
小くよ18 たまにはぼんやりしてもいい
日々の忙しい仕事や家事をこなしてようやく迎えた休日。出かけたり、友人に会ってご飯を食べたり、ネット動画配信でアニメ視聴にふけったり、はたまたスポーツで体を鍛えたり――。何かと忙しく過ごす人も少なくないでしょう。そうしないと時間がもったいないような気分になっているからかもしれません。でも、ちょっと待って。
2月にスタートした「Sunmark Web」の特別企画として、この名著の新装版『新版 小さいことにくよくよするな!』が説く格言を100日連続でお届け。
18日目は「たまにはぼんやりしてもいい」
たまにはぼんやりしてもいい
私たちの人生は刺激に満ちている。なにもせずにじっと座ってくつろぐことなど考えられないような、さまざまな責任や義務にあふれている。ある友人が私に言った。
「もうみんな人間なんて呼べないんじゃないか。動人と呼んだほうが当たってるよ」
たまにはぼんやりしてもいい、という考えに私が目覚めたのは、ワシントン州のラ・コナーという「なにもすることがない」小さな町で、セラピストのもとで勉強していたときだった。一日目が終わると私は彼に聞いた。「ここではみんな夜はどうしているんですか」
すると彼は言った。
「たまにはぼんやりすることをすすめますね。なにもしない。それがあなたの訓練の1つです」
最初は冗談を言っているのかと思った。
「なぜわざわざぼんやりしなくちゃならないんですか」
私は聞いた。彼の説明によれば、たとえ1時間でもぼんやりする時間をつくってみると、退屈な気分はゆったりした気分に変わっていくという。少し練習すれば、リラックスするコツが身につくはずだ、と。
驚いたことに、彼の言うことは正しかった。最初は耐えられなかった。いつもなにかをすることに慣れきってしまっていて、くつろぐことができなかったからだ。だがしばらく練習して慣れてくると、ぼんやりするのを楽しむようになった。
何時間もぼうっとなまけて過ごす、ということではない。ただ一日に数分でいいから「なにかをする」のではなく「なにもせずぼうっとして」リラックスするコツを身につけるということだ。
なにもせずにぼうっとするのにテクニックはいらない。ただ座って窓から外をながめたり、自分の考えや感情を見つめたりすればいい。最初はとまどうだろうが、少しずつ慣れて楽にできるようになる。その報酬はとてつもなく大きい。
私たちの不安や悩みの多くは、「次はなんだ?」とたえずめまぐるしく考えつづけることからきている。
夕食を食べているときからデザートのことを考え、デザートを食べているときはその後のことを考える。その夜が終われば「この週末はどうしようか」と考える。外出先からもどって家に入ったとたんテレビをつけ、電話をかけ、掃除を始めたりする。たとえ1分でも、ぼんやりするなんてとんでもないと感じているかのように。
なにもせずぼうっとするのがなぜいいか。頭をからっぽにしてリラックスすることを教えてくれるからだ。そうすることで短い時間でも「なにも知らない」自由を与えてもらえる。
体と同じように頭もたまには休めなくてはいけない。頭をからっぽにしてやれば、前よりもっと強く、シャープに、クリエイティブになって復活する。
退屈することを自分に許すと、毎日たえずなにかをしなくてはいけないという大きなプレッシャーが取り除かれる。
いまでは子供たちが「パパ、退屈しちゃった」と言ってくると「いいぞ、しばらく退屈していなさい。いいことだから」と答えるようになった。私がそう言うと、娘たちは私になにかを解決してもらおうという気持ちをなくす。
たまにはぼうっとしたらどうか、という提案をみなさんはたぶん聞いたことがないだろう。
どんなことにも「はじめ」はあるのだ!
<本稿は『新版 小さいことにくよくよするな!』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
【著者】
リチャード・カールソン(Richard Carlson)
心理学者。ストレスコンサルタント。ユーモアにあふれ、率直でわかりやすく、しかも誰にでも実践できそうな「くよくよしない」ヒントを提唱。著作やテレビ出演、講演多数。著書に『(文庫)マンガで読む 小さいことにくよくよするな!』(サンマーク出版)などがある。
【訳者】
小沢 瑞穂(おざわ・みずほ)

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