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京都の和食店と銀座の2つ星フレンチで修業。ユーゴシェフが築く料理のネクストステージ〜連載第3回〜

みなさん、こんにちは。
食のディレクター
山口繭子と申します。

『エル・グルメ』や『婦人画報』で
エディターとして働き、独立。

今は食にまつわるあれこれを
書いたり、編集したり、
企画したりしています。

この連載では
そんな仕事を通して私が出会った人々、
とりわけ
料理を通じて己を表現する人=シェフ
を毎回、紹介していきます。


34歳のフランス人シェフが開いた小さな店

さて、みなさん。
連載3回目にしていきなり
フランスご出身シェフの登場です。
ユーゴ・ペレ=ガリックスシェフ、34歳。
今年4月、西麻布の交差点そばに
自身のレストラン「氣分」をオープンしました。
カウンターとテーブル合わせて
たった10席という
まさに隠れ家のような一軒です。

取材で訪れた日、東京を台風が直撃。他のゲストは電車が動かずやむなくキャンセルされたそうでディナーは私ひとり、貸切となりました。恐縮です。いろんな意味で非日常……(楽しんだ)。

「氣分」の店名表記は漢字です。読みはキブン。
フィーリングを指す言葉ですが
ユーゴシェフの意図はちょっと違うそう。
「食材の持つ“氣”を人々に分け(シェア)、伝えたい」
そんな心で名づけたといいます。
さらに「この漢字は中に米が入ってるのがいい」
という理由もあったのだとか。
え、ユーゴシェフってフランス人ですよね?
「氣分」って何料理の店ですか?
「食べログ」では、軽く
「創作料理」と表示されてますが、
うーん、個人的には少し納得いきません。
というのも、
ユーゴシェフの料理は
私がこれまでに経験したことのない
独創的かつハイクオリティーなものだからです。

若きユーゴシェフは京都を目指した

オープンして間もない「氣分」。コース序盤に出される美しい白イカの一皿のインパクトにノックアウト。加賀太きゅうりや酢橘の風味が抜群で評判が良く、スペシャリテのポジションに定着中。

ここでお目にかけたい記事があります。
今から9年前、
「京都市総合企画局」が出したプレスリリースで
来日直前、24歳のユーゴシェフが紹介されています。

https://www.atpress.ne.jp/news/64477

今や、世界中の大都市にある
ファインダイニングの厨房では
日本人シェフは珍しくない存在です。
それどころか、
海外で星付きレストランを営む
スターシェフへと
上り詰めた日本人もいます。
けれどその逆は?
日本の和食店や鮨店で
外国人シェフを見ることって
ほとんどないと思いませんか?
「和食って人気がないんだなぁ」
と思ったら、違う。
むしろその逆です。

外国人禁制だった和食料理人の世界

世界中のトップシェフが一目置く、和食の世界。
しかし長い間、日本の法律では
外国人の料理人が、日本において
日本発祥の料理界=和食店で働くことを
認めていませんでした。
「こんなことでは和食の真価を
世界に伝えることはできない」
と乗り出したのが
京都を中心とする日本料理界。
店と京都市がタッグを組んで
「正統派和食店で働きたい
外国人シェフを受け入れよう」
という取り組みが
スタートしました。
ユーゴシェフはこの制度、
「日本料理アカデミー」に応募して見事合格。
2015年に生まれて初めて訪れる日本
しかも和食の聖地、京都で
2年間の修業をスタートしたのでした。

和食修業がユーゴシェフに与えた価値、それは?

2017年、「菊乃井」での修業を納め、「日本料理アカデミー」を無事に卒業。右は門川大作京都市長(当時)、左はユーゴシェフの日本料理の師匠、「菊乃井」の料理長である村田吉弘さん。和食のユニフォームも似合ってしまうユーゴさんの表情に、どこか大和魂を感じてしまう。

ここでもう一つ、
みなさんにお伝えしたいのは
このインタビューはすべて
日本語で行ったということです。
漢字混じりの日本語で
メールのやり取りをしていたのも
あまりにも自然で驚きませんでしたが
よく考えたらすごいこと!

2015年「菊乃井」で学ぶために来日しました。
でも、幼少期から日本には
馴染みがあったんです。
僕の叔父は昔
筑波大学で教えていた時代があり、
たまの帰国時には日本の話をしてくれました。
クリスマスには
刺身を振る舞ってくれたことも。
僕が生の魚を初めて食べたのはその時です。
日本のアニメも好きだった。
「聖闘士星矢」とかね。
そんな僕でもいざ京都に来てからは
日本語の習得には苦労しました。
寝ても覚めても日本語。
休日は居酒屋に一人訪れたりとか、ね。

ユーゴさん談

フレンチと和食の境界を行き交った20代

料理好きの家庭に育ち
日本贔屓の叔父に刺身の魅力を教えられ
15歳の時にはすでに料理人の道を
心に決めたというユーゴシェフ。
けれどいきなり和食だったわけではありません。
最初はミシュラン2つ星の
フランス料理店の門戸をたたき
その後もいくつかの高級レストランで腕を磨き
10年弱というフレンチでの経験を経て
和食、しかも本場京都に飛び込んだのです。

なぜここで京都なのか。
なぜこのタイミングで和食だったのか。
「魚を扱うのが好きだったんですよね」と語る
ユーゴシェフですが、
若さと好奇心と真面目さって本当に素晴らしい。
まったく言葉もわからない、
料理における概念も異なる異国の和食店で
情熱を傾ける新たなターゲットに
出会ってしまった、そんな2年間でした。

鱧、鮎、鯖。和の象徴を自在に調理

鱧の骨切りを行うユーゴシェフ。日本の料理人でもこの技術の習得には時間がかかると言われるが、まるで野菜を切るかのように優しい手つきで軽やかに刃を入れていく様子が本当に楽しそう。
見事に下処理された鱧はフレンチの一皿に変身。淡路島由良町の鱧は低温で火を入れ、バジリコのソースを合わせて。冬瓜とマリーゴールドの花の酢漬けを添えた料理。見た目はフレンチ、鱧の食感に和の技を感じ、それでも味わいはやはりフレンチという鮮烈な一皿に終始驚きっぱなし。

いくらフランス料理店で修業したといっても
言葉も理解できない土地で、
まったく異なるジャンルの店で働くって
大変じゃなかったですか?
……そう聞いたら、
ユーゴシェフは淡々と答えてくれました。

楽しかったです。
修業なので辛いこともありましたが
それ以上に楽しかった。
2年なんてあっという間でした。
「菊乃井」には寮があって
僕はそこに住んでいたんですが
隣が水口商店でした。
京阪神の最高級魚介類を
全国の有名料亭に卸す専門店。
「菊乃井」もお付き合いがある店ですが、
そこの方々の知識量と魚を扱う技術は
私にとってはただただ、憧れで。
ほぼ毎日立ち寄っては
魚の見極め方や神経〆などを教わりました。

ユーゴさん談

2年は、確かに短いかもしれません。
けれど、文字通り寝る間を惜しみ
勤務外の時間は魚や日本語を学ぶ時間に充て、
おせち料理の仕込み時期には、率先して、
最もハードと言われる
「焼き場」に志願するなど
ユーゴシェフの2年間は
聞けば聞くほど、濃い時間。
「日本料理アカデミー」の制約があり
2年での卒業がルールですが
普通の人の何年分を
過ごしたんだろうかと思います。

そして京都での修業が終了。
再度、岐路に立ったユーゴシェフは
ここでフレンチに戻るという決断をします。

新たな気持ちで取り組むフランス料理

銀座「エスキス」のリオネル・ベカシェフと。コロナ禍の頃。「7年半、本当に濃い日々を共に過ごさせていただいたリオネルシェフは、私の師であり兄のような存在でもあります」という。

銀座にある「エスキス」は
リオネル・ベカシェフが率いる
特徴的なフレンチレストラン。
「キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ」を経て独立し
2012年にオープン。
2013年から2つ星をとり続けています。
何が特徴的かというと
叙情的でメッセージ性の強い料理の数々。
「皿の上の芸術」なんて言葉は
今や陳腐で使いたくないほどだけれど
リオネルシェフの料理に添えると
陳腐どころかまさにその通り。
芸術と呼ぶほか、ありません。
そんなリオネルシェフは
「菊乃井」で修業を積んだユーゴシェフに
一目置いていたそうです。
東京、銀座「エスキス」で働いてみないかと、
声がかかったのでした。

和の技術を用いるフレンチが誕生

来日して以来10年間、
一度もフランスに帰国していないという
ユーゴシェフ。
「昭和っぽい!」と思わず言うと
「いえ、だってまだまだ。
胸を張って帰る段階じゃないです」
という返事でした。
けれど「エスキス」での7年半で
ようやくユーゴスタイルの原型が
固まりつつあったのかもしれません。

「エスキス」では
僕が菊乃井で学んだことを
かなり自由に発揮させてくれたと思います。
例えば僕は「棒寿司」を作るのが好きで
得意でもあるんですが、
賄いでよく作らせてもらっていました。
鱧の骨切りができるというので
僕がスーシェフに就任してからは
そういった技術を用いた料理を
コースに組み入れていただいたこともあります。
僕はどちらかといえば職人肌気質の料理人だと思いますが
リオネルシェフはアーティストタイプ。
彼が皿に表現する哲学や抒情あふれる美しさは
今の自分にはまだ及ばず、
それらを知ることは勉強になりました。

ユーゴさん談

共に時代を作った証、ユーゴのパン

「エスキス」に在籍した7年半のうち
最後の4年を副料理長として過ごしたユーゴシェフ。
しかしその期間は
世界が新型ウィルス肺炎と戦った時間でもありました。
料理に向き合う場を失ったユーゴさんにとって
最も辛かったのがこの時期だったそう。
この時取り組んだのが「パン ド エスキス」。
店で出すパンを
一から作ってみようと思い立ち
ようやくやり甲斐を取り戻したといいます。

オンラインでフランスのパン職人に師事し多くの書物や動画で勉強し、自家製酵母を育て毎日パンを焼いていた頃。

夜中、誰もいない「エスキス」の厨房で
朝までかかって焼き上げるユーゴさんのパン。
朝、リオネルシェフがコーヒーを飲みに
厨房にやってくると
まだ温度を残したパンだけが置かれていて
コーヒーと共に味見したリオネルシェフは
ユーゴシェフにその感想を伝える。
まるで交換日記を交わすように完成させた
ユーゴシェフのパンは、
彼が「エスキス」を辞めた今も
毎日焼かれています。
そして、「氣分」の厨房でも同様に
このパンが焼かれているのだそう。

ユーゴシェフのパン、通称「パン ド エスキス」。ここでは「パン ド 氣分」となった。このパンが登場すると、コースはそれまでの和食寄りから一気にフレンチっぽい雰囲気に変化していく。

和食に始まりフレンチに終わる、一遍の曲

京都で和食を学び、
それによって得た感性を携えて
フレンチや日本の食材への理解を深めたユーゴシェフ。
30歳を超えてからは
「そろそろ、独立を考えなければ」
と思い始めたといいます。

「菊乃井」も「エスキス」も
レシピはすべて頭に刻み込まれていますし
それらを再現することだってできます。
けれど、僕がそれをやったら無価値です。
僕にしかできない料理、自分の料理を作りたい。
そうでなければ、意味がありません。
「氣分」で何を料理すべきだろうか。
和食の技術とフレンチの技術と両方を持つ僕が
単なる融合ではなく
それらを合わせることによって
新たな何かを生み出すことができれば、
誰もなし得なかった料理が
生まれるんじゃないかと思っています。

ユーゴさん談

この人にしてこの皿あり。「氣分」の場合

「氣分の棒ずし」は「菊乃井」の八寸でもお馴染み「棒寿司」へのオマージュ。中に薬味、表面に大根のシートや青柚子を添えて彩りや食感に工夫したりとイノベーティブだ。食事がスタートする直前に寿司を巻くとあって、食感は信じられないほどにふわりとやわらか。この美しいフォルム。

ユーゴシェフのコース料理は
他店ではまず、体験することができません。
というのも、
ユーゴシェフほどガチンコ勝負で
和食とフレンチの両方で修業した人はいないから。
最初の数皿は完全に和食を思わせるのに
棒寿司と口直しの皿を味わった後、
一気にフレンチの世界観へとシフトするのも
見事、そして圧巻です。
「和のエッセンスが感じられる○○○○」とか
「フレンチのエスプリが効いた○○○○」とか
そういうものでもないのが見どころです。
だって、両者は完全に溶け合い、
そして新たな表現に昇華しているから。
伝統やしきたりに重きを置くのが日本料理ではないというのも
ユーゴシェフの料理を通じて感じた発見でした。

食材を見るとき、
和食半分フレンチ半分の眼差しで見てしまうんです。
どうしよう、どっちでいくのがいいだろう?って。
自分の中で選択に迷うこともありますけど
でもそれはラッキーなことだと思うんです。

ユーゴさん談

こんなことをおっしゃるユーゴさんですが
その料理には、迷いを感じません。
そして、徐々に増えている客層の中でも
目立つのはプロフェッショナルのシェフたち。
それも若い世代のシェフが
興味津々の面持ちで
ユーゴシェフの料理を食べ、
質問攻めにしていくのだといいます。
「日本人より日本人ぽいと言われます」と笑う
ユーゴシェフですが、同時に
「日本人の真似をしたいとは思ってないし
無理に自分を補正しているわけでもない。
僕は、僕の料理を生み出す人になりたいんです」
とまっすぐな目で語ってくれました。


  

氣分
東京都東京都港区西麻布4-11-28 2F
電話:03-6433-5063
HP:https://kibuntokyo.com/

ユーゴ・ペレ=ガリックスさん
1990年フランス中部ドローヌ地方出身。15歳でポイヤック「シャトー・コルディアンバージュ」に入り、ティエリー・マルクスシェフの元で料理人人生をスタート。2015年、京都市が推進する「日本料理アカデミー」の制度に応募し24歳で来日。「菊乃井本店」で2年間の修業(厳しい!)を積む。ビザが切れるタイミングで銀座「エスキス」のリオネル・ベカ氏と出会い、再びフレンチレストランで修業。7年半勤め、うち4年間はスーシェフ(副料理長)を任される。2024年2月に独立し、4月に自らの店「氣分」をオープン。


写真・文/山口繭子
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(ハースト婦人画報社)を経て独立。食や旅、ライフスタイル分野を中心にディレクションやコンサルを行う。ファインダイニングから角打ち居酒屋までジャンルのストライクゾーンはメジャーリーグ級(自称)、酒が友達。https://note.com/mayukoyamaguchi