小くよ49 批判したい気持ちを抑える
誰かとちょっとしたことで言い合いになって、批判の応酬となった。あるいは一方的に批判された。逆に言いくるめた。そんな経験は誰しもあるものでしょう。
自分にとってはもちろん、相手にしたって、それは後味の悪いものでしかありません。少なくとも自分が嫌な人間にならないためには、批判との向き合い方を考えてみましょう。
『新版 小さいことにくよくよするな!』が説く格言を100日連続でお届け。
49日目は「批判したい気持ちを抑える」
批判したい気持ちを抑える
人を批判するとき、その相手についてなにかを言っているわけではない。その人を批判したいという自分の気持ちを伝えているだけだ。
ある会合で、お互いに批判し合う場面があったとしよう。帰宅してから、そういった批判大会が世の中をどれだけ住みやすくするかあらためて考えてみれば、おそらく私と同じ答えをするはずだ。「ゼロ!」。いいことは1つもない。
だが、それだけではない。批判したところで問題は1つも解決されないばかりか、世の中に怒りと不信をまきちらす。結局、批判されるのが好きな人は1人もいないのだ。
批判されると、人は自己弁護するか内に閉じこもるかのどっちかの反応しかしない。攻撃されたと感じると、人は2通りの反応をする──恐れと恥を感じて内に閉じこもるか、反撃して怒りを発散させるかだ。だれかを批判して「欠点を指摘していただいてありがとう、感謝します」と言われたことが何回ある?
批判は、悪態と同じく、悪い癖でしかない。いつのまにか慣れてしまうのだ。批判するときの気分はおなじみだ──批判はなにも話題がないときのかっこうのネタなのだ。
しかし、だれかを批判した直後の自分の感じ方を観察してみれば、自分が攻撃されたような、ちょっぴり後ろめたい気恥ずかしさに気づくだろう。そのわけは、自分が「批判したがり屋」だと世間と自分に向かって公言しているようなものだから。これはふつうは自慢できることではない。
解決策は、批判しているときの自分に気づくこと。どれだけひんぱんに批判しているか、それがどんなにひどい後味を残すか気づくこと。
私はそれをゲームとしてとらえるようにしている。批判したがっている自分に気づいたときは「ほらほら、まただよ」と呪文をとなえるのだ。そうとなえることで、批判が寛容と敬意に変わることを願いながら。
<本稿は『新版 小さいことにくよくよするな!』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
【著者】
リチャード・カールソン(Richard Carlson)
心理学者、ストレスコンサルタント
【訳者】
小沢 瑞穂(おざわ・みずほ)
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