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「数字合わせの企画は作らず、基本に忠実に売りまくる」兵庫 明石の出版社・ライツ社という生き方

『僕が旅に出る理由』というタイトルの本がある。旅に出て、新しい自分を見つけた大学生100人の手記や撮影写真などを集めたエッセイ集だ。

 2012年2月、京都市左京区に本社を置く「いろは出版」から刊行された。同出版社のプロデュースで、さまざまな人の書いた夢を集めて本にする「日本ドリームプロジェクト」による企画の一つでもある。

 2008年に関西大学を卒業し、同出版社に入社した大塚啓志郎(おおつか・けいしろう)が編集を担当。関西大学、神戸大学大学院を経て2011年に入社した髙野翔(たかの・しょう)が営業部門の中核として同僚とともに主要地域の書店を駆けずり回って、各店の一等地に多面展開する“売り場”を作りまくった。

 初版1万5000部→累計4万3000部まで販売を伸ばし、当時の旅行紀ジャンルでトップに立った。2024年のいまから見てみると、この本の存在は別の意味でも興味深い。

(取材・執筆:武政秀明/Sunmark Web編集長)

2人の代表取締役社長

 兵庫県明石市に本社を置くライツ社。大塚と髙野の2人がいろは出版を同時に退職した直後の2016年9月に、いずれも代表取締役社長を務める異例の経営方式で立ち上げた出版社だ。JR明石駅から徒歩10分ほどに建つマンションの1階部分にオフィスを構える。大塚は編集長、髙野は営業責任者を兼ねる。

 明石は日本の時刻の基準となる東経135度子午線が通る「時のまち」。新幹線停車駅(JR西明石駅)があり、マダコの水揚げ量は日本一。前市長を務めた泉房穂氏の政治手腕によって、少子化の中で人口増加を果たしたのをはじめ全国的に注目を集める自治体でもある。

 ただ、それでも人口30万人程度と、県庁所在地である隣の神戸市と比べれば規模の面では5倍前後開きがある。鉄道のアクセスで見ると大阪の中心部から1時間弱、東京近郊からは少なくとも4時間前後を要する。JR明石駅を起点にすると鉄道の利便性は相対的に高いほうながら、いわゆる関西の中堅地方都市の一つだ。

 大塚は明石生まれ明石育ち。ライツ社を立ち上げる際、福井県出身で京都在住だった髙野は、大塚の誘いを受けて家族とともにここへ移り住んだ。

明石から全国に名をとどろかせる出版社に

 その明石を起点にライツ社はいまや全国に名をとどろかせる会社になった。社員数は大塚、髙野を入れて6名。年間出版点数は4〜5点という小規模ながら業績を着実に伸ばし2021〜22年の第6期には年間4億円超を売り上げた。社員1人あたりに直すと約7000万円。

 その後も高水準をキープ。業界平均で1〜2割といわれる重版率は7割近い。収益面だけでなく、独創的かつ魅力的なコンテンツを発信する出版社としてファンも多い。

 もちろん苦労はあった。創業時には「やめておけ」「無謀だ」と反対する周囲の声が多数。資金調達や業界特有の慣習であり、販売の生命線ともなる取次会社との契約を取り付けることなど高い壁をいくつも乗り越えてきた。

 全国に2900社ほどある出版社はそもそも8割以上が東京に集中する。いろは出版のように京都にあるのも珍しいものの、それでも京都府書店商業組合のホームページで紹介されている京都の出版社は東京に本社がある会社の支社も含み130ほど確認できる。ところが明石ともなると、取次会社に取引口座を持ち、全国の書店に流通させられる出版社はライツ社以外にない。

 デザイン、印刷、製本、取次、書店、物流といった出版社を支える主要企業のほとんどが東京あるいは首都圏に本社機能を持つ。著者あるいは著者候補も首都圏在住者が少なくない。地理的条件からして出版社が東京に集中しているのは不思議でもなんでもない。

 ライツ社はそんな“常識”をものともしない。絶妙な関係性にある編集長・大塚(38歳)と営業責任者・髙野(41歳)が互いを信頼、尊重する強固な絆とそれぞれが発揮している強力な個性の組み合わせが原動力だ。言うなれば“旅人”と“哲学者”の名コンビである。

大塚啓志郎さん

類書ばかり作っていた“旅人”の転機

“旅人”は大塚だ。

「ライツ社には新刊点数のノルマがなく数合わせの企画は存在しません。そのジャンルでいちばん大きく展開したくなる本を作っています。類書がある時点でやる気が出ません。もし類書に近いとしても僕らが作る本は企画やデザインで『新しい』、あるいは『ジャンルの中で仕掛けたいど真ん中、王道』になる、というゴールを設定しています」

 力強い言葉の裏には大塚自身の苦しんだ過去がある。

 前職時代、入社から4年近く大塚の担当書はすべて初版止まりだった。

 いろは出版はもともと詩人きむ(代表取締役の木村行伸)がポストカードを路上で販売するところから始まった会社だ。出版社と名乗っているものの、売り上げの主軸はLOFTやハンズなどで取り扱われる雑貨事業。一般的な書籍づくりはほぼ行っていなかった。

 大塚は、そこに初めての編集者として新卒で入社した。先輩編集者がおらず業界の慣習もわからず、他の出版社に教えを乞いつつ、見よう見まねでヒット本の類書ばかり作っていた。

「真似するしかなかった。でも劣化版だからことごとく売れない」

 そんな折、大塚は早稲田大学のある学生と出会い、大学生の旅エッセイをまとめる企画を立てる。2つの強みが重なった。1つは大塚自身が大学時代に東南アジア、インド、ヨーロッパなどを回った「一人旅の経験」。もう1つは、いろは出版が作品集や日本ドリームプロジェクトで実践してきた「素人の文章を集めて本を作ってきたノウハウ」。

 大塚が好きでよく聴いていたロックバンド、くるりの代表曲に「ハイウェイ」(2003年)がある。その歌い出しの歌詞が『僕が旅に出る理由』。これだ。タイトルもバチッと決まった。「初めて編集らしいことをした。表紙のデザインもそこに選んだ写真もこだわり抜いた」。渾身作は編集者・大塚として初の重版につながった。

 著者は著名人でもインフルエンサーでもなんでもない、ごくふつうの大学生100人。この経験によって大塚はどんな人とでもベストセラーを作れると自信を持った。

「自分が好きな本を作ればいいんや! 僕、旅の本なら売れるんや!」

 そこから水を得た魚のごとく、写真集も含めて旅にまつわる企画の本を中心にヒットを連発する編集者となり、その後は同出版社の出版事業部長まで駆け上がる。

髙野翔さん

人生を変えた本に携わる“哲学者”の奮起

“哲学者”髙野のルーツは中学2年生の時に初めて読んだ『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』(NHK出版)。自分が人知れず抱えていた悩みと同じことを考えている人が昔から大勢いると、この本を読んで初めて知った。「1人じゃない。本で人生を救われた」。

 そこから大学院にまで進学し、哲学者の代名詞ともいえる大学教授を目指し、その夢は敗れるも「人生を賭けるなら自分の人生を変えてくれた本に携わりたい」と一念発起して出版界への門を叩く。それも関西に絞るという就職活動を経て、いろは出版への入社をこぎ着ける。2011年春のことだ。

 そこには髙野より3年早く入社した年下の編集者・大塚が先輩社員として働いていた。

 入社1年目の終盤に『僕が旅に出る理由』が発売を迎え、営業担当の髙野は各所を回り売りまくった。

 紆余曲折あって髙野は3年目に同出版社の実質的な営業責任者となる。初版・重版の点数や刊行スケジュールを決めるのも部下の担当地域を割り振るのも自分の仕事。「なぜなら誰も知らないから」。

 同出版社は一般的な書籍づくりだけでなく取次営業をはじめ特有の出版流通への対応でも後れを取っていた。髙野は当初、個別の書店や本部に赴く営業スタイルしか知らなかった。そんな折、社内から「出版営業はできることの幅が少なくてかわいそうだ」という一言を浴びせられる。

「すごくムカツいた」

 ならばやり方を変えてやろう。髙野は「外へ飛び出した」。ある日、埼玉で出版社と書店の飲み会があると聞きつけてメンバーに加えてもらった。メモを取りながら聞き回る髙野を訝る者もいたが、逆に気に入る者もいて2次会へ誘われた。そこで髙野は取次営業や報奨金など今まで社内では誰も知らなかった出版流通の数々の仕組みや慣習を知る。

「そこから一気に変わった」

 あちこちの出版関係者が集まる飲み会に顔を出し、色々と教えを乞い、自身でできることは全部取り入れていった。編集は真似事では二番煎じとなってしまうが、営業の立場からすると逆に模倣によって自身の弱みを補えた。

理想の独立だったはずが…

 2人は口を揃えて言う。「前職の社長にはとても感謝しています。挑戦できる責任と機会を与えてくれて、あらゆる失敗をさせてもらったからこそ、いまの僕らがいる」。
 
 大塚がヒット企画を作り、髙野が営業を取り仕切る。同出版社の出版事業が順調に回る中、2人に試練が訪れる。メイン事業である雑貨部門の不振に伴って会社全体で2016年に給与カットの方針が決まったのだ。

 会社から事前に知らされた大塚は髙野を会社近くのカフェに呼び出し、それを告げた。2人とも同出版社に愛着があったものの、どうにも報われない現実があった。

「で、どうする?」(大塚)

「理想は独立かな」(髙野)

「俺も」(大塚)

 腹は決まった。2人はいろは出版を飛び出し、明石でライツ社を2016年9月に立ち上げた。

 だが、2人は1期目で壁に突き当たった。想定に反して芳しくない売れ行き。独立のために金融機関から3000万円の融資を引き出していたが、手持ち資金は一時1000万円近くまで減った。

 大きなつまずきを恐れて「ご祝儀で複数のベストセラー作家が書いてくれたのに類書をかたく作ってしまった」のが原因だった。大塚が得意とする旅ジャンルでも前職で王道と呼べる企画を出し尽くしてしまい、ヒットにつながるような斬新な本が作れなかった。

誰も見たことがない本を

 ライツ社の独立に力を貸してくれた著者の一部からの言葉は「期待外れ」。それに加えて2人にとって今でも忘れられない強烈な言葉がある。

「ウチが発掘した著者の本ばかり出している。独立してまでやりたかったことなのか?」

 髙野が岡山へ出張に行った際、飲み会で一緒になったサンクチュアリ出版の市川聡(現取締役営業部長)から呈された苦言だ。独立前から市川にはさまざまな面で教えを乞うていた。

 髙野は明石に戻って大塚にそれを告げた。髙野から見るとその時の大塚は平静を保っているように見えた。一方、大塚の心には確かな火が点いていた。

 前職時代、出版事業を伸ばしていたのに他部門の不振を理由に給与カットを通達された。納得がいかなかった。「好きな本だけ作って食っていきたい」。これがライツ社の初志だった。

 大塚が初めて重版にこぎつけた『僕が旅に出る理由』は類書がなく自分が好きなジャンルで面白いと思って作った本だった。それまで、わからないことだらけだったとはいえ、類書ばかり作っていたから芽が出なかったのではなかったか。

 誰も見たことがないような本を作っていかなければならない。

 大塚は腹をくくった。

 同時に髙野も営業責任者として書店を回りながら、世の中の動向に目を配り、企画になりそうなネタを見つけてはライツ社のグループLINEに発信していた。

 そんな2人の思いが噛み合った結果の一つが、京都大院生として天狼院書店で働きながら書評ブログでヒットを飛ばしていた三宅香帆の発掘だった。当時23歳。髙野が三宅の書いたブログを見つけ、企画を提案。大塚と一緒に京都へ会いに行った。

 そこから生まれた三宅デビュー作の『人生を狂わす名著50』はライツ社2期目が始まったばかりの2017年9月に上梓した。「当時は大学(院)生が書く書評本はなかった。友だちのような感覚で書いてもらった」(大塚)ところ、初版どまりが多い書評本としては異例の増刷を重ねるヒット作に。現在までに7刷、累計1万8500部に達している。

 少し脱線するが、三宅は今年出版した『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書、2024年4月)が発売1週間で10万部、7月末で15万部を超えるヒット作に。今や時の人になった彼女を真っ先に発掘した出版社こそライツ社というわけだ。

リュウジ、知念実希人、泉房穂、ヨシダナギ

 もちろんライツ社が2期目に繰り出した手はこれだけではない。世界各地のレシピを集めた『全196ヵ国おうちで作れる世界のレシピ』(著:本山尚義、2017年12月発売)も異色作といえる。現在11刷、累計4万6000部。海外のレシピを集める本といっても数十カ国程度のボリュームではなく、日本が国として認める196カ国の料理すべてを集め切ることで他にはない存在感を放つ1冊となった。

『毎日読みたい365日の広告コピー』(著:WRITES PUBLISHING、2017年12月発売)も斬新な1冊として作り上げられた。『全196ヵ国おうちで作れる世界のレシピ』と同様に、集めた広告コピー数が群を抜いている。1年=365日とすることで読者と接点を作れたのがヒットの背景にある。今年6月に20刷が決まり累計9万8000部に達している。

「賭けやな出版社は。賭け続けなアカン」。大塚は強く思った。

 2期目は黒字に。ただし、これに浮かれず、その後も「自分たちが本当に面白いと思う企画しかやらない」という思いを貫き、コンセプト。タイトル、紙面の見せ方など突き抜けたヒット作を次々と世に送り出している。全部はとても紹介しきれないが、ビッグネームの著者がかかわるライツ社の主なタイトル・シリーズをいくつか挙げてみよう。それぞれの舞台裏に熱いドラマがある本ばかりだ。

・登録者数498万人(2024年9月1日時点)を誇るYouTubeチャンネル「料理研究家リュウジのバズレシピ」を運営するリュウジによる『リュウジ式悪魔のレシピ』(2020年料理レシピ本大賞受賞)『リュウジ式至高のレシピ』(2022年料理レシピ本大賞受賞)シリーズ(全4作)

・ミステリ作家・知念実希人による児童書『放課後ミステリクラブ』(2024年本屋大賞ノミネート)シリーズ(全4巻)

・写真家・ヨシダナギによる写真集『HEROES』

・前明石市長・泉房穂による『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』

 多くは編集長の大塚が主導しているが、出版界で網を張り巡らしている髙野から発案された企画もある。5万6000部を突破し、2020年読者が選ぶビジネス書グランプリにおいて、イノベーション部門賞を受賞した『売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』(中村朱美)もその1つだ。

 ヒットが見込めないとしても、意義を見出せる企画はクラウドファンディングの力を借りて作るスタイルとしている。認定NPO法人Homedoorからの依頼のもと作ったホームレス状態の人たちによる写真集『アイム』や、明石だこの魅力を全国に届けたいという地元明石の水産加工業者の思いを受け取って作った写真集『たこ88』など。新刊点数を絞っているからこそ類書で部数を稼がずともという割り切りができる。出版社が集中している東京から遠く離れているからこそ、逆に手を貸してくれる著者もいる。

“旅人”は“常識”に染まらない

「ライツ社で8年、特定ジャンルを決めないであらゆるジャンルをやってきた結果、『ここまでやったら売れる』という頑張り方がわかってきた。自分の中でやり切った感覚が120%ラインに届けば売れる。逆に届かなかったら出しても凡打になってしまう」

 大塚はそれを再現性がないと話す。他者から見ればそうかもしれないが大塚自身はヒットの法則をはっきりとつかんでいるように見える。

「誰も見たことがない」は初めて訪れる場所を回る旅と同義だ。直接的に旅ではないテーマにもそれが垣間見える。たとえば現在20刷18万部のヒット作『認知症世界の歩き方』(著:筧裕介、2021年9月発売)がまさにそれ。スケッチと旅行記の形式で認知症の人が見ている世界を描いた。これは髙野が見つけた著者とともに大塚が仕立て上げた。

 言うなれば書籍づくりを通して「旅」をしている。編集者・大塚は“旅人”なのである。

 新卒の就職活動では講談社、小学館、集英社、読売新聞社、朝日新聞社などといった大手メディア企業を受験したものの、いずれも内定はかなわなかった。

「才能がない僕は、東京で働いていたら周りを見て焦って類書ばかり作ってしまっていたかもしれない」

 仕事柄、東京にはよく足を運ぶが東京の出版社で働いた経験はない。「そのぶん基礎がない。型がないのはいい面でもあり、コンプレックス。むしろ今、型をつくっている」。だからこそ“常識”や“慣習”に染まらず、「こうあるべき」という固定観念、しがらみにもとらわれないのだろう。

 編集者・大塚にとって思い出深い1冊、『僕が旅に出る理由』の商品紹介ページ(いろはショップオンライン)にはこんな一節がある。

《世界に一歩飛び出した瞬間、目の前に見えるものや聞こえるもの、吸う空気、日本にいるときの当たり前なんて一つもない。自分の中の何かが”変わった”》

 編集者となって4年近くヒットに恵まれなかった大塚の中の何かが“変わった”瞬間もここだったのだろう。試行錯誤を繰り返した時期が決して短くなかったからこそ、その後大きく“化けた”原動力になったはずだ。

“哲学者”が一度会ったら応援される理由

 そして髙野もまたその後、いろは出版から外の世界を回る旅に出たからこそ、自分の中の何かが“変わった”実体験を持っている。髙野から見ると『僕が旅に出る理由』という本は「あのヒットがなかったら、出版事業を続けられなかった」。いま振り返れば2人にとってのターニングポイントとなり、出版界に新たな歴史を刻むきっかけともなった1冊だったのだ。

 そんな髙野は“哲学者”。かつてのめり込んだ「哲学」を辞書で引くと主な意味は2つある。「①世界や人間についての知恵・原理を探究する学問であり、② 自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観」。

 髙野の出版業界評は「一度あったら応援したくなる人」。初めて会う人でもその心をすぐにつかみ、一気に仲良くなれる人懐っこさがある。「1人であれだけの売り上げを作れるのは驚異的」との声も。これに対して髙野は「他社の営業の方々の偉大な知の寄せ集めを享受して今がある。逆に言うとオリジナリティはまったくない」。謙遜するものの、それをとことんやり尽くしているからこその成果なのだろう。

 髙野への取材の最後に「髙野さんにとっての哲学とは何ですか?」と聞いてみた。返ってきたのは「たった数行を一生かけて解釈していくのが哲学。それを味わう大切さを学びました。その数行で人生は変わる。誰かの人生の支えにもなり、変えることもあるのが、本とか物語の深淵。そういう仕事に取り組んでいます」

絶妙なバランスの経営体制

 いい本を編集が作れても営業に売る力がなければ世の中に広まりきらない。逆も然り。商材と流通の両方を抑えなければ勝てないのが商売の鉄則。自由闊達な発想を持った“旅人”大塚が前例のない本を作り、質実剛健な“哲学者”髙野が基本に忠実に売りまくる。ライツ社はその両輪がしっかりと噛み合っている。

 そして根性論でも精神論でもない、ライツ社の成り立ちそのものがそうさせている面もある。

 大塚と髙野の2人ともそれぞれ代表権を持つ社長として居並び、株式も折半で保有している。「年下の先輩」(大塚)と「年上の後輩」(髙野)という関係性も手伝って、編集、営業のどちらかに偏らない経営体制となっている。今回2人を別々に取材する機会に恵まれた筆者からは、お互いを会社の代表者としてパートナーとして信頼、尊重し合っている絆の深さを感じた。

 世間一般的に企業や組織における役職、年齢、年次をめぐる力関係が起因して、または部署・部門間の対立によって望まない結果を招くケースは往々にしてある。この点において偶然の産物なのかもしれないがライツ社の経営体制が、そうならないような絶妙なバランスのもとに成り立っているのは興味深い。これが他の会社にはなかなかない彼らの独自性であり、強みでもあると筆者には見えた。“旅人”と“哲学者”とは別の役割を担った社員たちも2人をしっかり支えているのだろう。

(文中敬称略)


武政秀明(たけまさ・ひであき)
サンマーク出版 Sunmark Web編集長
1998年関西大学総合情報学部卒、日産プリンス兵庫販売に入社。2001年9月、日本工業新聞社入社。2005年東洋経済新報社入社。東洋経済オンライン編集長(2018年12月〜2020年9月まで)時代の20年5月に過去最高となる月間3億0457万PVを記録。東洋経済オンライン編集部長を経て2023年4月に退社し、同5月からサンマーク出版へ。2024年2月にSunmark Webを立ち上げ、編集長に就任。兵庫県神戸市出身。隣接する明石市内にはしょっちゅう足を踏み入れ、明石市内で働いたこともある。

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