自分ができないことより、できることに目を向けよ
あなたは自分ができないこと、苦手なことをなんとか克服しようとしたことはありますか? あるいはこれから克服したいと思っていますか?
人にはそれぞれ向き不向きがあり、その境目をはっきりさせることが人生を豊かにします。
『Think clearly』よりお届けします。
「能力の輪」を意識しながらキャリアを築く
世界を完全に理解している人はいない。人間ひとりの脳で理解するには、世界はあまりにも複雑すぎる。
たとえあなたが一流の教育を受けたとしても、理解できるのは世界のほんの一部にすぎない。だがほんの一部にすぎなくても、世界を理解することにはやはり意味がある。その小さな一部が、成功に向けて高く飛び上がるためのスタート地点になるからだ。スタート地点がなければ離陸はできない。
投資家のウォーレン・バフェットは、「能力の輪」というすばらしい表現を用いている。
人間は、自分の「能力の輪」の内側にあるものはとてもよく理解できる。だが「輪の外側」にあるものは理解できない、あるいは理解できたとしてもほんの一部だ。
バフェットは人生のモットーとして「自分の『能力の輪』を知り、その中にとどまること。輪の大きさはさほど大事じゃない。大事なのは、輪の境界がどこにあるかをしっかり見きわめることだ」と述べている。
バフェットのビジネスパートナーであるチャーリー・マンガーは、さらにこんなふうに補足している。「自分に向いている何かを見つけることだ。自分の『能力の輪』の外側でキャリアを築こうとしてもうまくいかない。請け合ってもいい」。
IBMの創業者トム・ワトソンは、この主張の正しさを裏づける生きた証拠だ。ワトソンは自身についてこう述べている。「私は天才ではない。私にはところどころ人より優れた点があって、そういう点の周りからずっと離れないようにしているだけだ」。
自分の「能力の輪」を意識しながらキャリアを築くことは、いい人生を送るためのコツのひとつだ。
自分の「能力の輪」に常にピントを合わせていれば、そこからもたらされるのは金銭的な成果だけではない。感情的な成果も得ることができる。自分には人より抜きんでた能力を持つ分野があるという、お金では買えない自信である。
そのうえ時間も節約できる。「能力の輪」の境界がわかっていれば、仕事上で何かを承諾したり断ったりしなければならないときでも、そのつど判断しなくてすむからだ。
それに「能力の輪」の境界が明確なら、たとえどんなに魅力的な仕事のオファーでも、自分にふさわしくないと思えばきっぱりと断ることができる。自分の「能力の輪」をけっして越えないようにすることが重要だといえる。
魅力的な仕事のオファーが舞い込んできたら?
ずいぶん前のことだが、大金持ちのある企業家から、100万ユーロで彼の伝記を書いてくれないかと頼まれたことがある。このうえなく魅力的なオファーだったが、私は断った。伝記の執筆は私の「能力の輪」の範囲外だったからだ。
優れた伝記を書きあげるには、大勢の人への取材と綿密なリサーチが欠かせない。それには小説や実用書を書くのとは別の能力が必要だ。でも、その能力は私にはない。
もしあのオファーを受けていたら、私はきっと無駄に労力を使うばかりで、大きな挫折感を味わっていただろう。それより問題なのは、あのオファーを受けていたとしても、私にはせいぜい平凡な本しか書けていなかっただろうということだ。
感情心理学に関する本を多く執筆している、イギリス人著述家のディラン・エヴァンズは、平凡からはほど遠い彼の著作『Risk Intelligence(リスクインテリジェンス)』(未邦訳)の中で、JPという名前のプロのバックギャモン(ボードゲーム)プレイヤーについて書いている。
「JPはわざといくつかミスをした。相手がその機会を活かせるかどうかを見きわめるためだ。そして相手がそれを巧みに利用してみせると、試合を打ち切った。見込みのない試合にエネルギーをつぎ込むのをやめるためだ。
つまりJPには、ほかのプレイヤーたちに見えていないことがちゃんと見えていたのだ。彼は、自分がかなわない対戦相手の条件をきちんと把握していたのだ」
JPはどんな相手が自分を「能力の輪」から押し出すかを理解して、そういう対戦相手に当たったときには自ら身を引いたのだ。
魅力的な仕事のオファーを受けて自分の能力の輪を「越えたくなる」誘惑のほかに、もうひとつ同じくらい強い力で私たちを引きつけるものがある。自分の能力の輪を「広げたくなる」誘惑である。
この誘惑は、あなたがこれまでの輪の中で成功をおさめ、そこで快適に過ごしている場合には特に大きい。だが、「能力の輪」をむやみに広げようとするのはやめておいたほうがいい。人間の能力は、ひとつの領域から次の領域へと「転用」が利くわけではないからだ。
能力には、それぞれ決まった「専門領域」がある。たとえ、すばらしいチェスのプレイヤーだからといって、自動的にビジネスの優れた戦略家になれるわけではない。心臓外科医だからといって、自動的によい病院長になれるわけでもない。不動産投機で能力を発揮しているからといって、自動的に政治力のある大統領になれるわけではないのだ。
ゲイツもジョブズもバフェットも「同じ」だった
それなら、「能力の輪」はどうやってつくりあげればいいのだろう?
それは当然、ウィキペディアで調べてみても説明は見当たらない。大学で学んでみても身につくものでもない「能力の輪」の形成に必要なのは、「時間」である。それも、とても長い時間がかかる。
「価値のあるものをつくりあげようと思えば、時間がかかるのは当然でしょう」。アメリカ人デザイナーのデビー・ミルマンは、自分の信条をそういう形で表した(彼女がデザイナーとして成功しているのはいうまでもない)。
それからもうひとつ。「執着」が必要である。執着は一種の中毒だ。
私たちがある状態を「執着」という言葉で表すときには、たいてい侮蔑的なニュアンスが含まれている。ビデオゲームやテレビドラマや模型飛行機に熱中する若者たちの執着っぷりについて書かれたものを読んでみればよくわかる。
だが、執着はよい方向に働くときもある。何かに執着している人は、そのひとつのことに何千時間も費やせる。
若い頃のビル・ゲイツは、プログラムを組むことに執着していた。スティーブ・ジョブズはカリグラフィーとデザインに。ウォーレン・バフェットは一二歳のとき、初めてもらったおこづかいで株を買い、それ以降ずっと投資中毒になっている。
だがゲイツやジョブズやバフェットが「青少年期を無駄にした」などといい出す人は、いまではいないだろう。彼らは、それらに執着して何千時間も費やしたからこそ、その分野のエキスパートになれたのだ。
執着とは、エンジンが故障した状態を指すのではない。執着そのものがエンジンなのだ。
ちなみに、「執着」の対義語は「嫌悪」ではなく「興味」である。何かに対する感想を求められたときに、「それは興味深いですね」と返すのは「私は大してそれに興味がない」と遠まわしに言いたいときの常套句だ。
「欠点」よりも「能力」のほうに目をむける
しかしなぜ、「能力の輪」という考え方にはこれほどの影響力があるのだろうか? 「能力の輪」を知ることが人生の成功にもつながるのはなぜなのだろう?
答えは簡単。平均的なプログラマー(能力の輪の外側)と比較したときのすばらしいプログラマー(能力の輪の内側)の優秀さの度合いは、2倍や3倍や10倍どころではないからだ。
何か問題が起きたとき、すばらしいプログラマーは平均的なプログラマーが必要とする1000分の1の時間でその問題を処理してしまう。
同じことは弁護士にも、外科医にも、デザイナーにも、研究者にも、販売員にも当てはまる。「能力の輪」の内側と外側の能力差には、1000倍もの開きがあるのだ。
ほかにもある。「人生は計画できるもの」というのは錯覚だ(※本書第2章で詳しく解説しています)。
予想外の出来事は人生のいたるところにころがっているし、ときには大暴風クラスの出来事が待ち受けていることもある。
だが一か所だけ、穏やかな風がそよいでいる場所がある。それは、「能力の輪」の内側である。その内側でも海面は凪なぎの状態とまではいえないものの、波のうねりはそう高くない。少なくとも安全に航行を続けられる程度だ。
素っ気ない言い方をすれば、自分の「能力の輪」の内側でなら、間違った思い込みや考え違いに対しても適切な対応措置がとれる。それどころか、従来の慣習を打ち破るようなリスクを冒すことだってできる。
「能力の輪」の内側では、必要なだけ先を見通し、その後に起こる事態を予測することができるからだ。
結論。「自分に不足している能力」に不満を感じるのは、やめよう。
踊りが不得意なら、サルサのレッスンはやめればいい。描いた絵を自分の子どもに見せてそれが馬か牛かわかってもらえないようなら、画家を夢見るのはやめればいい。おばさんが訪ねてきただけでてんてこ舞いなら、レストランを開く構想など頭から締め出せばいい。
あなたが、いくつの分野で「平均的」だろうとあるいは「平均以下」だろうと、そんなことはどうでもいい。大事なのは、あなたが少なくとも「ひとつの分野」で抜きんでているということだ。
それが世界レベルの優秀さならいうことなし。もし何かの分野で秀でた能力を持っているようなら、あなたはすでによい人生の前提条件を備えていることになる。
ひとつでもすばらしい能力があれば、欠点がいくつあろうと帳消しになる。
同じ一時間を費やすなら、「能力の輪」の外側よりも内側のことにしたほうが1000倍も価値がある。
<本稿は『Think cleary』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
【著者】
ロルフ・ドベリ
作家、実業家
【訳者】
安原実津(やすはら・みつ)
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