「究極の鍛錬」ができる人は達人の領域になっても手を緩めない
スポーツ、音楽、チェス、ビジネス、医学など多くの専門分野で「偉大な業績」を達成している人に対して、「まばゆいほどの知能」と「ものすごい記憶力」を持っているというイメージがあるかもしれません。
ところが、ロングセラーの新装版『新版 究極の鍛錬』の著者、ジョフ・コルヴァン氏によれば「達人たちの一般的能力は驚くほど平均的」だといいます。
天才に共通する要素である「究極の鍛錬」をつきとめた本書より、偉大なパフォーマーは達人の領域になってもそこで止まらずに、常に上を目指している背景についての解説をお届けします。
究極の鍛錬では何が行われているのか
究極の鍛錬の要素とは以下の通りだ。
究極の鍛錬はすぐれた外科医やビリヤードプレーヤーや講演家を生み出すことは明らかだが、その効果は一般的にも通用するのだろうか? すなわち究極の鍛錬は、特定の分野で人間の能力を向上させるだけではなく他の分野にも適用できるのだろうか。答えはイエスだ。そしてそのことを発見することに価値がある。多くの人がそうでないと思っているからだ。
ゴルフの愛好家なら、そのゴルフ人生で誰もが出合う特定の状況に、ジョーダン・スピースが遭遇しているところをビデオで見たことがあるかもしれない。ジョーダン・スピースはトーナメントに出場中ボールに向かって構え、スイングを始め、まさに打とうとする瞬間に彼の気を散らすような大きな物音がする──ファンの叫び声、誰かが急に動いた物音、他のホールでのギャラリーの叫び声だ。スピースは途中でスイングする手を止め、ボールを打つ姿勢からいったん下がり、集中力を取り戻してからまた前に進み、ボールを打つ。
通常のゴルファーはこうした状況に出くわすと畏敬の念を抱くものだ。自分が同じ状況に置かれたらどのようにするかわかっているからだ。そのままひどいショットを打つか完全に空振りしてしまうだろうとわかっていても、いったん始めたスイングは途中で止めることができない。
このことはどうして重要なのだろうか。卓越した能力をもつ選手のやっていることを頻繁に見ていると、長い間練習し、何度も繰り返してきたためにもはや自動的に行っているのではないかという印象をしばしばもってしまう。しかし、実際のところこうした選手が身につけているものは、自動的にやってしまうことを避ける能力なのだ。
自動でできるようになると技術の向上は止まる
たとえば自動車の運転など、何か新しいことができるようになるには、人間は三つの段階を経るものだ。
第一段階では、いろいろなことに注意を払うことが求められる。車の制御方法、交通規則などいろいろなことを学ばなければならない。
第二段階になると、知識を連携するようになる。車、状況、交通規則の知識といろいろな自分の体の動きを関連づけ、スムーズに組み合わせることができるようになる。
第三段階になると、考えることなくひとりでに車を運転するようになる。これを自動化(automatic)という。そしてこの自動化によって普通の人の車の運転技術の向上速度は劇的にスローダウンし、ついには技術の向上が完全に止まってしまう。
車の運転を含め、日常のほとんどのことで、自動化によって技術の向上が止まってしまってもたいして問題にはならない。日常的活動で卓越した存在になる必要はなく、ただ日々の生活を送るのに支障がなければ十分なのだ。
こうした活動には趣味で行うゴルフなどが含まれる。それでお金を稼ぐ必要はないし、ただ楽しめればいいのだ。そんなことに自分の頭の大部分をつぎ込む必要がないことはありがたいことだ。その結果、もっと重要なことに自分の頭を使うことができるからだ。
自動化を避ける
しかし、こうした趣味で行う活動を実行しようとする際、自分たちの脳はすでに自動化されているのだ。靴の紐ひもを考えずに結ぶように。もしゴルフでの試合の相手が小銭をチャリチャリさせ、ちょうどバックスイングを振り上げたとき、突然相手の立てた雑音にこちらの脳の一部が直感的に過剰に反応してしまっても、動きはすでに自動化モードに入っており、ミスショットとわかったとしても回避する手立てがないのだ。
対照的に、偉大な業績を上げる人は、己の選んだ分野で自らが自動化して成長停止段階に陥ることをけっして許さない。自動化を回避することがすなわち究極の鍛錬を継続する一つの効果なのだ。自分がうまくできない点を絶えず意識しながら練習するという鍛錬の本質から、自動化に基づく行動をとることができなくなる。
自分の専門分野では、素人に比べれば達人はほとんどまったく苦労することなく多くのことをやり遂げることができる。能力の高いパイロットはボーイング747をいとも簡単に着陸させることができる。しかし、つまるところ、そうした能力は常に意識的にコントロールされたもので無意識になされたものではない。
継続的な練習によって自動化を避けることは、もっと大きな別の意味がある。すぐれたパフォーマーは、よりよくなるために常に自分を追い込み、コーチや教師から常に追い込まれているのだ。これは決定的に重要なポイントである。
偉大なパフォーマーは常に上をめざす
この本が出版された数か月後、ニューヨークのジュリアード音楽院の書店の店長からサイン会に来ないかと誘われた。私は「喜んで」と答えたが、ジュリアード音楽院の生徒たちが私の書いた本に価値を見いだすかどうかは懐疑的だった。世界でもっとも高度な音楽学生である彼らは、人生の大半をまさに究極の鍛錬の原則に基づいて訓練され、その原則に忠実だった。この本を必要としない人たちがいるとしたら、彼らだと私は考えた。一冊でも売れればラッキーだと思った。
店長は、「実は、この本は今までで一番売れた本なんです」と答えた。
私は仰天した。しかしこのことはその後、他の専門領域でもみられるようになった。たとえば、私は神経外科学会に招かれ、この本の考えについて講演した。おそれおおい話だ。800人もの脳外科医がいる会場で、どうすればよりよい手術ができるかを話すことを想像してみてほしい。しかしその後、隣の会場で行われたサイン会では、外科医たちがドアの外まで列をなし、私は一時間近くサインをしつづけた。
スポーツのコーチたちもまた、驚いたことにこの本のメッセージに強く反応した。スポーツは音楽と同様、究極の鍛錬の概念がすでにもっとも深く浸透している分野であることは明らかだと思われた。この本の考え方をすでに実践して生計を立てている人たちが、どうしてこの本に興味をひかれたのだろう?
コーチがこの本を求めるその答えはいくつかあることがわかった。第一に、コーチの多くがこの本を欲しがったのは、自分自身のためというより、生徒たちのためだった。
たとえば、ゴルフ・インストラクターの組織がこの本を推薦しはじめていることがわかった。ウォールストリート・ジャーナル紙のすぐれたゴルフ・コラムニスト、ジョン・ポール・ニューポートがこの本について記事を書いている。
これらのインストラクターや他の多くのコーチの教え子たちは、大人の教え子でさえも、多くの子どもたちと同じように間違った考えにとらわれていることがわかった。彼らは、すぐれたパフォーマンスは実際よりずっと簡単にできると信じているのだ。
アトランタの有名なイースト・レイク・ゴルフ・コースのティーチング・プロに、一般のゴルファーが犯す最大のミスは何かと尋ねたことがある。彼は二つの間違いをあげた。平均的なゴルファーのグリップとスタンスはまったくできておらず、スイングを始める前からうまくいかないようになっている。
そしてもう一点、彼らは現実的でない期待をしすぎている。多くのゴルファーはほとんど練習していないのに、テレビで見るプロのようなプレーを期待している。その結果、楽しむべきときにみじめな思いをしているのだ。私は今ようやく、多くのスポーツのコーチが、この本に何を期待しているのかを理解した。彼らはこの本によって、生徒たちが自分への期待値をしっかり調整し素晴らしいパフォーマンスについての現実を知ることでさらに成長することを願っているのだ。
コーチがこの本に価値を見いだすもう一つの理由は、自分自身の仕事に役立つからである。ほとんどのコーチは、自分たちがやっていることの背景にある科学的な研究についてはよく知らない。究極の鍛錬がどのように、そしてなぜ効果的なのかを正確に理解すれば、それを応用する新しい方法をすぐに思いつくことができる。
ある野球指導者向けの新聞が、この本について私にインタビューし、でき上がった記事を一面のトップに掲載した。私は、編集者がなぜこの資料を読者にとって価値があるものと考えたのか不思議だったが、その理由を理解できるようになった。
このような経験やその他の経験を通して、私は、どのような分野でも最高のパフォーマー、つまり、私たちの多くがあこがれるしかできないことをすでに成し遂げているパフォーマーほど、偉大なパフォーマンスについてもっと知りたいと強く願っているものだということを目の当たりにした。どんなにすぐれた選手であっても、彼らは常にさらに上をめざそうとするのだ。
<本稿は『新版 究極の鍛錬』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock
【著者】
ジョフ・コルヴァン(Geoff Colvin)
フォーチュン誌上級編集長
【訳者】
米田 隆(よねだ・たかし)
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