小説『元カレごはん埋葬委員会』川代紗生がいちばん伝えたいこと
人には誰しも手痛い失恋の思い出が1つや2つはあるもの。それが、29歳の女性に、結婚を意識して交際していた彼氏との間で起きたら――。そんな失恋の話から始まる小説が『元カレごはん埋葬委員会』(サンマーク出版)です。
恋人をもっとも傷つける「別れ方」ワースト1は、何だと思いますか?
主人公・桃子は、「29歳」のとき「結婚するつもり」だった彼氏に、なんと「ラブホテル」のベッドの上で「重い」という理由でふられてしまいます。
交際期間の4年間、一生懸命尽くしてきたこと。
好きなところを毎日伝えていたこと。
カレー好きな彼のために、カレールーを使わない、本格的なスパイスカレーも作れるようになったのに、そんな努力も彼の中では「重い」にカウントされてしまっていたのか——。
自暴自棄になった桃子は泥酔し、気がつくと三軒茶屋にある喫茶「雨宿り」というお店へとたどり着きます。
そこにいたのは、イケメンの店長と、常連客のお坊さん。
やけくそになって失恋のつらさを吐き出すうち、彼のためにしてきたすべてが間違いだったのでは!? と不安になった桃子は、2人に「元カレが好きだったバターチキンカレー」を食べてもらえないかと頼みます。
このカレーを、誰かがおいしいって言ってくれたら。
自分のすべてがダメだったわけじゃないと思えたら。
すがるような気持ちで作ったカレーを3人で食べながら話しているうちに、桃子は自分の後悔や、溜め込んできた思いがだんだん浄化されていくのを感じます。
これをきっかけに、3人は喫茶「雨宿り」で金曜夜22時に開かれる「元カレごはん埋葬委員会」を結成します。
そこに7人の相談者が来て、それぞれの“元カレごはん”をみんなで食べて埋葬していくーー。
泣いて、笑って、みんなでごはんを食べれば、少しだけ前を向いてもいい気がしてくる。
『元カレごはん埋葬委員会』は、そんな8つの切なくておいしい物語でできた、号泣爽快オムニバス小説です。
昨年12月の発売前から文芸好きの書店員さんの間で注目されている『元カレごはん埋葬委員会』は、いかにして生まれたのでしょうか。
著者の川代紗生さんと担当編集者の池田るり子が本作に込めた最大のテーマとは。
本の始まりは、「元彼が好きだったバターチキンカレー」
――川代さんは『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)というエッセイ集が1冊目の著書で、そして2冊目となる『元カレごはん埋葬委員会』が小説家デビュー作となりました。
池田さんは小説『コーヒーが冷めないうちに』(川口俊和著)シリーズの担当編集として、これまでに5作を手がけられ、国内でシリーズ150万部超、全世界で500万部超という大ヒットとなっています。このほかにもサンマーク出版から2作の小説を世に送り出してきました。
どんなきっかけで2人は出会い、今回の小説作りが始まったのでしょうか?
池田 るり子(以下、池田):あの記事ですね。
川代 紗生(以下、川代):そうですね。「元彼が好きだったバターチキンカレー」というタイトルで出した1本のブログ記事が私と池田さんを結びつけてくれました。
当時、私は天狼院書店という書店に勤めていて、「WEB天狼院書店」でブログ「川代ノート」を書いていました。天狼院書店は現在、東京や京都、名古屋、福岡、湘南など全国に店舗があり、ごはんも食べられるブックカフェです。
私は「福岡天狼院」の店長として、会社からリニューアルを任されていたんです。そのとき、カフェ部門の目玉の一つとしてカフェに出したメニューが、私が本当に元カレのために作っていた「元彼が好きだったバターチキンカレー」でした。
カレーが好きな人だったので、苦労してスパイスから作り、元カレも「これまで食べたカレーの中でいちばんおいしい」と言ってくれて。でも別れた後は、作ると付き合っていた当時の元カレの顔が浮かんじゃうから、なんとなく作りづらくて……。せっかくおいしいのに、このレシピがこのまま日の目を見ずに埋もれてしまっていいのか、このおいしさをあいつしか知らないのはなんか許せない! と思って(笑)、思い切ってメニューに入れました。
池田:メニュー名も「元彼が好きだったバターチキンカレー」だったんですよね。
川代:そうです。ところが、メニューとして出したまではよかったんですが、なかなか売り上げが伸びない。そこでこのカレーが生まれたストーリーを伝えれば食べてくれるはず、と考えて、「こういう経緯で、こういう失恋をした私が元カレに作っていたカレーなんです」という記事を「川代ノート」に書いて配信したんです。この記事がバズったり、ほかにもX(旧Twitter)で、メニュー名といっしょに「これ、どんな気持ちで食べればいいんだ」と書いてくださった方の投稿もバズって、「元彼が好きだったバターチキンカレー」は天狼院書店の看板メニューとなりました。
――テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』にも取り上げられるほどバズって、これに池田さんも目をつけた。
池田:「元カレにラブホで振られた」という実話を書いていらして、衝撃を受けたんですよね。こんなことをおもしろく書ける人がいるんだって。
ほかにも、赤裸々に書かれていた内容が、自分のことではないのに自分のことのように読めて、印象的だったんです。
レシピ本の企画が「小説」に変わった理由とは?
ーーそこから、どのように本の企画にしたのですか?
池田:恋人のために作っていたレシピが、破局をきっかけに作れなくなってしまう。それって多くの人にあることだよなと思ったんです。でも、それだけ思いを込めて作っていたレシピだからきっとすごくおいしいはずで、それが作られなくなるなんてもったいない! そこで、そうしたレシピを集めて本にしよう、と思いつきました。
――もともとは違うタイトルの本を想定されていた?
池田:『元カレが好きだったごはんレシピの墓地』というタイトルを考えていました。本の紙面上で、元彼が好きだったレシピを埋葬して、また作れるようにできないかなと思ったんです。
元タイトルの『元カレごはん埋葬委員会』は、著者名として使えないかなと考えていました。
――当初はレシピ本になる可能性もあったとか。
川代:レシピとともに失恋のエピソードが綴られているような本にしたらどうか、という可能性も検討していました。
池田:検討している間に、川代紗生さんに「会長」となっていただき、私が「幹部」となって、リアルに「元カレごはん埋葬委員会」を開催したんです。元カレが好きだったけど、いまはなかなか作らなくなってしまったレシピをお持ちの人を募って、そのかたの失恋話を聞いていく会です。それをやってみたら、皆さんのお話がものすごく濃くて。
川代:そうなんです! あまりにみなさんのお話に共感しすぎて、心を揺さぶられすぎて、「これを、ちょっとしたエピソードにまとめるのはもったいない!」と思って。
相談者さんには、脚色した上で本に載せる可能性があることはお伝えした上でお話を聞かせていただいていたんですが、「こんなにすばらしいお話があるなら、物語として出してみたい」という思いが強くなりました。そのときに、池田さんから「小説にするのもいいかもしれませんね?」と言っていただき、ぜひやらせていただきたいと思ったんです。
10年経っても後悔……「重さ」は小説家にとって武器になる
ーーいきなり小説を書かれることに不安はありませんでしたか?
川代:私はもともと、10年ほど前から小説を書きたいと思っていながら、書いては挫折、書いては挫折を繰り返していて、長編を書き上げたことはありませんでした。今回、ご提案をいただいた時に、このチャンスは絶対に逃したくないと思いました。
――文芸編集者である池田さんから見て、作家・川代さんの魅力は?
池田:「重い」ところでしょうか。普通なら忘れてしまうことを、川代紗生さんは10年経っても後悔していたりする。
そういう「流せない」ところが、すごく小説に効いているんじゃないかと思うんです。なんとなく出来事を体験して終わるんじゃなくて、自分の気持ちをちゃんと感じようとされているんですよね。その時こう思って、でもこう咀嚼できなくて……という気持ちを、ずっと忘れずに持っていらっしゃる。
それって「生きづらい」って言われてしまうことだと思うんですけど、「流せない」まま生きていらっしゃることが、すばらしい魅力なのではないかと思っています。
――第一話は川代さんが自分の経験をもとに書かれているんですよね。それぞれの「元カレごはん」は、すべて実話なのですか?
川代:全8話のうち、半分ほどは実話をもとにしています。残り半分は、イチから作り上げていったものです。
――読んでいて、かなりリアリティを感じたのはそういうわけだったんですね。もともとどんな読者をターゲットに書かれたんでしょうか?
川代:基本的には主人公の桃子と同じ年齢層の女性です。アラサーで結婚もしたいし、仕事も頑張りたい、でもこれからの将来どうしよう……と考えているような方々に読んでいただくイメージで書きました。私も同年代ですが、30歳前後って、ちょうどいろいろなことが器用にできるようになるタイミングで。自分に合った働き方も見えてきて、でもだからこそ、「うまく生きていけるように整えた自分」に合わせて生きようとしてしまうところがあると思うんです。そういうテンプレートみたいなものを思い切って脱ぎ捨てることが最近できていないな、という悩みもあったので、それを小説にぶつけてみたいと思いました。
――実際、アラサー世代に売れている?
池田:読者の年齢層は意外と幅広いです。渋谷の宮下パークにいるような若い人たちだったり、上は50〜60代の読者もいらっしゃったりしますね。昔の恋愛話を思い出されていらっしゃるような感じがします。男女で言うと女性のほうが多いですね。
「生きやすい自分」を脱ぎ捨て、複雑な自分を受け入れる
――この小説がいちばん伝えたいテーマとは?
川代:全8話のすべての副題に「〜のふりをやめる」と入っています。
たとえば「あなたに好かれる女のふり」「懐の深い女のふり」「相手が求める自分のふり」――。その「〜のふり」をしてきた自分と向き合って、そのふりをやめる。これが、いちばん伝えたいテーマです。
人って何かモヤモヤしたものとかよくわからないものに対して、ちゃんと考えたり、向き合ったりする前にわかりやすい言葉をくっつけたりとか、わかりやすいラベリングをして……なんというか、「わかった気になりたい」「うまく折り合いをつけたい」ということって、すごくよくあるなと思うんです。
「私はこういう女だから」「こういう人間だから」。だからしょうがないとか。
「新しいステージに進むために、これは必要な出来事だった」とか、「意味」を見つけたくなってしまったり。
本当は人間って必ずしもA=Bみたいなわかりやすいものではなくて、でも、やっぱり不安だとどうしても、「ぐちゃぐちゃしたものをぐちゃぐちゃしたまま受け止める」勇気を自分で持てないんですよね。それに他人にも、感情を勝手に押し付けられることがあります。「今すごい、女の顔してたね」「つらかったよね、わかるよ」とか、いやいや、今なんも考えてなかったけど!? みたいな。私の感情の名付け親に勝手にならないでー! と(笑)。
そうやって、他人にも「こういうあなたでいてほしい」と期待され、自分自身でも「こういう自分じゃなきゃダメだ」と思い込んで私たちは日々、「自分」というラベリングとの戦いをしている。それを脱ぎ捨てて、複雑な自分を受け入れていく、複雑な人間同士でよくわからないまま生きていく、というようなところを書きたかったんです。
――本作でお二人がそれぞれいちばん気に入っているキャラクターのセリフは?
川代:私は第7話「期待の星のピザ」で、主人公の桃子が黒田さんに投げかけたセリフです。
「一緒に苦しもうよ。生きるを私たちともっとたくさんやろうよ。黒田さんにとって雨が嫌な記憶と結びついているなら雨を上書きすればいいじゃん。何回でも何十回でも何百回でも埋葬委員会を繰り返そうよ」
私は「一緒に苦しもうよ」というのをすごく気に入っています。第1話で黒田さんが桃子に「人間の苦しみには四苦八苦と言って、8つの苦しみがあると言われているけど、8つの苦しみの中には生きることそのものも入っている」という話をして、それで桃子は救われていたんです。
池田:生きているだけでこんなに大変でいいんだと。
川代:今度は逆に桃子が黒田さんに対して、一緒に苦しむでいいじゃんと。「生きる」って前向きなベクトルのイメージがありますが、いつも前を向いていられるわけじゃない。それだったら一緒に苦しむでもいいし、苦しむ仲間を探すでもいい。ポジティブになれなくても、後ろ向きでも、楽しければそれでいいという考え方もあるかなと思っています。
どんな人でも受け止めてくれる「絨毯」のような小説
――黒田さんがメインとなる第7話では黒田さんのお母さんやお兄さんとの関係が綴られていますね。小説自体は『元カレごはん埋葬委員会』というタイトルですが、恋愛の話にとどまらずに家族や仕事のことなどもテーマとして出てくる小説ですよね。
池田:そうなんです。そこを気に入ってくださる方もとても多いので、恋愛小説はちょっと、という方にもぜひ読んでいただきたいです。私は仕事をテーマにした「仕事と俺、どっちが大事なのチョコレート」という話に出てくるセリフが好きです。
「私も仕事が好き。今の場所で働く自分が好き。そう思えるようになった自分も、そう思えるようになるまで頑張ってきた自分を誇りに思うし、やっぱりそういう自分を捨てたくないよ」
このお話では、菊乃さんという、仕事をすごく頑張ってきた女性が埋葬委員会にやってきます。彼女が迫られた「仕事か恋愛か」という二項対立の話はよくあって、仕事ができていても恋愛ができてないと、自分には何か足りないものがあるんじゃないか、と考えちゃう人っていると思うんです。
でも菊乃さんは、仕事が好きだと思えるようになるまで頑張ってきた自分を誇りにしている。私も仕事が大好きでずっとやってきたタイプの人間なので、こうした言葉に救われます。
本作を読んでくださった読者さんからいただいた感想の中で、「作者の川代さんは人間を優しく見ていて、どんな人でも受け止めてくれる。絨毯みたいだ」というのが、すごくいいなと思いました。どんな人でも結局、最後は大丈夫だよと思えるのが『元カレごはん埋葬委員会』のすごくいいところだと思っています。
復讐心は消えていった
――川代さんは本作を書かれたことでご自身について新たな発見はありましたか?
川代:すごくありました。私自身が埋葬できたというか。今までの人生はそれこそ復讐心をバネに生きてきたんです。元カレだけではなくて、いろんな人を見返したいという気持ちをモチベーションにして仕事をしてきたような。20代とかってそういうモチベーションで頑張る人は多いと思います。
池田:たとえば就活の時に落とした会社を見返したいとか。
川代:そうですね。親戚のおじさんに「どうせこんなことできないだろ」とか言われたことをずっと覚えていて、見返してやるとか。あとは大学時代のライバルと自分を比べて自分のほうが上だと思ったりとか。今までは、常に誰かを見返したいというようなモチベーションでやっていたところがあった気がするんです。
本作もそういう過去に対する復讐の一環というか(笑)、そういうエネルギーで書き始めたような感じがありました。ただ、いざ書き終わってというか、書き進めていくと「楽しい」が上回って、復讐心はどうでも良くなったんです。
――文字にしたことで、体から出ていったのかもしれないですね。
川代:ほかにも、発売前後から本作のPRにも取り組む中で、本を売るのって大変だと痛感しました。それで、他の作家さんとかクリエイターさんへの嫉妬心が薄くなりました。みなさんこういうことを乗り越えての実績なんだということがわかったんです。今までだと自分と同世代の人が活躍していたら敵対心を持ったものですが、今は私も頑張ります、という気持ちになっています。そういう意味でも浄化させてもらいました。
――池田さんはこの小説に取り組まれたことで、ご自身の変化は?
池田:この本を作っていく中で、「何かのフリをしていることをやめる」という大きなテーマを見つけさせてもらいました。
「自分がこういう人になりたい」と思って、そのふりをするならいいんです。でも、この人のほうが好かれるとか、こういう人が求められているんじゃないかと思って、そのふりをしていると、それがうまくいかなかった時に、自分にものすごくモヤモヤしたものが残っちゃう。
私は逆だと思っていたんです。だって、誰かのふりをしていたほうが言い訳が立つから。「本当の私じゃないから」とか「本当はもっとできたのに」と言えると思っていたんです。でも、生身の自分でやったほうが後悔が少ないとわかったのは、すごい発見でした。これからの仕事でも糧になるんじゃないかなと思えることでした。
映像化の夢、そして世界へも羽ばたく
――池田さん担当作の『コーヒーが冷めないうちに』は2018年に日本で映画化され、ハリウッド映画化も決まっています。『元カレごはん埋葬委員会』についても、映画やドラマなど映像化される可能性は考えていますか?
川代、池田(ほぼ同時に):めちゃくちゃ願っています!
池田:原稿を読ませていただいた時から、すごく映像が目に浮かぶなと思っていました。ぜひ映像化したいと思っています。日本のドラマでも、ハリウッドでも、ぜひ!という気持ちです(笑)。「雨宿り」のみんなが実際に動いている姿を見たら泣いちゃうかもしれません……。
――テレビドラマもそうですが、最近ではネット動画でもオリジナルドラマを制作していますし、いろんな可能性がありそうです。
最後に『コーヒーが冷めないうちに』は欧州など世界40カ国以上で翻訳されています。『元カレごはん埋葬委員会』も世界に打って出ることを狙っていますか。
池田:すでに台湾と韓国から大きなオファーをいただいています。今も、英語圏からもゲラが欲しい、英訳が欲しいという声もいただいています。各国の方が「タイトルが素晴らしい、共感する」とおっしゃっていただいていて、驚きと共に、ものすごく嬉しい気持ちでいます。
――失恋も、元恋人に食べさせていた自慢の料理レシピとその思い出の話も、国籍問わず誰しもありますもんね。
川代:もしかしたら全世界共通のテーマじゃないかと思っていたんですけど、海外の人とも一緒に埋葬できたら素敵ですね。。いろいろな国の「元カレごはん」を知って、食べてみたいです!
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
【聞き手・構成】
武政秀明(たけまさ・ひであき)
サンマーク出版 Sunmark Web編集長
1998年関西大学総合情報学部卒、日産プリンス兵庫販売に入社。2001年9月、日本工業新聞社入社。2005年1月、東洋経済新報社入社。2018年12月、東洋経済オンライン編集長に就任(2020年9月まで)。2020年5月に過去最高となる月間3億0457万PVを記録。東洋経済オンライン編集部長を経て2023年4月に退社し、同5月からサンマーク出版へ。2024年2月にSunmark Webを立ち上げ、編集長に就任。