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「うつけ者」織田信長の身なりが奇抜だったことから読み取れる本性

 7月26日に全国公開された映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」(同名の原作小説がサンマーク出版より発売中)。

 徳川家康をはじめ歴史上の偉人たちがAIによって現代に蘇り、コロナ禍の日本を救うという奇想天外なストーリー。家康、豊臣秀吉と並ぶ三英傑の1人である織田信長も登場します。演じるのはGACKTさん。作中では迫力満点のド派手な出で立ちが印象的ですが、実際の信長はどんな服装をしていたのでしょうか。

 齋藤孝さんが子ども向けに歴史人物の意外な10代の話を楽しくまとめた『子どものころはしょぼかった!? すごい人の10歳図鑑』よりお届けします。

『子どものころはしょぼかった!? すごい人の10歳図鑑』 サンマーク出版 齋藤孝
『子どものころはしょぼかった!? すごい人の10歳図鑑』

「うつけ」でも、い〜じゃん!

<織田信長(1534〜1582):日本生まれ、戦国時代の武将。天下統一まであと少しというところまできたが、家臣・明智光秀の謀反に遭って本能寺で自害した>

 信長は若いころ、「尾張の大うつけ」なんて言われていたんだよ。

「尾張」は今の愛知県西部のあたり。「うつけ」っていうのは、ちょっとおバカというか、ぼんやりした変わり者という意味です。

 実際、信長はかなり変わっていました。

 まずファッションが奇抜だった。本来はお風呂に入るときに着る浴衣のそでを外して普段着にし、腰には火打石なんかを入れたふくろをいくつもぶら下げている。今で言うと、パジャマのそでを外して、買い物ぶくろを腰につけて登校しちゃう感じかな。

 ヘアスタイルも斬新で、まげを結った毛先をツンツンさせて、鉄板に油をぬるはけみたい。茶道でお茶を立てるときに使う茶せんのようだったから、当時は「茶せんまげ」と言われていたんだ。

 それで、柿を食べながら歩いたり、お供の人に寄りかかって歩いたりしていたものだから、相当目立ちました。周りの人は「ちゃんとしろよ!」と言いたくなっただろうね。

 でも、そんな信長だったからこそ、新しいものをどんどん取り入れられたんだろうね。

 ファッションも外国のものを好んで着ていた信長は、戦に早いうちから鉄砲を取り入れたんだ。それで、長篠の戦いでは、戦国最強として恐れられていた武田の軍に大勝利した。天下統一まであと一歩というところまできたんだ。

フリよ、フリ

 戦国武将としての信長は、進歩的で行動力のあるリーダーです。新しもの好きだけど、ぼんやりしたおバカなんかではないよね。

 子どものころは「うつけ」のフリをしていたのかもしれない。「あいつはちょっとへんだから」と油断させ、ねらわれないようにしていたのかもしれないよ。

 信長は陰ではちゃんと武士として修業していました。いざというときに力を発揮できれば、普段は何を言われてもかまわない。むしろ「うつけ」と言われていたほうがいい、ということでしょう。

 それに、ふつうじゃない考え方ができるっていう意味で受け取れば、ほめ言葉にも感じられる。信長は「このうつけが、いっちょやってやろうじゃないか」とポジティブなパワーにしていったのかもしれないね。

 そう考えると、なんだか「うつけ」っていい言葉だと思えてこない?

 SNSで「いいね」ボタンの代わりに「うつけ」ボタンがあったらおもしろいよね。みんなに「いいね」って承認されなくてもいい、むしろ「うつけ」と言ってくれ。そんな人が将来、大きなことをなしとげるのかもしれないよ。

出典『信長公記 上 新装』太田牛一原著 榊山潤訳 ニュートンプレス

<本稿は『子どものころはしょぼかった!? すごい人の10歳図鑑』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

【著者】
齋藤孝(さいとう・たかし)

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