:作者の意図を主張したり強制したりするのではなく、心地よい環境として存在する音楽ジャンル)を理解するのはたぶん難しいと思うんです。
どんなジャンルでも良いものは良いんですが、嗜好の違いは思考の違いでもありますから。
もちろん、楽しんでいただきたいというのが第一前提なので、
伝えるための努力は可能な限りしています。

野田さん談

何かを始める人というのはそういうものなのかもしれません。
体や心で何かを感じられれば、それが最初の一歩になるのかも。
馴染みがある一方で厳格なイメージを感じさせる「日本料理」ですが
その昔はもっと自由で創造的な世界だったといいます。

野田さんの挑戦の答え合わせは、まだ相当先の話になりそうです。
でも、この風変わりな和食店「野田」の料理は
ぜひ今、体験していただけたらなと思わずにはいられません。

この人にしてこの皿あり。「野田」の場合

「うざく」と称された一品。夏の和食の風物詩、鰻を蒸してから炭火で香ばしく焼き上げて鰻の骨や肝、梅干しや梅醤油などのソースと共に。生のパクチーの花や茎なども添えて重層的な味わい。

「野田」の料理について語るのは、ちょっと気が進みません。
というのも、たった1〜2ヶ月で内容がすべて変わったりするし、
さらには料理の流れやメニューの表現なども流動的。
……というエクスキューズと共にこの日印象に残った一皿を紹介すると
この「うざく」は野田さん的な料理といえそうです。
凝った下準備がなされている点はイノベーティブ要素満々ですが
食材合わせにご注目。和食好きなら驚くかもしれません。
「鰻と梅干し」というのは、元来食べ合わせが悪いとされていました。
ですが、実はそれは迷信であり本当は理にかなった組み合わせだと
野田さんならではのセンスと技術で証明したかった、というのがこの一皿。
口の中で弾けて広がるような鰻の香ばしさを
キュッと爽やかな酸味を持つ梅干しのソースがまとめてくれます。
単調な印象にならないのは、鰻の骨や梅干しの出汁、
パクチーの風味などが重なって、複雑な滋味をもたらしているから。
和食なのか? フレンチなのか? イノベーティブの真髄か?
いやそんなことより、とにかく心と体に沁みる!
……そんなふうに感じた夏の夜だったのでした。


野田
東京都渋谷区神宮前6丁目9−9 アヴニール表参道 1F
電話:070-3882-3150
HP:https://www.instagram.com/nodaharajuku/

野田雄紀さん
1983年静岡県島田市出身。4代にわたって飲食業を営む家に育つ。高校卒業を目前にして料理人になることを決意して中退。清水の料理専門学校に入学。卒業後は焼津のフランス料理店に勤務し、2004年渡仏。「タイユヴァン」等の星付き料理店に勤務した後の2007年に帰国。神楽坂「ルグドゥノム・ブション・リヨネ」に入店。2011年、28歳の時に自身のフランス料理店「kiki Harajuku」オープン。2023年10月に改装し和食店「野田」をオープン。


写真・文/山口繭子
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(共にハースト婦人画報社)を経て独立。食や旅、ライフスタイルジャンルを中心にディレクションや執筆で活動中。仕事ではファインダイニングや料亭を愛してやまないがプライベートでは地方居酒屋バンザイブラボー。https://note.com/mayukoyamaguchi



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著 山口繭子

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