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目の見えない精神科医が見えていた時に目にした「人生のマジックアワー」

 どこにでもある風景を目にして感動するという人は少ないでしょう。でも見方を変えると、実は貴重な風景を見ているかもしれません。

「目の見えない精神科医」として北海道美唄市で働く福場将太さん。彼は徐々に視野が狭まる病によって32歳で完全に視力を失いながらも、それから10年以上にわたって精神科医として患者さんの心の悩みと向き合っています。

 見えなくなったからこそ、どこにでもある風景が見えていたことの重みがわかる。それは普段、当たり前のように目が見えている人たちが、なかなか気づかないことでもあります。

 福場さんが病気を診断されてから見えなくなるまでに体験した「人生のマジックアワー」。初の著書『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』よりお届けします。

『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』 サンマーク出版
『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』

人生のマジックアワーはいつ?

 マジックアワー。それは、日没後および日の出前に数十分程体験できる薄明の時間帯を指す撮影用語です。

 日が暮れる直前に、空を赤く染める夕焼けと青空が混ざり合う魔法のようなこの時間では、全ての被写体が魔法をかけられたように芸術的な輝きを放つと言います。

 今思えば、目が見えなくなる最後の数年間は、人生のマジックアワーと呼べるほどに世界の全てがきらきら輝いて見えました。

 特に、国家試験に落ちてから次の試験を受けるまでの1年間は、思いつく限りの経験ができ、人生で一番有意義だったと言っても過言ではありません。

 例えば、ずっと会いたかった人に会いに行きました。

 遠い親戚の、法医学者でありながら作家業もしているおじさん。

 小説好きの私はずっと会いたいと思っていましたが、国外にいらっしゃることも多いおじさんなので、これまでタイミングを逃していました。

 しかし、いつ目が見えなくなってもおかしくない状況が私を突き動かしました。

どれもが人生のハイライトのように

 待ち合わせの駅に向かう電車の車中から見た海のきらめき、食事をご一緒した横浜中華街のお店、そして突然の来訪者を歓迎してくださったおじさんの優しい笑顔。

 その全ての光景を今でも鮮明に覚えているし、そのどれもが人生のハイライトのように脳裏に焼きついています。

 小説と並んで大好きな「音楽」にまつわる思い出も、見えなくなる寸前のものはひとかたならぬものがあります。それこそ、医学生の頃には考えもしなかった、アマチュア野外ライブイベントへの参加がその1つ。

 錦糸町の駅前広場に、出演者みんなでステージを設営しました。

 自分の出番を終えて、ぼんやりライブの続きを見ていた夕暮れ時のことです。

 とある女性シンガーが歌い始めると、まるで演出かのように、その歌手の背景を暮れなずむ夕映えが包みました。黄金色に輝く空とそこに映し出される彼女のシルエット。それは、その時の空気感と共に、一生忘れない黄昏(たそがれ)です。

 また、精神科医になって北海道へ来たばかりの頃。着任したクリニックのある美唄市には、渡り鳥の居留地として有名な沼があると聞きました。

「マガン」という渡り鳥が、外国に飛び立つ前にそこに立ち寄るのです。

 その数、数万羽。それだけの鳥が、一斉に飛び立つ光景をこの目で一度は見ておきたい。そう思った私は、休日を利用してその沼を訪れたのでした。

 これは現実に起きている光景なのだろうか? そう思えるほど、空一面を覆い尽くすマガンの大群。その景色に圧倒され、思わず歓声を上げていました。

目に映る景色の全てに「特別」という名のフィルターを掛けた

 それから数年が経ち、20代後半になると、いよいよ同じ部屋の同じソファに座っていても、見える範囲がどんどん狭くなっていきました。「今年は、これも見えなくなったな」と実感していくわけです。

 まだゆいまーるにも音声パソコンにも出会っていなかったので、失うものばかりがどんどん増えていくように感じていました。残っているものをただ必死に抱きしめながら暮らす日々です。

 その時に遊びに来てくれた学生時代の友人の顔、診察室の机や椅子、一緒に働いていた同僚の姿、そこに転がっている誰かが捨てた空き缶など、何気ない日常のひとコマひとコマが愛おしく感じられました。

 それくらい、「いずれ目が見えなくなる」という前提が、私の目に映る景色の全てに「特別」という名のフィルターを掛けていきました。

 錦糸町で見た黄昏や、マガンの大群のような非日常的な景色のみならず、どこにでもある景色の全てが、私にとっては今でも自分の歴史に刻まれる名シーンです。

 まさに、病気と診断されてから、見えなくなるまでの期間は、私にとって「人生のマジックアワー」だったと思うのです。

<本稿は『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by shutterstock


【著者】
福場将太(ふくば・しょうた)
1980年広島県呉市生まれ。医療法人風のすずらん会 美唄すずらんクリニック副院長。広島大学附属高等学校卒業後、東京医科大学に進学。在学中に、難病指定疾患「網膜色素変性症」を診断され、視力が低下する葛藤の中で医師免許を取得。2006年、現在の「江別すずらん病院」(北海道江別市)の前身である「美唄希望ヶ丘病院」に精神科医として着任。32歳で完全に失明するが、それから10年以上経過した現在も、患者の顔が見えない状態で精神科医として従事。支援する側と支援される側、両方の視点から得た知見を元に、心病む人たちと向き合っている。また2018年からは自らの視覚障がいを開示し、「視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる」の幹事、「公益社団法人 NEXTVISION」の理事として、目を病んだ人たちのメンタルケアについても活動中。ライフワークは音楽と文芸の創作。

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