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「国境なき医師団」の僕が悟ったリーダーシップの核心

スーダン、シリア、イラク、イエメン――。世界の紛争地区で避難する人々は着のみ着のまま逃れ、家も学校もありません。そんな過酷な場所で、生き抜いている人々を目の当たりにしてきた国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎さん。

国際人道支援の現場で活動してきた中で気づいたことは、限りある命こそ、一番大事。でも、生きる上ではその命の使い方こそが重要だといいます。とくに、日本のような国にいる私たちに伝えたいことは、

「夢をもたない、追いかけないのはモッタイナイ!」
「自分の命を大きく使って生きよう」
ということ。

そんな村田さんが国境なき医師団での失敗を経て、ハーバード・ケネディスクールへの留学から学んだ「下から上へのリーダーシップ」とは?  著書『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』より一部抜粋し、再構成してお届けします。

『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』(サンマーク出版) 村田慎二郎
『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』

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医療施設への攻撃をなんとかしたい

 僕は、悩まされていた。

 国境なき医師団を変えようとしたのに、失敗に終わったからだ。そんなときに留学先で出会ったのが「リーダーシップはポジションではない。アクションである」という言葉だった。長年求めていたリーダーシップの定義に、40歳を過ぎてようやく出会えた気がしたのだ。

 僕が42歳でハーバード・ケネディスクールに留学した動機は明快だった。

「紛争地で援助が必要な人たちの医療へのアクセスを増加させるために、政治に変化を促すためのアドボカシー戦略を練る。それを練った上で、実際にその戦略を実現していけるリーダーシップを身につける」

 こう考えるにいたったのには、国境なき医師団の現場での葛藤とリーダーシップの失敗経験がある。

 現場での葛藤というのは、紛争地での医療への攻撃に対してだ。

 国際人道法では、紛争下での一般市民や病院への攻撃を禁じている。しかし、現実の紛争はまったく違った。

 シリアの内戦では、戦闘員と武力をもたない一般市民とが区別されなかった。

 反政府側がコントロールしている地域では、人口が密集している市街地で、無差別に 〝たる爆弾〟が政府軍のヘリコプターから投下されていった。

 僕がいた2012年から2015年初頭、状況は悪化する一方だった。だがとくに2015年後半にロシアがシリア政府の正式な要請を受けて内戦に参加してから、医療への攻撃の頻度が急上昇する。

医療へのアクセスが絶たれてしまう

 たとえば、反政府側の地域で国境なき医師団が物資を提供した現地の施設のうち63の病院は、1年間で94回空爆や砲撃にあった。それにより、医療スタッフの死傷者の数は80人を超え、12の病院が全壊した。

 なかには一度空爆をしたあと、救出のために人が集まってから戦闘機が引き返し、二度目の空爆をするケースもあった。軍が意図的な攻撃をしないと、こうはならない。

 WHO(世界保健機関)によると、シリア内戦の10年間で反政府側がコントロールしていた地域にある医療施設の多くが攻撃の被害にあった。アメリカの人道援助団体の調べでは、これまでに約600回の医療施設への攻撃が確認され、そのうちの9割はシリア政府軍かロシア軍によるものだ。

 人々のライフラインである病院を攻撃することで反政府側の勢力を弱らせるという、軍事作戦の一環といえる。

 医療施設への攻撃は、なにが問題か。

 それは、そこで働いている医療スタッフや患者が被害にあうというだけではない。一番の問題は、その病院を命綱にしている現地の何万人という人たちから、医療へのアクセスを奪うことだ。

 医療へのアクセスは紛争地でこそ大事なのだが、それが絶たれる。結果として、女性や子どもを多く含む数えきれないほどの助かるはずの命が助からなくなっていく。それを僕たちは、何度も目の当たりにしていた。

希望の光? 状況はまったく改善しなかった

「医療は命がけの仕事であってはならない。患者は病床で攻撃されてはならない」

 2016年5月、国境なき医師団の当時のジョアンヌ・リュー会長は国連安全保障理事会で演説をした。

 このとき協議された安保理決議第2286号は、シリア関連ではめずらしくロシアと中国も賛成にまわり、全会一致で可決された。

 紛争地での医療施設や医療スタッフへの攻撃を強く非難する決議だった。

 現場の僕たちには、希望の光がさしたように感じた。

 ところがその後、状況はまったく改善しなかった。

 シリアだけでなく、イエメンでもリビアでも、現地の医療施設の5割以上が攻撃されて国の医療の半分が崩壊していった。

 それなのに、国境なき医師団はこのテーマでの国連での外交的な活動を組織の優先順位から外してしまった。肝心の紛争当事者の国家間で、決議を履行するコミットメントがまったく見られない状況が続いたのが原因のひとつだった。

組織を内部から変える働きかけの失敗

「おかしいじゃないか」

 人道援助を現場で率いていた僕や一部のメンバーは、ヨーロッパ統括部門のトップにいる人たちがくだした決定に対して大きな疑問をもった。

 そこで始めたのが、組織の内部での働きかけだ。

 国際的なアドボカシー活動を再び活性化してもらうため、内側から組織を変えていこうとした。

 そのために、自分たちで部会を立ち上げ、勉強会の開催などをしていた。

 国境なき医師団は、人道援助という共通の目的をもった人たちが世界各地から自発的に集まる組織である。それをアソシエーションと呼んでいる。

 市民運動の考えからディスカッションを大事にする文化があり、下意上達で変化を起こすことも可能だ。

 年に一度の総会では、団体の今後の方向性を決める大切な申し立てが各国のアソシエーションから出される。それを代表者たちが議論して、最後は賛成か反対かの決定を投票で行うのだ。

 僕たちの部会は、このシステムを利用して一気に組織を変えようとした。

 そのため、総会に代表者を送れる24のアソシエーションのうち、自分たちが組みやすいところだけと話を進めた。

 その方が、途中で余計な抵抗にあわないと思ったからだ。

 総会の当日まで申し立ての文言を何度も変更し、練りに練った演説で、僕はこう述べた。

「いまも紛争地では、医療への攻撃が続いています。これは単に病院への空爆ではありません。これは、我々が大切にしている医療倫理や人道主義そのものへの攻撃といえるのではないでしょうか。紛争地で援助が必要な人たちの医療へのアクセスを保護するために、世界中の事務局が政治にチェンジを促す取り組みを再開すべきです」

 出席者の大半を占める医師たちの心に訴えたこのスピーチは、好評だった。僕たちの部会が提出したその申し立ては、満場一致で可決。僕も鼻が高かった。

 だが、できたのはそこまで。

 その後、僕たちは組織を変えることはできなかった。

失敗要因をアダプティブ・リーダーシップ論で分析する

 なぜだろうか──。

 この失敗経験の理由をハイフェッツ教授のアダプティブ・リーダーシップ論を使って考察すると、次の2つに集約できる。

1、トップのポジションにいる人たちに適切な働きかけをしなかった

 国境なき医師団には、ヨーロッパに5つ統括部門がある。

 そのトップにいる人たちに直接訴えることはせず、総会というシステムだけを使って組織を変えようとしたことに無理があった。

 ハイフェッツ教授は、「下からのリーダーシップ」では、トップにいる人たちとどのように関わっていくのかが大切だと説く。

 まず、トップには彼らの視座からしか見えていないものがあることを理解する必要がある。下にいる自分たちが把握しきれていない、多くの優先事項を抱えている場合があるからだ。

 たとえば、国境なき医師団が国際政治に変化を促すアドボカシー活動に本格的に乗り出すには、政治に深く、そして長く関わる必要がある。

 だが毎年、世界各地で新たな紛争が勃発して疫病が発生するなど、緊急事態が続くなかでは、そんな時間や人的余裕はなかなかない。

 また紛争下での医療への攻撃の背景はそれぞれ異なり、国連での外交よりも各国の紛争当事者に直接交渉をする方がよい場合もある。

 そういった事情は、組織のトップと直接話をしないとわからないものだ。

突然に「反対派として行動」を取ったように映った

 だからトップとの関わり方が大事になる。

 それも次のように、消極的なものから積極的なものまでさまざまなモードがある。

・服従する(言いなりになる)
・傍観する
・リスペクトして共に行動する
・疑問を投げかける
・提案をする
・交渉する
・反対派として行動する
・あきらめる
・組織を辞める

 これらの関わり方の種類でいうと、僕は直接彼らに「疑問を投げかける」「提案をする」「交渉する」といった過程をすっ飛ばしていた。

 トップからみると、突然に現状への「反対派として行動」を取った人物と映っただろう。なぜそのような選択をしてしまったのだろうか。

 言い訳になるが、自分に自信がなかったのだ。

 現場の責任者とはいえ、組織全体ではまだ中間管理職だった僕はトップと直接対峙(たいじ)をすることに恐れがあり避けてしまっていた。それでは、本当に組織は変えられない。

2、学習環境を醸成して、サポートしてくれる人を増やすことに時間をかけなかった

 あまりにプロセスを急ぎすぎた面もある。

 本来ならもっと時間をかけて各国のアソシエーションで部会を次々に立ち上げ、同じ志の人たちを増やしていくべきだった。

 実際に、1年以上時間をかけてした方がよいとアドバイスしてくれる組織の事情通もいた。だが僕は、数か月後にせまった総会の日程を目の前のカレンダーで逆算しながら事を進めてしまったのだ。

 それでは、トップに影響力のある人たちを十分な数だけ味方に引き込む環境はつくりきれない。

 これらの理由で、僕は「下からのリーダーシップ」に失敗をした。

 だから、ハーバード・ケネディスクールに留学することを決めたのだ。

トップがいつも正しく判断できるとはかぎらない

 国際政治の現実の下で、どうしたら国境なき医師団のような人道援助団体が医療への攻撃を削減できるのか──。そのアドボカシー戦略を練るだけでなく、自分のリーダーシップをさらに強化するために。そこで出会ったのが、ハイフェッツ教授だった。

 これからの時代、自分がいる組織やチーム、社会のトップがいつも正しく判断できるとはかぎらない。環境の変化に適応できず、自分が愛してやまない組織や社会がいままでのやり方では解決できない問題に直面するとき、僕たちはどうするか。

「リーダーシップはポジションではない。アクションだ」

 あなたが「上から」だけでなく「下から」もしくは「中間層から」どうリーダーシップを発揮するべきかを考えるとき、参考にしてほしい。

 自分が人生をかけて生きていく場所をよりよいものにするために。自分のためなどではなく、もっとかけがえのない大切なもののために。

 そしてリスクをとって行動を起こすからには、必ず成功してほしい。

(本原稿は『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』から一部抜粋して再構成したものです)

村田慎二郎 国境なき医師団
著者の村田慎二郎さん  

【著者】
村田慎二郎(むらた・しんじろう)
国境なき医師団 日本事務局長。1977年、三重県出身。
静岡大学を卒業後、就職留年を経て、外資系IT企業での営業職に就職。「世界の現実を自分の目で見てみたい」と考え、国境なき医師団を目指すも英語力がゼロのため二度入団試験に落ちる。
2005年に国境なき医師団に参加。現地の医療活動を支える物資輸送や水の確保などを行うロジスティシャンや事務職であるアドミニストレーターとして経験を積む。2012年、派遣国の全プロジェクトを指揮する「活動責任者」に日本人で初めて任命される。援助活動に関する国レベルでの交渉などに従事する。以来のべ10年以上を派遣地で過ごし、特にシリア、南スーダン、イエメンなどの紛争地の活動が長い。
2019年より、ハーバード・ケネディスクールに留学。授業料の全額奨学金を獲得し、行政学修士(Master in Public Administration=MPA)を取得。
2020年、日本人初、国境なき医師団の事務局長に就任。現在、長期的な観点から事業戦略の見直しと組織開発に取り組む。学生や社会人向けのライフデザインの講演も行っている。NHK総合「クローズアップ現代」「ニュース 地球まるわかり」、日経新聞「私のリーダー論」などメディア出演多数。

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