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誰でも超一流の人になれる「究極の鍛錬」6つの鉄則

「あなたが人生で実現したいもっとも重要なことは何だろうか? それが何であろうと、想像を絶するほど群を抜いた業績は誰でも手に入る」

こんな刺激的なメッセージで始まる本が『新版 究極の鍛錬』です。20カ国以上で翻訳され、何年も読まれ続けるロングセラーの新版。何らかのことが「できる/できない」は天賦の才能によるもの、と考えている人は少なくありませんが、本書はそこに異論を唱えます。

モーツァルト、タイガー・ウッズ、ビル・ゲイツ、ジャック・ウェルチ、ウォーレン・バフェットなどの天才たちを研究した成果とともに、才能の正体に迫り、ハイパフォーマンスを上げる人たちに共通する要素――「究極の鍛錬」――があることをつきとめました。

本日発売の本書より「何が究極の鍛錬で何がそうではないのか 初心者が鍛錬をしていると思っていることは、本当の意味での鍛錬ではない」のパートを一部抜粋。6つの「究極の鍛錬」のうち、2つを詳しくご紹介します。

『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版) ジョフ・コルヴァン
『新版 究極の鍛錬』


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●誰もが行うふだんの鍛錬

 鍛錬がどういうものであるかは知っている。始終やっているからだ。どんな鍛錬にせよ、おそらくは似通った一般的な方法で行っているだろう。

 ゴルフの場合、打ちっぱなしに行き、カゴ2杯のゴルフボールを購入し、打席を決め、クラブのバッグを置いてカゴを傾ける。最初は、ショートアイアンでウォームアップすべきだとどこかで読んだ覚えがあるから、8番か9番のアイアンを出してボールを打ちはじめる。

 また、どこか目標を決めて狙って打ったほうがよいと読んだこともあるので、前方のグリーンを想定し、そこを目がけて打つ。そこまでの距離は正確にはわからないが、ショートアイアン、ミドルアイアン、ロングアイアン、ついには練習を進めるうち、いくつかのとても悪いショットを打つ。

 通常の私ならきっと次のショットはまともであってほしいと願いながら、なるべく早く次のボールを打ち、そのうちにさっき打った悪いショットを忘れてしまう。

 ときどきなぜショットが悪いのか手を止めて考えるべきだと思うときがある。ボールを打つ際、5000か所も悪いところがあるようにさえ思える。そしてその一つを取り上げ、直そうとする。次の失敗打までには、上達したと感じられるように自分自身を納得させようとする。

 しばらくするともう一度悪いボールを打つ。そのとき、また5000か所のうちの別のもう一か所を直さなくてはならないだろうと感じるようになる。カゴ2杯のボールがなくなるや否やクラブハウスに戻り、十分練習したことに自己満足し次のゴルフ場の実践を楽しみにする。

 だが実際のところ、自己満足などしていられないのだ。ゴルフの打ちっぱなし練習場でやっていたことを鍛錬と呼ぶか否かにかかわらず、その鍛錬を通じてゴルフの上達に関しては何一つ成し遂げてはいなかったからだ。

●究極の鍛錬の要素とは?

 アンダース・エリクソンと同僚が提唱して以来、他の多くの研究者によって調査研究が行われ、究極の鍛錬という考え方はかなり具体的なものになっていた。究極の鍛錬は仕事でもなければ、遊びでもない。しかし、それ自体独自のものだ。

 スポーツと音楽という二つの分野の話をするとき、鍛錬という言葉をよく使う。こうした習慣は判断を誤らせるかもしれない。すでに示唆したように鍛錬だと思っていることは、しばしば研究者が究極の鍛錬と考えていることとは異なっているからだ。

 スポーツや音楽の例は身近なだけに大変に参考になる。それと同様に重要なのは、スポーツや音楽で鍛錬という言葉は習慣的に使われるので、この究極の鍛錬がその他の分野で利用される可能性を妨げているかもしれないということだ。

 具体的にはビジネス、科学といった分野ではめったに鍛錬という考え方をすることはないからだ。この究極の鍛錬というものは、偉業の達成に不可欠な要素なので、既存の考え方を捨て、その実態を偏見なくみれば得るものは大きい。

 究極の鍛錬にはいくつかの特徴的な要素がある。そして、それぞれが検討に値する。その要素とは以下の通りだ。

①   しばしば教師の手を借り、実績向上のため特別に考案されている。
②その鍛錬は練習者の限界を超えているのだがはるかに超えているわけではない。
③   何度も繰り返すことができる。
④   結果に関し継続的にフィードバックを受けることができる。
⑤   チェスやビジネスのように純粋に知的な活動であるか、スポーツのように主に肉体的な活動であるかにかかわらず、精神的にはとてもつらい。しかも、
⑥   あまりおもしろくもない。

 究極の鍛錬のそれぞれの要素について検討し、その意味を考えてみよう。

①   実績向上のために特別に考案されている

 ここでのキーワードは「考案されている」ということだ。効果が上がらぬ私のゴルフの打ちっぱなし練習のように、訓練を考案するには自分はまったく適任ではないとはっきりわかっていながらも自分勝手な鍛錬法を考案していた。

 ゴルフ打法のメカニズムはこれまで長期間にわたり研究され尽くし、プロはそのことをよく理解している。しかし私にはそうした知識がまったくなかった。そのことは、ほとんどすべての分野に当てはまることだろう。

 つまり、何十年何世紀にもわたる研究を通じ、能力はどのように開発され、改善されるのか、一連の知識体系ができ上がっている。そしてそれぞれの専門分野で教師を職業とする者もみな一般的にこうした知識をもっている。

 それゆえごく初期の段階やときにはもう少し長い間、個人の能力向上のため最適な活動メニューを考案するのに教師はほとんど常に必要だ。いくつかの分野、とくに芸術、科学、ビジネスのような知的分野では、最終的には自分自身で鍛錬の方法を考案するほど熟達していくのかもしれない。

 しかし、もう教師の助けは必要ないと考える人も、そう思い込む前にもう一度考えてみる必要がある。世界の最高の腕前をもつゴルファーになってもなおプロのコーチに選手が助けを求めているのには、それなりの理由があるからだ。

 理由の一つは教師の知識以外のものである。自分自身では見ることのできない方法であなたのことを見ることができるからだ。観察といえばスポーツでは文字どおりのことを意味する。すなわちボールを打っている自分の姿を自分で見ることができない。だから他人の視点から眺めることには大きな価値がある。

 スポーツ以外の分野では隠喩的になるかもしれない。チェスの教師は同じチェス盤を眺めながらも、生徒が見過ごしている局面での重要な悪い兆しを見て取ることができる。ビジネスコーチも経営者と同じ状況をみながら、たとえば経営者が自分の意図を組織全体に明確に伝えられていないことに気づくことができる。

 どんなことでも習いたてのころにめきめき上達したいと思えば、少なくとも教師やコーチの助けなしでは難しいことは明らかだ。本人の能力を冷静かつ公平にみないかぎりもっとも効果の上がる鍛錬の方法の選択は不可能だ。

 スポーツの場合、主に肉体的な理由から、またその他の分野では精神的な理由から、自分の能力については正直な評価ができる人はほとんどいない。

 たとえできたとしても、自らが選択した分野で、最新かつ最高の能力開発に関する知識を広めていかないかぎり上達している最中の瞬間瞬間に最善の鍛錬――最高のレベルに導くようなタイプの鍛錬――を考案しつづけることはできない。

 そして、我々のほとんどはそういう知識を持ち合わせていないのだ。

②    その鍛錬は練習者の限界を超えているのだがはるかに超えているわけではない

 最善の能力開発方法は常に進化しているが、中核となる原則は不変だ。できないことをやらせるのだ。その原則は当たり前のように聞こえるかもしれないが、自分では鍛錬と考えている活動でも能力の限界に挑戦するようなことはほとんどの人が行っていない。

 多くの大人はゴルフの打ちっぱなし練習でも、ピアノの練習でも今までやってきたことをただ繰り返すだけで、だいぶ前に達したはずの能力の維持を願っているだけだ。

 一方、究極の鍛錬では、業績を上げるのに改善が必要な要素を、鋭く限定し、認識することが求められ、そうした要素をより高いレベルで行うよう意識しながら鍛え上げていく。こうした究極の鍛錬の例はあちこちにある。

 偉大なソプラノ歌手ジョーン・サザーランドはトリル(声を震わせて甲高い声を出すこと)に数えきれない練習時間をつぎ込んだことで有名だ。基本的なトリル音だけではなく多くの異なるタイプ(全音、半音、バロック)の音も練習した。

 タイガー・ウッズは、バンカーに何個もボールを落とし、その上を足で踏みつけ、ボールを打つにはほとんど不可能なバンカーからの球出しの練習を繰り返した。偉業を成し遂げた人たちは、自分の取り組んでいる特定の課題をはっきりわかるように選び出し、うまくなるまでその課題に集中して練習しつづける。そして次の課題に移る。

 こうした特定の課題を自分自身で見つけられること自体が重要な能力だ。ミシガン大学経営大学院の教授でGEの有名なクロントンヴィル経営開発センターの前所長でもあるノエル・ティシーは三つの同心円を描いてこのポイントを説明している。

 一番内側の円を「コンフォートゾーン(comfort zone)」と名づけ、中間の円を「ラーニングゾーン(learning zone)」、一番外側の円を「パニックゾーン(panic zone)」と名づけた。そして人はラーニングゾーンを強化することで成長すると説明している。

 ラーニングゾーンとは、身につけようとしている技術や能力がもう少しで手の届くところにあることを指している。コンフォートゾーンではけっして進歩は望めない。もうすでにできることだからだ。一方パニックゾーンでの活動はあまりにも難しくどうやって取り組んだらよいのかもわからない。

 自分の手でラーニングゾーンを明確にすることはたやすいことではない。加えて、常に継続的にラーニングゾーンにいるように自らを強いることはさらに困難だ。以上が第2のそしてもっとも重要な究極の鍛錬の特性だ。

<本稿は『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです。残る4つの究極の鍛錬については本書で詳しく解説。Sunmark Webで近日配信予定の続編記事でもご紹介していきます>


【著者】
ジョフ・コルヴァン(Geoff Colvin)
フォーチュン誌上級編集長。アメリカでもっとも尊敬を集めるジャーナリストの一人として広く講演・評論活動を行っており、経済会議「フォーチュン・グローバル・フォーラム」のレギュラー司会者も務める。1週間に700万人もの聴取者を集めるアメリカCBSラジオにゲストコメンテーターとして毎日出演。ビジネス番組としては全米最大の視聴者数を誇るPBS(アメリカ公共放送)の人気番組「ウォール・ストリート・ウィーク」でアンカーを3年間務めた。ハーバード大学卒業(最優秀学生)。ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスでMBA取得。アメリカ、コネチカット州フェアフィールド在住。本書はビジネスウィーク誌のベストセラーに選ばれている。

【訳者】
米田 隆(よねだ・たかし)

Photo by Shutterstock


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