自信を失ったときは誰かの役に立った記憶を思い出して
うまくいかなかったり、落ち込んだりすることは、多かれ少なかれ誰しもあることです。そんな時に「誰かの役に立った記憶」が自分を奮い立たせてくれます。それも大きなことでなくてもいいのです。
14万部突破のベストセラー『ほどよく忘れて生きていく』より心療内科医、藤井英子さんの言葉をお届けします。
小さな「お役立ち」を思い出す
自信を失ったときは
誰かの役に立った記憶を
思い出します。
小さなことほど、
覚えているものです。
自分に自信がないときやものごとがうまくいかないときに、「自分には何もできない」「自分が生きている意味はあるのだろうか」と極端に落ち込んでしまう人がいますが、そんなときこそ、過去誰かの役に立った記憶を思い出してみてほしいのです。
人は誰かの役に立ててこそ、喜びを感じる生き物です。感謝されたときこそ、自信を持つことができます。
私が幼少期に人の役に立てたと思った体験は、戦時中のことでした。
空襲警報が鳴ると、お役を持っていた母は集会場に出かけることが多く、私はその間に、玄関の下に掘った地下壕の中で、一升瓶に入れた闇米の玄米を棒でついて精米していました。安全が確認され警報が解除されると、ある程度の精米になっていて、これで少しは母の役に立てたかなあと幼心に思ったものです。母は何も言いませんでしたが、自分なりに役立てたという実感を今も思い出すことができます。
「人の役に立てた体験などありません」という人でも、ひとつやふたつは必ずあるものです。生きていて一度も誰かの役に立ったことがない人、「ありがとう」と言われたことがない人などいませんよ。
小さなことでもいいのです。学校の先生に面倒見のよさをほめられたことや、交番に落とし物を届けて喜ばれたこと、そのときの気持ちを思い出してみてください。
人生の意味というのは、小さなことの積み重ねです。名声や大きなことを成し遂げた功績を手に入れずとも、人のお役には立てます。
「選んだ道」を肯定する
「今の自分」は、
これまでの選択の結果。
自分が選び取った人生と
まずは胸を張りましょう。
人生の選択というのは、案外、たまたま目に入ったから、人から声をかけられたからというような偶然も多いのかもしれません。私も、偶然の流れに乗るようにして、医師という道を志しました。
「これからは女性も手に職を」という両親の考えもあって、10歳のときに医師になろうと決めました。弁護士なども考えたのですが、近所に医大に通っているお兄さんがいて、それがきっかけで医師になろうかなと思ったのです。
そう言うと、「私はそういう道を選べなかった」「あなたは恵まれている」と思う人もいるかもしれませんが、大切なのは誰もが、自分の道を選び取って今を生きているということです。
決断と偶然の繰り返しで、今、ここにいるのです。
私もまた、すべてが思ったとおりの人生だったわけではありません。子育てのために医師の道を中断した時期もありましたが、今となってはそれもまた、自分にとって大切な人生の選択だったと思っています。
今、もしも、自分の人生が苦しくて、うまくいかずに悩んでいるのなら、それは自分が選んだ自分の人生なのだと、自分に胸を張ってみてほしいのです。
「私なりに、今日まで頑張って生きてきた」
過去を後悔するのではなく、今日までの人生の選択が、最善であったと信じてみる。大切なのはこれからどう生きるのかを、今日また選び取るのだということです。
<本稿は『ほどよく忘れて生きていく』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
藤井英子(ふじい・ひでこ)
漢方心療内科藤井医院院長、医学博士