小くよ12 たいていは相手が正しい
たいていは相手が正しい
自分に問いかける質問でいちばん重いのは「私は正しいことを求めているのか、幸せになることを求めているのか?」ではないだろうか。ほとんどの場合、この2つは相いれない。
いつも正しくあろうとつとめるのはものすごいエネルギーがいるし、人を遠ざけることにもなる。正しいのは自分だ、まちがっているのは相手だと思いたい気持ちは、相手を守りの姿勢に入らせ、自分を正当化するプレッシャーも強まる。
それでも私を含めて多くの人が、自分たちの正しさ(そして相手のまちがい)を証明するために多くの時間とエネルギーをついやす。みんな意識しようとしまいと、相手の意見や見方がまちがっていることを示すのが自分の役目と思い込み、そう指摘することで相手が感謝するか少なくともなにかを学ぶものと思っている。
それは大きなまちがいだ!
考えてもみよう。あなたは、あなたのまちがいを直そうとする相手に「私がまちがっていて、きみが正しいってことを教えてくれて感謝するよ。やっとわかった。きみはすごいよ!」と言ったことがあるだろうか? または、まちがいを指摘してあげた相手に感謝されたことは? もちろん、ないはずだ。
私たちはみんなまちがいを正されるのは大嫌いなのだ。自分の立場を理解してほしい、敬意をはらってほしいとみんな思っている。話を聞いて理解してもらいたいというのは人間の最大の願望の1つだ。人の話をじっくり聞く人はもっとも愛され、尊敬される。相手を正してばかりいる人はひんしゅくを買い、仲間はずれになる。
自分の正しさを主張してはいけないというのではない──純粋にそうしたいと願うときもあるだろう。人種差別の発言を聞いたりしたときに、どうしてもひとこと言いたいということもある。そういうときは大いに主張すべきだ。
しかし、たいていの場合、せっかくの出会いを台なしにするのは、相手より自分のほうが正しいと思いたいエゴのしわざだ。
いまよりもっと心豊かな人になりたいなら、相手に勝ちをゆずる練習をするにかぎる。相手を正すのをやめる。その癖を変えるのは大変かもしれないが、努力するだけの価値はある。
相手が「……するべきじゃないかな」と言ったときは「いや、そうじゃないよ……」と反論せずに、相手の意見を尊重しよう。相手はもっと心を聞き、態度をやわらげるだろう。あなたは思いがけないほど相手から認められ、受け入れられるだろう。
人の幸せに加担し、そのうれしそうな顔を見る楽しみは、エゴの戦いの成果などとはくらべられないご褒美だ。自分にとってもっとも大切な意見まで曲げる必要はないが、今日からは「たいていは相手のほうが正しい」と思うようにしよう。
<本稿は『新版 小さいことにくよくよするな!』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
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