「なぜ?」と欧州で聞かれまくった僕が日本の教育に思うこと
思考停止した状態で、ルールを作る人たちを選び、そうやって選ばれた人たちがルールを作り、それに思考停止して従ってしまう――。
48例に及ぶ世界のシン常識をまとめた『シン・スタンダード』の著者、谷口たかひささんが指摘するのは、日本人に「Why(なぜ?)」という思考が足りていないこと。
本書よりお届けします。
海外では「What」よりも「Why」が大切
「日本では『義務』は教えるが『権利』は教えない」
発信や講演会で、このことをずっと言い続けている。
もうひとつ、この3年の感染症騒動と、久々のヨーロッパツアーを経て、あらためて強く感じていることがある。
「日本では〝What(なに)〟は教えるが〝Why?(なぜ?)〟は教えない」ということ。
ヨーロッパ中で、たくさんの〝Why?(なぜ?)〟に出逢った。
僕は気になりだすと、納得するまで気が済まないので、とりあえず聞きまくった。
そうすると、ヨーロッパの人たちはみんな、〝Becauce~・(なぜかというと~。)〟と言って、その理由を教えてくれた。
もちろんその理由を「おかしな理由だなぁ」と思うこともあったが、説明してくれるというだけで、多少なりとも納得感があった。
日本で同じような状況になると、多くの場合はこう返ってくる。
「ルールだから」「決まりだから」「そういうものだから」
これは、行政、企業、学校の先生、親だけではなく、多くの大人がそうだ。
子どもはそう言われ続けると、せっかく旺盛な好奇心がそぎ落とされ、無気力になり、やがて同じことを言う大人になってしまう。
思考停止していないか
僕は自分なりに考えた理由を説明できる大人でありたい。
ルールや決まりというものは、「全知全能の神様」が作ったものではない。「物が下に落ちる」みたいな、いわゆる「自然の摂理」のようなものでもない。あくまでも、人間が作ったものだ。
それなのに、その理由も分からないまま思考停止し、無闇に従い続けるのは危険ではないだろうか。
もちろんルールを作る人が、能力も人間性も優れた人であれば、思考停止して従ってもあまり危険ではないかもしれない。しかし、能力はあるが、悪意がある人や、人間性は優れているが能力はない人、またはどちらもない人が作ったルールだとどうだろうか。
思考停止した状態でルールを作る人たちを選び、そうやって選ばれた人たちがルールを作り、それに思考停止して従ってしまう。そんな世界はごめんだ。
〝ルールは正義ではなく、時の権力者の都合〟という言葉も存在する。〝What(なに)〟ではなく〝Why?(なぜ?)〟。
考え抜こう。時間はかかるかもしれないが、自分なりの答えが出るまで。
<本稿は『シン・スタンダード』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
谷口たかひさ(たにぐち・たかひさ)
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