社長にいつもいちばん頭がいい人を求めるよりも必要なこと
企業の社長になるような人は、何から何までできるスーパーマンのような人ばかりだけではありません。
いつも一番頭がいい人である必要はない
ある大企業のCEOが話しているのを聞いて、その人物がどのようにしてCEOになったのかと疑問に思ったことはあるだろうか? おそらくこの「詐欺師」はまったく明瞭に話せないし、会社のこともまるで知らず、CEOにふさわしい人物というよりもただのお飾りのようだろう。
こうしたことは誰でも一度ならず経験したことがあると思う。
CEOを評価する際、私たちは型にはめようとするという大きな失敗を犯しがちだ。ある種類の企業のCEOならこんな感じだろうという固定観念がたくさんある。たとえば、先端技術系のスタートアップ企業なら、パーカーを着てサンダルを履いた、華奢で童顔の若い男だ。熱心に語り、知識も豊富だが、ロボットのように抑揚のない口調をしている。
いっぽう、金融サービスの会社なら、高価なスーツを身につけ磨き抜かれた靴を履いた、たくましくて身なりのいい男だ。自信に満ちあふれていて感じがいい。もっと続けることもできるが、おわかりいただけるだろう。あるCEOが私たちの固定観念にぴたりとはまらないと、おのずとその会社は疑問を抱かれてしまう。
CEOに共通点はない
実際には、さまざまなCEOがいて、その才能に十分に注目できないことがほとんどだ。討論会などで話している場合はなおさらそうだ。CEOが全員、鋭い知性から驚くような直感まですべてを兼ね備えたスティーブ・ジョブズのようではない(タートルネックのことと癇癪もちであることはいったん忘れよう)。
すばらしい技術者のCEOもいれば、経営手腕に長けていて従業員の能力を最大限引き出せるCEOもいる。先を見通す力のあるCEOもいる。起業家として成長するうちに、私はどんなタイプでも同じように敬意を払えるようになった。
だが、さまざまなCEOとその価値を心から認められるようになったのは、若いときのある経験があったからだ。
起業家になると決心し、最初の会社を立ち上げたすぐあと、私はアトランタで開催された、尊敬を集め評価の高いあるCEOの公開討論会に参加した。このCEOは伝説となっていた。
その偉大さを称える評判と類いまれな成功から、彼が典型的なCEOだと私は予想していた。ご存じのとおり、魅力にあふれ、背が高く、自信に満ちあふれているタイプだ。
でも、彼は正反対だった。それどころか、インタビューの最中、ときおり気の毒に感じずにはいられなかった。というのも、彼は主語と動詞のある基本的な文すらほとんどつくれなかったからだ。何を言っているのかを理解するのが本当に難しかった。
それでも、いやはや、私は驚かされた。最初はがっかりし、話もよくわからなかったのだが、私は起業家としての数年間で学んだ中でも最大の教訓を得た。討論会が終わりに向かうと、彼はたくさんの聴衆をじっと見つめて、口ごもりながら言った。
「私は話すのがうまくもないし、説明が上手でもありません。でも、ふさわしい人材を選びまとめる方法を心得ています。それに、いつも私がその場で一番頭のいい人間である必要はないのです」
謙虚であれ!
彼の最後の発言は非常に力強く、私の言いたいことを要約していた。その夜、私は最も成功したCEOは誰よりも謙虚だと学んだ。自分にすべての答えがわかるわけではないことを知っているので、助けが必要なこともわかっているのだ。
もしあなたが、何もかも知っていて誰の言うことも聞こうとしないし誰も──特に自分より頭のいい人間は──雇いたくない、虚勢を張るCEOだったら、そこから先には行けないだろう。最良の起業家は、自分がいつもその場で一番頭のいい人間である必要がない。彼らはそのことをわきまえている。
<本稿は『起業マインド100』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock
【著者】
ケヴィン・D・ジョンソン(Kevin D. Johnson)
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