「傷ついた記憶」を思い返して何度も再体験しないで
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「鬱々した気分」を忘れる
<いやな記憶を思い返して何度も再体験しないことです。悩みの桶から目線を上げるための、自分なりの方法を見つけたいものです。>
傷ついた記憶や、自分の居場所を奪われた記憶を何度も思い出すたびに、その悲しみや痛みを再体験してしまい、不安やうつ症状、自己否定が強くなることがあります。
もちろん、大事故などに遭遇した場合や死に直面した際に起きる心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような場合は病院やカウンセリングなどで適切な治療を受ける必要がありますが、人の心というのは人生のあちらこちらで傷ついてしまうものです。
人から言われた言葉が何度も思い出されてつらいときや、人から受けた仕打ちが忘れられないときは、その思いを誰かに話すこと。カウンセラーなどの専門家でもいいですし、友人でもいいでしょう。
人に話すことによって少し心が軽くなるのと同時に、「今もそれが引き続き起き続けているのかどうか」を確認することもできます。
気持ちを切り替えるために自分なりの方法を身につけることも大切で、私はといえば、末娘への電話です。その話を聞いてもらうときもあれば、他愛のない世間話のときもありますが、話すうちに気分は不思議と晴れ、決まって娘が「そういえばお母さん、次、いついつ(京都弁で何月何日、という意味です)美容院行こ?」と聞いてくれます。
私は月1回程度、娘とふたりで美容院に通っているのですが、「そうか、いつにしよ?」と、視点が明日以降の未来に、さっと切り替わるのがわかります。それだけで元気になって、また翌日から、普段どおり頑張れます。
悩みの桶から、目線を上げる方法は意外なところにもあります。
ときどき「時間」を忘れる
<時間は薬です。でも、悲しみが癒えるには途方もない時間がかかるのも事実。「無心」が少し時間を忘れさせてくれます。>
家族を亡くした悲しみから抜け出せずに苦しみ続ける人は多くいます。
3年ほど介護した夫が亡くなり、悲哀反応が強く出て何もする気が起きないという方がいらっしゃいました。そのつらさが2カ月ほど続いていると言われたのですが、家族を亡くした悲しみというのは、早々になくなるものではありません。
ただ、どっぷり悲しみに浸って家から出ず、動かずだと、からだの元気が失われ、筋力も衰えてしまい、心がさらに元気を失ってしまいます。
私はその方に、「何か自分ですぐにできる趣味、手を動かしてできることはありませんか?」とお尋ねしました。
あまり思い浮かばないと言われていましたが、考えるうちに「昔はお花の教室をやっていたので、またお花を生けてみようかしら」とのこと。
次にいらしたときには少し元気になられていて、「また、お教室なんかはじめてみようかしら」「教えてほしいと言う人がいて必要とされている気がしました」と言って、前回の診察時には見られなかった笑顔を見せてくださってほっとしました。
悲しみが人生を襲うとき、仕事を持っていたり、何かしなくてはならないことがあったりすると、それを無心にやりながら、心の回復を待つことができます。
「時間は薬」は本当ですが、その時間とはとても長く遠い道のりであることも事実です。悲しみや寂しさに寄り添ってくれる、時間を忘れさせてくれる「手仕事」はとてもいい相棒になると思います。
<本稿は『ほどよく忘れて生きていく』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
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