アメリカ・テキサスが、かつて「国」だった歴史を知っていますか
アメリカ・テキサスといえば南部に位置する広大な州として知られています。
テキサス州では不毛の荒れ地から海水浴ができる海岸線、緑が生い茂る山々、広大な草原まで多岐に渡る風景が見られ、都会的な街から、辺鄙ながら小さくも美しい街もあり、文化的に豊かで多様性に富んでいます。(アメリカのオフィシャルトラベルサイト「Go.USA.jp」より)
そんなテキサスは1836年から1845年まで独立した国家でした。アメリカ合衆国に入るまでの間、どんな歴史を辿ったのでしょうか。
『世界滅亡国家史』よりお届けします。
アメリカに入りたくて「メキシコ」から独立
19世紀初頭、アメリカ中の空き家のドアには「Gone to Texas」(テキサスへ行った)と殴り書きがしてあった。
1819年、アメリカは初めて財政危機を経験し、多くの人は、このままじっとしているよりもテキサス──このときはまだスペイン領メキシコの一部だった──に行って人生をやり直そうと考えた(1)。
テキサスの独立は、この移民の急激な増加を受けて起こった。実のところ、この共和国は1813年にすでに一度誕生していた(そして、一瞬でメキシコに戻った)。
そのメキシコは1822年にスペインから独立した。テクシャン(テキサスのアメリカ人移民)はメキシコ独立派とともにスペイン軍と戦ったが、メキシコ新政府が奴隷制禁止の方針を打ち出すと、奴隷制に寛容な独立国家の樹立を目指してテキサス革命(1835~36年)を起こした──このときはサンタ・アナという非常に嫌われているメキシコ大統領が相手だった。
この戦争の末期、多数の戦死者を出した有名な「アラモの戦い」(1836年2~3月)は、国家の起源にまつわる英雄的な物語を新生「テキサス共和国」に与えることになった。
ニッチ産業がこの新しい国の要求に応えて生まれた。アメリカ議会図書館には、テキサスの万能ピルについての広告が保存されている。
「(この薬は)テキサスの気候に伴って発症する病気を慎重かつ個別的に検査し、国民の健康、安心、幸福にとくに注意して調合されています」(一般的な指示として、「体内の浄化のために排便をしっかり行うこと」という内容が書かれている)。
しかし、万能ピルや定期的な便通では、国を持ちこたえさせるには不十分だった。テキサスでは、真のナショナル・アイデンティティが確立されたことは一度もなかった。
その理由の1つは、そもそもこの国はアメリカ合衆国に加わることを望んでいたからである。
アメリカ国民は「テキサス加入」を嫌がった
革命により100万ドルの借金を受け継いでいたことに加え、貧しい国民から多くの税金を徴収することができなかったことが相まって、共和国は破産した。
彼らは独自の紙幣を発行したが、何の裏づけもないその紙幣はすぐに価値を失った(2)。
共和国が約10年も続いたのは、アメリカ国民の多くがテキサスの参加に激しく反対したからだった。テキサスは「ならず者たちの峡谷」であり、北部は奴隷の所有を認めている南部の勢力が大きくなることを恐れていたのである。
結局、1845年にアメリカ合衆国の28番目の州として併合されたが、自称テクシャンの心に燃える独立の炎は消えなかった。いや、筋金入りのテクシャンは合衆国から脱退することすら望んでいない。
なぜなら、彼らに言わせれば、そもそもテキサスは一度も合法的に合衆国に参加したことがなかったのだから。彼らは独自の通貨を作り、独自の裁判所と思われているものを持っている。
だが、どちらも正当性が乏しいため、しばしばFBIによる強制捜査が行われている(3)。
テキサス共和国〈1836~45年〉
人口 :14万人超(1847年頃)
首都:多すぎる
言語 :英語、スペイン語、フランス語、
ドイツ語、コマンチェ語
通貨 :テキサス「レッドバック」ドル
滅亡原因:そもそも本気で存続を望んでいなかった
現在: アメリカの一部
<本稿は『世界滅亡国家史』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock
【著者】
ギデオン・デフォー(Gideon Defoe)
作家、アニメ脚本家
【訳者】
杉田 真(すぎた・まこと)
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