ひとり旅とは「自分に何ができるか」を自分自身に示すことだ
「一人前の大人は男女カップルで行動する」という同調圧力に疑問を持ち、ひとりで生きる自分を見つめて、ポジティブにとらえる――。ドイツで人気の女性インフルエンサー、マリー・ルイーゼ・リッターさんの著書『ハッピー・ロンリネス 群れないドイツ人 幸せのかたち』よりお届けします。
必要なのは「簡素さ」と「合い間時間」と「不完全さ」
私は快適でない場所が大好きだ。これを私は「キッチンテーブル論」と呼んでいる。たとえば、人間工学にもとづいたすわり心地のいい椅子があり、引き出しには厳選されたペンや紙などの文房具が詰まっていて、ファイルや書類の収納場所も用意されているような仕事部屋を提供されたとしても、私はノートパソコンをつかんでキッチンテーブルで仕事をするだろう。
ごちゃごちゃとものが置かれているなかで、快適とはいえない椅子にすわり、膝を上げてあごを乗せたり、ときどきは冷蔵庫をのぞきに行ったり、途中からあぐらをかいたりしながら、創造力をほとばしらせるだろう。私は空港でも仕事をするし、電車やカフェで仕事をすることもある。
人は、理想的とは言いがたい場所や不慣れな環境で、ちょっとした空き時間などに集中して仕事をすると、最高のアイデアを思いついたり、たった1時間のうちに、家の仕事机に向かっていたら8時間かかってもできないほどの成果をあげられたりするものなのだ。私は、完璧さは力を奪うものだと思っているし、力を発揮するには、簡素さと、合い間の時間と、不完全さが必要だと思っている。これこそ「キッチンテーブル論」なのだ。
私がひとりを好むようになったのも、これが理由なのかもしれない。多くの人にとっては、ひとりでいることも、不完全で快適でない状態に含まれるからだ。しかし私にとって、ひとりでいることは、自由な選択の余地を与えてくれるものであり、創造力の源でもある。ただし、快適でないところに幸せを見いだすにはコツがいるらしい。
少なくとも、心理学者のクリスチャン・ブッシュはそう確信している。アメリカの心理学雑誌『サイコロジー・トゥデイ』誌のブログに、彼はこんなふうに書いている。
「多くの人はセレンディピティ[思いがけない幸運に出会ったり、それを発見したりする力]を、偶然に訪れる受動的な幸運と見なしている。しかし実際には、セレンディピティとは、いくつかの点を目にとめてそれらを結びつける、能動的なプロセスなのだ。ほかの人々の目には峡谷にしか見えないところに橋を見いだして、自発的にチャンスをつかみ、行動するのが、自分で幸運を見つけるということである」
クリスチャン・ブッシュによれば、幸運な偶然を見つけられるかどうかは、私たちのものごとへの取り組み方や、考え方や、ものの見方に左右されるところが大きいという。私の場合、ひとりでいることや、なじみ深い場所からあえて離れるといった、誰もが好むわけではない行為が重要なのだろう。そうした行為こそ「人には峡谷にしか見えないところに橋を見いだす」ことなのだ。
なじみ深い場所というのは、柔らかな綿のようなものであり、寝心地のよすぎるベッドのようなものでもある。ある人にとっては安心や安息を意味するが、ある人にとっては退屈そのものであり、その結果、無気力に陥る原因になる。なぜなら新しい体験は、私たちの感覚を研ぎすますために必要なものだからだ。
アドレナリンが分泌され、緊張することで、人はいろいろなことを明確に認識できるようになる。私たちは、ときどきそうした興奮を──快適ではない何かや、苦労して乗りきるべき何かを──必要とするものなのだ。しかし、私の場合、誰かとふたりでいるときに、そうした欲求が満たされたことは一度もない。
相手が下した決断を、私は少なくとも半分は信頼するし、相手に同意を示してうなずきながら、その人のあとをただついて歩くだけになる。一方でひとりのときは、すべてを自分が担わなくてはならない。調べものをして、ありとあらゆる決断を下さなければならない。つらいときもあるが、漫然と過ごすよりもハードルがあるほうが得るものは多い。
到着の誤謬
ひとり旅というのは、自分に何ができるかを自分自身に示すことでもある。私はひとりでデンマークまで運転してコンサートに出かけ、知り合いがひとりもいないスペインのイビサ島に留まり、コロナから回復して間もないころにグアテマラまで飛んで、ひとりで山の上のジャングルに滞在した。ひとり旅とは、なじんだ場所から飛び出して、自分を誇りに思える行為なのだ。
フランスまでの運転中、私はずっと鳥肌が立っていた。そして、小旅行をしたあとは勉強しはじめたばかりのスペイン語以外に、フランス語も少し覚えた。出会う単語をどんどん吸収していった。
自分が望みさえすれば、私は田舎に家をかまえて、家族を持つこともできただろう。でも私の人生は、いまこの場所にたどり着いている。そして私は世界の誰とも、自分の人生を取り替えたくはない。私は旅をするのが好きだ。快適でないことが、冒険が、新しい経験をするのが好きだ。まだ旅をしている途中だというのに、私はどこかに到着したような感覚を覚えていた。
どこかに到着したり、目標を達成したりすれば、幸せになれると思い込んでいる人は多い。
「とりあえずあそこに着いたら……」
「あれとかこれを手に入れたら……」
「10キロやせたら……」
「一緒にいてくれるパートナーが見つかったら……」
心理学者はこうした思い違いを「到着の誤謬」と呼んでいる。目標を達成したら、その後はずっと幸せになれるなんてことはない。なぜなら目標にたどり着いた幸せな瞬間は、一瞬で消えてしまうものだからだ。そのあとはまた、そこに向かって努力するための新たな目標が必要になる。
実際の幸せというのはむしろ、普段の生活のなかや、目標を達成するまでの過程にある。結婚式を挙げたり、一戸建て住宅に引っ越しをしたりするといった、一度きりの目標にあるのではない。そうでなければ、大きな目標を達成したあとは、心に大きな空洞ができてしまう。
必要なのは快適でないこと
バルセロナでは、濃霧の向こうに日が沈みつつあった。私が借りたアパートメントのある細い路地のあいだを、風が吹き抜けていく。5階まで上る階段は幅がひどく狭くて、この週が終わるころには、体じゅうがあざだらけになりそうだった。でも、その不便さを補ってあまりあるほどのすばらしい眺めだった。
私はまだ、この場所をよく知らない。この区域も、この街も。でも、これまでに訪れた数々の場所でしてきたように、この街を知って、自分のものにするのが待ちきれなかった。そうすることが、私にとってはこの場所への「到着」を意味していた。
もしかしたら私には、「快適でないこと」、が必要なのかもしれない。完璧に整えられた仕事部屋ではなく、キッチンテーブルや、騒々しい通りの隅にあるカフェのぐらつくスツールが。目標ではなく、旅をすることが。
なじみがなく、快適でないどこかにいると、活力が湧いてくる。冒険心を刺激されるし、自由を実感できる。それは新たな始まりであり、いまあるものとこれから起こり得ることとのあいだで、私はバランスを考える。
旅先で出会うすべてのものやすべての人を、これから先の人生に携えるのは不可能だ。これは、未来の自分にとってのよい人生を探すための旅なのだ。それを見つけるための私の準備は、すでに完璧に整っている。
<本稿は『ハッピー・ロンリネス―群れないドイツ人 幸せのかたち』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
【著者】
マリー・ルイーゼ・リッター(Marie Luise Ritter)
Photo by Shutteratock
【訳者】
安原実津(やすはら・みつ)
◎関連記事