小くよ18 たまにはぼんやりしてもいい
たまにはぼんやりしてもいい
私たちの人生は刺激に満ちている。なにもせずにじっと座ってくつろぐことなど考えられないような、さまざまな責任や義務にあふれている。ある友人が私に言った。
「もうみんな人間なんて呼べないんじゃないか。動人と呼んだほうが当たってるよ」
たまにはぼんやりしてもいい、という考えに私が目覚めたのは、ワシントン州のラ・コナーという「なにもすることがない」小さな町で、セラピストのもとで勉強していたときだった。一日目が終わると私は彼に聞いた。「ここではみんな夜はどうしているんですか」
すると彼は言った。
「たまにはぼんやりすることをすすめますね。なにもしない。それがあなたの訓練の1つです」
最初は冗談を言っているのかと思った。
「なぜわざわざぼんやりしなくちゃならないんですか」
私は聞いた。彼の説明によれば、たとえ1時間でもぼんやりする時間をつくってみると、退屈な気分はゆったりした気分に変わっていくという。少し練習すれば、リラックスするコツが身につくはずだ、と。
驚いたことに、彼の言うことは正しかった。最初は耐えられなかった。いつもなにかをすることに慣れきってしまっていて、くつろぐことができなかったからだ。だがしばらく練習して慣れてくると、ぼんやりするのを楽しむようになった。
何時間もぼうっとなまけて過ごす、ということではない。ただ一日に数分でいいから「なにかをする」のではなく「なにもせずぼうっとして」リラックスするコツを身につけるということだ。
なにもせずにぼうっとするのにテクニックはいらない。ただ座って窓から外をながめたり、自分の考えや感情を見つめたりすればいい。最初はとまどうだろうが、少しずつ慣れて楽にできるようになる。その報酬はとてつもなく大きい。
私たちの不安や悩みの多くは、「次はなんだ?」とたえずめまぐるしく考えつづけることからきている。
夕食を食べているときからデザートのことを考え、デザートを食べているときはその後のことを考える。その夜が終われば「この週末はどうしようか」と考える。外出先からもどって家に入ったとたんテレビをつけ、電話をかけ、掃除を始めたりする。たとえ1分でも、ぼんやりするなんてとんでもないと感じているかのように。
なにもせずぼうっとするのがなぜいいか。頭をからっぽにしてリラックスすることを教えてくれるからだ。そうすることで短い時間でも「なにも知らない」自由を与えてもらえる。
体と同じように頭もたまには休めなくてはいけない。頭をからっぽにしてやれば、前よりもっと強く、シャープに、クリエイティブになって復活する。
退屈することを自分に許すと、毎日たえずなにかをしなくてはいけないという大きなプレッシャーが取り除かれる。
いまでは子供たちが「パパ、退屈しちゃった」と言ってくると「いいぞ、しばらく退屈していなさい。いいことだから」と答えるようになった。私がそう言うと、娘たちは私になにかを解決してもらおうという気持ちをなくす。
たまにはぼうっとしたらどうか、という提案をみなさんはたぶん聞いたことがないだろう。
どんなことにも「はじめ」はあるのだ!
<本稿は『新版 小さいことにくよくよするな!』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
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