この夏、最も話題の大作映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』原作者がいちばん伝えたいこと
映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(通称、もし徳)が7月26日に全国公開となります。メガホンを握ったのは日本映画界のホームランバッター、武内英樹監督。俳優陣も名だたるビッグネームばかりという、壮大な作品です。
物語の舞台はコロナ禍真っ只中、2020年の日本。首相官邸でクラスターが発生し、あろうことか総理大臣が急死してしまいます。
そこで政府がとった最後の手段は「徳川家康をはじめとする歴史上の偉人たちをAIで復活させ、最強内閣を作る」こと。偉人たちの圧倒的なカリスマに加え、政策を推し進める“えげつない”実行力に人々は驚愕し、日本中が熱狂していきます。一方、その裏側では黒い思惑も渦巻いて――。
このストーリーを作ったのは作家の眞邊明人さん。同名でサンマーク出版から発行されている『ビジネス小説 もしも徳川家康が総理大臣になったら』が原作です。2021年の発売から現在17万部を突破しているヒット作です。
映画化を記念して眞邊さんの独占インタビューをお届けします。
武内ワールド全開ながらメッセージ性も込めた作品に
――完成された映画「もし徳」を原作者のお立場から試写されていかがでしたか?
眞邊:原作のビジネス小説『もしも徳川家康が総理大臣になったら』は大判で435ページにわたる超長編です。映画「もし徳」は約2時間という限られた尺で、取捨選択されながら押さえてほしいところの強弱をすごく意識して作っていただいた。それも武内ワールド全開で大変面白かったです。
フジテレビの黄金期にドラマを多数手がけ、『テルマエ・ロマエ』(2012年)、『翔んで埼玉』(2019年)といった映画を大ヒットさせてきた武内英樹監督はさすがだと思いました。偉人内閣というテーマはとっつきやすい一方で、ネタ映画になったら困るなという懸念もあったのですが、まったくの杞憂でした。
子どもからお年寄りまで、見る人を選ばずに楽しめるエンターテイメント性がありながら、私が原作に込めたメッセージである「最終的に政治とはわれわれの手にある」ということについてもしっかりと描いてくださったことに感謝しております。
――もともとは徳川家康がかかわった合戦を解説するというビジネス本からこの企画がスタートしたと伺っています。そうこうしているうちにコロナ禍に入ったことをきっかけに、企画が変貌していったそうですね。
眞邊:コロナ禍初期は日本政府のリーダーシップが弱いという指摘もありました。日本という国の先行きが不安になってきたという世相もあって、徳川家康が現代に甦って内閣を作ってみたらどうなるかというストーリーに行き着きました。
――それも徳川家康1人ではなく織田信長、豊臣秀吉など大勢の偉人が集まる内閣とした。
眞邊:日本人は平和な時には為政者の独裁化を懸念する一方、危機的な状態では偉大なリーダーを求めるメンタリティがあります。だったら偉人は1人よりも大勢集めたほうがいい。どうせなら派手なほうがいい。ただ、そこに時代をまたぎたいという気持ちはありました。
私は2014年から演劇、アクション、ロック音楽を融合した新感覚の舞台公演「魔界」の総合演出を務めています。そこでは古い時代から新しい時代までを歴史という流れでまたぐ物語をずっと書いてきましたから。
有名な偉人をわかりやすく描いた
――時代をまたぐという意味では、偉人内閣の官房長官を務める坂本龍馬が「もし徳」ではキーマンだと。
眞邊:ネタバレの核心に触れる可能性があるので詳しくは言えませんが、物語を書いていくにあたって、こうした偉人内閣を出すのはいいけど、大きく広げた風呂敷を最後は閉じなければならないということを意識しました。日本の歴史における徳川家康と坂本龍馬の関係を読み取っていただきながら、映画や原作に触れていただけると、また違った楽しさがあると思います。
――見たことも会ったこともない偉人のキャラクターをどう描いていったのですか?
眞邊:基本的には割と有名な偉人を配置して、わかりやすく描いています。たとえば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三英傑については、一般の方が大河ドラマで見てきたような、司馬遼太郎さんが描いてきたような世界観に沿ってです。
一方、生類憐れみの令で知られる徳川綱吉のように日本と欧州で捉えられ方が違う偉人については欧州の歴史解釈を重視したキャラクター設定をしました。また、荻原重秀のようなほとんどの人が知らないマイナーな偉人は割と自由に書きました。ただ、偉人内閣でIT担当大臣を務めた平賀源内については、ちょっと強引だったかなという反省はありますね(笑)
大ピンチに強い日本、平時は変容しない
――『もし徳』という作品を通じて過去から現代に至る日本という国について描かれたわけですが、眞邊さんは日本という国をどう見ていますか。
眞邊:日本は国家が滅びるような危機になったら一気に団結して、50年もあれば全てを変革してしまう国です。例えば、明治維新(1869年)から日露戦争(1904〜1905年)まで36年。ちょんまげを結って馬に乗っていた日本人が、鉄の船を作ってロシアに戦争で勝利するまでの期間と考えたらとんでもないスピードです。
その後も第2次世界大戦の敗北(1945年)から、平成バブルの絶頂を象徴する三菱地所によるロックフェラーセンターの買収(1989年)までの期間って44年なんですよ。
ただ、大ピンチ以外の時の日本は変容しない。ある種の多様性が発揮されてしまって。
――多様性? 同調ではなく?
眞邊:日本人の同調圧力って悪く言われることもありますが「和を以て貴しと為す 」とも言い換えられます。いろんな人の考えを許容しているということなんです。
日露戦争の話に戻ると、優れたリーダーがいたから鉄の船が作れたわけではありません。その船を実際に作る人々がいたからこそです。日本がそれを短期間で成し得たのは江戸期を通じて職人(スペシャリスト)を養成していたからです。どんなにいいアイディアがあってもそれを実現する人がいないと実行できない。明治維新の同じタイミングで中国や韓国ができなかったことを日本ができた最大の理由です。
――今の日本は国際的な地位が大きく低下していると指摘されています。
眞邊:それでも平和です。国が滅ぶほどの危機に陥っているわけじゃない。もちろん全員が平和ボケしているわけじゃないけど。その点、偉人内閣に入った専制君主型の織田信長や豊臣秀吉からは、現代の日本人がバカバカしく映るように描きました。
――とはいえ、偉大なリーダーがいればすべてが解決するわけでもない。
眞邊:「もし徳」で描いた偉人内閣のように強力なリーダーを中心に据えた体制であれば意思決定は早く、改革も変革もすぐに起こせる。ただ、その1人のリーダーが闇に落ちた時にどうなってしまうかは現代に通じる歴史で何度も起こっていることなので、読者の皆さんも想像がつきますよね。
自由がほしければ不自由を引き受けなければならない
――それが「最終的に政治とはわれわれの手にある」という原作のメッセージに繋がるわけですね。
眞邊:私は民主主義を完璧なシステムではないと考えています。民主主義はいろんな人のいろんな意見、思惑を調整しなければならない。意思決定が遅い。年代だけを切り出しても、お年寄りのことも子どものことも考えた政策をとらなければならない。
多様性というものは様々な矛盾や割り切れなさを包括しているのです。
自由がほしければ誰かの不自由を引き受けなければならない。どうしても玉虫色になる。私はそれを受け入れざるを得ないって思うんです。
――映画「もし徳」はそのあたりまで描かれている?
眞邊:原作ではそこを丁寧に描きましたが、映画は2時間ほどのエンターテインメント。そこは数々の映画を大ヒットさせてきた武内監督の手腕を劇場で楽しんでいただければ。映画を入り口に原作にも興味をもっていただけたら原作者として最高に嬉しいです。
(聞き手・構成:武政秀明/Sunmark Web編集長、編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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