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天職を盲目的に追い求める人に知ってほしいこと

「天職」という言葉の響きにあこがれる人は少なくないでしょう。自分に合っていて世の中の役にも立ち、やりがいがあって満足している。

 ただ、そんな仕事に就けている人は、そう多くはありません。

 膨大な研究結果をひもときながら、「よい人生」を送るための52の思考法をまとめた『Think clearly』の著者、ロルフ・ドベリさんは「天職を追い求めるのは危険」と説きます。その真意とは? 本書よりお届けします。

『Think clearly』

自分の使命を一生涯まっとうした偉人たち

 251年、聖アントニウスは、裕福な地主の息子としてエジプトで生まれた。

 18歳のときに両親が亡くなり、教会へ行くと、マタイの福音書の1節が聞こえてきた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』マタイによる福音書19章21節)

 その言葉どおりに、聖アントニウスは財産をすべて貧しい人々に分け与え、砂漠の果てへ旅に出て、隠者としてそこで長い年月を過ごした。

 そのうち、彼に続く者が現れ、その数はどんどん増えていった。同じように神の呼びかけに応じた若者たちだ。

 こうして、同じ場所に暮らしながらもそれぞれが隠者として別の生活を送るという、キリスト教の「修道院制度」ができあがった。今日、聖アントニウスが「修道士の父」と呼ばれるゆえんである。

 1000年後、イタリアの裕福な織物商の息子にも、同じようなことが起きた。

 アッシジのフランチェスコは享楽的な生活を送っていたが、ある日、夢で神からのお告げを受ける。彼は自分の全財産を人々に分け与え、着ていた衣服を物乞いと取り替え、修復された修道院で隠者として暮らすようになった。その後、だんだんと彼に賛同する者が集まり、フランチェスコ会が結成された。

 今日、私たちが「天職」という言葉を聞いたときに頭に思い浮かべるのは、聖アントニウスやアッシジのフランチェスコのような人々だ。

 彼らは「天の声」を聞き、それに従うのが自分の務めだと直感したのだ。キリスト教の伝道者パウロ、神学者のアウグスティヌスやブレーズ・パスカルも同じような経験をしている。

「作家になるために生まれてきた」トゥールの話

 この「天職」という言葉、とてもよく耳にする。「自分の天職を見つけるにはどうすればいいですか?」これは、若者から頻繁に受ける質問のひとつだ。そう訊かれるたびに、私は言葉に詰まってしまう。

「天職」という概念は、キリスト教の遺物にすぎない。私のように神の存在を信じていない者にとっては、妄想がかった考えに思えてしまうのだ。

 もちろん、天職を求める現代の人たちは、俗世間から背を向けようとしているわけではない。人生において自分たちが進むべき道を、はっきりと示してほしいだけだ。

 彼らの頭の中には、「人間はみんな、いつか花開く何かしらの才能の芽を持っているものだ」というロマンチックな幻想がある。そのために、彼らは自分の心の声に1心に耳を傾ける。人生を充実させるための仕事が何かを告げる声が聞こえないかと期待して。

 だが、天職を追い求めるのは危険である。一般的に考えられているこうした「天職」のイメージは、実は大いなる錯覚にすぎない。

 アメリカ人のジョン・ケネディ・トゥールは、「自分は作家になるために生まれてきた」と思っていた。

 26歳になって出版社のサイモン&シュスターに原稿を送ったとき、「自分は100年に1度の名作を書きあげた」と固く信じていた。

 だが、サイモン&シュスター社からは出版を拒否された。ほかの出版社にも何社かあたったが、どこも彼の作品を出したがらなかった。

 自分の存在の核となるものを揺さぶられたようなショックを受けたトゥールは、アルコールに溺れるようになった。そして6年後の1969年、ミシシッピ州のビロクシで車の排気管にホースを差し込み、車内に排気ガスを引き込んで自殺した。

 しかしその死後、彼の母親がとうとう原稿を出版してくれる出版社を見つける。そして1980年に彼が書いた『A Confederacy of Dunces(まぬけたちの連合)』(未邦訳)が出版されると、「アメリカ南部文学の傑作」と高く評価される。

 トゥールはすでに亡くなっていたにもかかわらず、その年のピューリッツァー賞(フィクション部門)を獲得。本の売り上げは150万部を超えたという。

重点を置くべきは「アウトプット」より「インプット」

「神経衰弱に陥りやすい人の特徴のひとつは、自分の仕事を極端に重視していることだ」と、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは書いている。

 まさにこれこそが「誰にでも天職があるはず」という考え方に潜む危険だ。天職を追い求めるあまり、自分自身と自分の仕事を、重要なものとしてとらえすぎてしまうのだ。

 前述のジョン・ケネディ・トゥールのように、「自分が天職だと思い込んでいる仕事を追求することだけが人生の重要課題になってしまう」と、よい人生は手に入らない。

 もしトゥールが「小説を書くこと」を自分の唯一の天職としてではなく、単に得意とする特技と見なしていたなら、それほど大きなショックは受けなかっただろう。特技であれば、そこまで重く受けとめずに、愛情とほんの少しの執着を持って続けていくことができるはずだ。

 ただしその場合も、重点は常に、成功や成果といった「アウトプット」にではなく、行為そのものや作業といった「インプット」に置かれていることが大事だ。つまり、「明日こそはノーベル文学賞をもらえるはず」と考えるより、「今日は少なくとも3ページは書こう」と考えるほうがずっと健全だからだ。

 天職を見つければ幸せになれるというのは、空想にすぎない。執念深く天職を追い求めても、ただの執念深い人間になるだけだ。そしてかなり高い確率で、すぐに失望するだろう。

 なぜなら天職という言葉には、たいてい非現実的な期待が含まれているからだ。100年に1度の名作を書いたり、世界記録を打ち立てたり、新興宗教の開祖になったり、貧困を撲滅したりといった理想を描いても、目標を達成できるチャンスはおそらく1兆分の1程度だろう。

 ただし、誤解しないでほしい。私は大きな目標を追求する行為自体が悪いといっているわけではない。冷静に客観的に判断しながら目標を追求するのであれば、なんの問題もない。しかし盲目的に天職だけを追い求めても、絶対に幸せにはなれない。

「得意」「好き」「評価される」ことを仕事にする

 何かを観察しようとするときに、私たちはもっとも成功した「天職」の例だけを目にしてしまう。全体を反映していない偏りのある対象をサンプルとして選んでしまう「選択バイアス」の影響である。

 たとえば、15歳で研究者の道に進もうと決め、長じてから実際に2度もノーベル賞を受賞したマリー・キュリー。10歳のときに美術学校への入学を許可され、のちに美術界に革命を起こしたピカソ。

 こうしたサクセスストーリーをつづった伝記やインタビューやドキュメンタリーは、いくらでもある。

 だが、大勢いるはずの「挫折した人たち」の物語を目にすることはない。たとえば、発表した研究報告を読んだ人間が2人しかいなかったことに絶望する研究者(おまけにその2人は自分の妻と母親だった)。世間に認めてもらえず、小さな村で音楽教師をしながら自分の「天職」を追い求める今世紀最高のピアニスト(実は彼女に才能などまったくないのだが)。どちらも天の声の甘いささやきに従って道を誤った人たちだ。

 だが、そうした人たちが地元の新聞に取り上げられることはけっしてない。彼らのことを記事にして、天職を追い求める危険性を広く知らしめてもらったほうが、世の中のためになると思うのだが。

「それ以外に選択肢がなかった」という言葉をよく耳にする。聞こえはいいが、実際にはそれはただの言い訳にすぎない。世の中が狩猟採集社会だった頃には選択肢はなかった。エジプトの奴隷にも、中世の農婦にも選択肢はなかった。

 だがいまの時代、たとえば、自分の心の声がギターに人生を捧げる以外の選択肢を告げてくれなかった、などという人はどこかおかしい。たとえ「天職」というものが存在していたとしても、無条件にそれを追い求めることはまったくおすすめできない。

 ハッカーや、詐欺師や、テロリストなどは、「天の声」を聞いたと信じ込んでそれを実際に職業にした人たちだ。ヒトラーも間違いなく「天の声」に従った1人だし、ナポレオンも、スターリンも、ウサマ・ビンラディンもそうだろう。

 道義的に考えても、「天の声」は有意義とはいえそうにない。

 では、どうするのが一番いいのだろう? とりあえず、「心の声」に耳を傾けるのはよそう。

「天職」は「あこがれの職業」の同義語だ。夢見るような「天職」は存在しない。あるのは才能と生まれついての嗜好だけ。

 だからあなたも、誤った思い込みではなく、実際の自分の能力にもとづいて仕事を選んだほうがいい。幸い、「得意なもの」「好きなもの」は同じであることが多い。

 もうひとつ重要なのは、あなたの才能をほかの人々が「高く評価してくれること」だ。そうであればあなたは生活の糧を得られる。

 イギリス人の政治哲学者、ジョン・グレイが言っているように「誰からも必要とされない才能を持つ人ほど不幸な人間はいない」からである。

<本稿は『Think cleary』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock


【著者】
ロルフ・ドベリ(Rolf Dobelli)
作家、実業家

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