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「読者に向かって開かれているかどうか」ブックデザイナー・鈴木成一さんに“売れる装丁の条件”を聞いてみた

「装丁」は、書籍のヒットを左右する重要なもの。読者が店頭で本を買うか判断する時間は3秒ともいわれます。たった3秒で、どうやって読者の心をつかむのか?

7月6日配信の前編(「答えは一つしかない」ブックデザイナー・鈴木成一さんに「本の装丁とは何か」を聞いてみた)に続いて、小説からノンフィクション作品、実用書、タレント本まであらゆるジャンルの装丁を手掛け、これまで数々のベストセラーを世に送り出したブックデザインの第一人者・鈴木成一さんに、売れる装丁の条件を聞きました。

電子書籍の普及が、紙書籍の「モノとしての強さ」を目覚めさせた

武政秀明/Sunmark Web編集長(以下、武政):電子書籍が普及し、今や紙の書籍を買わない読者も出てきています。

鈴木成一/ブックデザイナー(以下、鈴木):電子書籍が現れて、紙の書籍が「印刷書籍」などと揶揄されることも出てきましたね(笑)。でも基本的に、私のやることは変わりません。

『おつかれ、今日の私。』 / ジェーン・スー
鈴木成一さんが手掛けられた作品の一つ

武政:本の買われ方も少し変わりました。書店で実物を見て買うのではなく、ネット書店で表紙だけ見てポチる、というような。

鈴木: そうですね。手っ取り早く消費してしまおうっていう時代の流れなんでしょう。つくる側としては、少し残念に思いますが。だってそれってもう、実物を見て買うのと比べて、情報量としては100分の1くらいしかないわけですから。本というのは、やはりインパクト勝負。物的な圧力といいますか、手触りや分厚さ、重さなど、読者にアピールするためのインパクトを出すのが装丁です。

例えば、私が装丁を手掛けた『東京の生活史』(編集・岸政彦/筑摩書房)は、一般から公募した「聞き手」によって集められた「東京出身の人」「東京在住の人」「東京にやってきた人」などの膨大な生活史で、A5判・1200ページを超える超大作。もう広辞苑級のボリュームです。

武政:これはたしかに表紙の画像だけでは伝わらない、物的な圧力、インパクトがあります。

『大阪の生活史』/ 岸政彦

鈴木:そう。この本はその内容もさることながら、やっぱり「モノとしての力」があるからだろうと思うけど、けっこう売れたんですよ。本当の紙の書籍っていうのは物体であって、それを知らずして買うというのは実にもったいない話です。紙の書籍には、用紙や加工、特色など、インパクトを出すためのいろいろな仕掛けが詰まっているんです。

思えば、電子書籍が登場して以降、派手な紙や凝った加工が増えてきたかもしれません。「モノとしての強さ」に目覚めた、というか。そこはデジタルに対して、やっぱり対抗意識みたいなものがあるのかな。デジタル化が進んだことで、逆に本そのものへのこだわりが呼び覚まされたのかもしれない。昔は競合する別のメディアがなかったから、ある意味で殿様商売だったわけですが、その多様化の中でどう生き残るか、皆さん考えているんじゃないでしょうか。例えば、用紙自体が蛍光色って、まずモニターでは再現不能です。

武政:たしかに蛍光色を使ったデザインの書影をつくるときは、類似の色で表現します。

鈴木:箔押しもそうです。そういう「物質感」はやっぱりデジタルだと再現できないので、単なる消費物として「それらしいもの」で表示されるのは、もったいないという気がします。

とにかくいろんなことが、あまりにも速いんですよね。たかだか本です。もっと腰を据えて、向き合うみたいなことがあってもいいんじゃないかと思いますけど。

出版業界と「速さ」

武政:これまで山ほど本を読んで、つくってこられて、最近の本をどう思われますか。

鈴木:私自身の年代に見合った仕事が来ているというのもあるかもしれないですが、読者の高齢化は感じます。年配の人が中心で、若い人は読まない。そうすると、やっぱり老眼対応で級数(文字の大きさ)は大きくなってますよね。最近は13級(1文字3.25mm)なんて、ちょっとありえない。最低でも13.5とか、15級が普通だったりします。最近、売れるのは老人か子ども向けですね。

武政:業界全体を見渡すと、大量の出版点数をキープするために制作期間が短くなっている版元もあると聞きます。

鈴木:そこは私の場合、逆に長くなっています。今は「告知期間」というのをもうけるんです。表紙のデザインを先に完成させて告知をし、予約をとり、長い時間をかけて宣伝をして発売日を迎える。

でも、たしかに別の視点で見ると、中身がぜんぜん煮詰まっていない状態で拙速に表紙をデザインするようなケースも出てきたかな。

武政:クリエイター界隈ではAIの脅威も叫ばれています。

鈴木:私の領域でいうと、AIで写真のイメージを拡張したりはするようになっていますね。一瞬で景色を延ばしてくれるので、ものすごい便利ですよ。ただ、まあ、AIに装丁そのものは無理でしょうね。

武政:お話をうかがっていて、人が書いているもののデザインは、人がしたほうがしっくりくるのかなと思いました。

鈴木:AIと人のものづくりの差を一言で語るのは難しいですが、私はまあ、頼まれたら嬉しいですよ。頼まれたことに対して答えるというのが、人としていちばん大事な部分じゃないですか。信用を得るというか。〆切を守らない、不本意な装丁が上がってくるとなったら、そんなデザイナーとは誰も付き合いたくないでしょ。そう思うと、「嫌われたくない」というのはあるかもしれないですね。AIにはそういう感情はないだろうから、じゃあ、私のものづくりの原点にあるのは「嫌われたくない」(笑)。

武政:(笑)編集者の期待にこたえたいとか、読者を驚かせたいと思いながらつくるから、AIの表現とは一線を画したものになるんでしょうね。

『ラウリ・クースクを探して』 / 宮内悠介
鈴木成一さんが手掛けられた作品の一つ

いい装丁は、読者に向かって開かれている

武政:次世代のブックデザイナーさんたちも続々と出てきています。

鈴木:ちょっと前まで時間がなくてあまり書店に行けていなかったんですが、僭越ながら2021年から装幀家・故菊地信義さんの後任で、毎日新聞の「今週の本棚・COVERDESIGN」というコラムを受け持つことになりまして。毎週1回、装丁が秀でた本を紹介するということをやっています。それで最近は、定期的に足を運ぶようになりましたね。

他のブックデザイナーの装丁を見ると、発見があります。何が発見なのかと問われると雰囲気としか言いようがないけれども、その装丁が「開かれているかどうか」ということなんだと思う。「こんな装丁、見たことない!」とか新しい発見があって、その本と自分との未知の回路ができてしまう、新しいつながりができてしまう――そういう類のものです。

近年は書籍の嗜好品化が進み、限られたファンだけに向けたグッズのような位置づけのデザインも増えている。それを「閉じている」状態だとすると、「開かれている」とは、何も知らない初見の読者にずどんと来る、という感じかな。見た人の目に留まって、手に取ってみたくなるというデザインというか。

たとえていえば、「呼ぶ」とか「呼び込む」という感じですね。まぁベストセラーになるかどうかに、装丁はあまり関係ないような気もしていますけど(笑)。

武政:いやいや、装丁は間違いなくベストセラーの一要因だと思います。

鈴木:装丁がデザイナーの自己表現を越えて読者に向かって開かれているかどうか、これに尽きると思います。

装丁をデザインするにあたって、「私」なんかいらないんですよ。本の個性こそ大事なのであって、私はもうそのために手を貸しているだけって思っています。

40年間、第一線で活躍し続けてきた理由

武政:前編でも話されていた、鈴木さんがブックデザインで自分の色を出さないスタイルを貫いている理由について、もう少し詳しく教えてください。

鈴木:私がこの仕事を始めたのは1985年なんですが、その頃は装丁がアートのように捉えられていました。今もそういうアプローチがないわけではないけど、デザイナーが「自分の芸術をいかに全うするか」というか、少なくともそのように見えました。それはそれで、当時はかっこよかったし、私も最初はやっぱりそういうものに憧れていました。

でも、“自分の芸術”らしきものをやろうとすればするほど、もがき苦しむわけですよ。とにかく自分との戦いだから。しかも、トレンドになってる「アートブック」みたいな、まさに作品至上の、それを基準とするような強迫観念があって。でも、どうにもできないんです。そもそも向いてない。それをやると苦しくてしょうがない、だったらやめるしかない。

武政: 割り切って、やめられた。

鈴木:はい。自己表現をやろうとした時期はありました。でも苦しくてしょうがなかった。だから自分の芸術観は手放して、本のデザインは内容に依拠させる。内容にこそ根拠があり、手掛かりがあり、言い訳があり、口実があり(笑)……それを見える形にすればいいんだと割り切った。

だから私のデザインは、ばらんばらんです。見る人が見れば私のデザインとわかるらしいんですが、あらゆるジャンルをやっているし、傾向がない。

武政:それが40年間、第一線で活躍されていらっしゃる秘訣ですね。

鈴木:そう思います。自己表現をしないこと。自分とは向き合わない。あくまで本に奉仕する、ちょっと大袈裟ですが、この世に存在するための手助けをするということですね。頼まれたから手助けするというスタンスです。

結局、自己表現が恥ずかしいんですよ。口実があるからデザインできている感じです。もちろん、あくまで「前向き」にですよ。

『ゴリラ裁判の日』 / 須藤古都離
鈴木成一さんが手掛けられた作品の一つ

武政:自分の作品であって、自分の作品ではない。

鈴木:若い頃は自己表現に憧れた時期もあったけど、いろいろやるなかで自分はアーティストではないなと自覚したんですね。だからこの仕事が向いているんでしょう。

武政:過去のインタビューで「思い入れのある装丁はあるか」と聞かれて「ない」と答えていらっしゃいました。

鈴木:そうですね。いちばんよかったなんていうのは、ちょっとあり得ない。ぜんぶ他人事ですね。ある意味で役者みたいなものかもしれない。脚本家がいて、プロデューサーや演出家がいて、彼らはその中で表現をしますよね。表現のプロセスも似ています。役者も脚本を読んで、自分のなかで一度解釈をして、表現に落とし込む。つまり、自分であって自分でない。肉体を貸しているだけであって、あくまで役というわけです。私の場合は、著者という本人に成り代わってデザインで表現をしているだけなのかなと。

「シャーマンのようだ」なんて言われたこともありますよ。私の選んだ色が、たまたま著者さんの好きな色だったようで。「なんでわかったんだ!」と編集者に驚かれました(笑)。それはもう、原稿を読んだら自然と私の中に著者が入った感じです。不思議なことですが。

武政:作家さんや著者さんと、直接お会いされることはありますか。

鈴木:ありますよ。ただ稀です。編集越しに直接装丁家にもの申す、となれば、相当の情熱か、よっぽど装丁家を信用していないか、要するに余計なことをされては困る的な(笑)、ということじゃないでしょうか。その分、こちらのモチベーションが上がるのも事実ですが。

武政:鈴木さんが過去のインタビューで、「仕事が次の仕事につながる」とおっしゃっていられた言葉が印象的でした。

鈴木:次の仕事が来ることが、いちばん嬉しいです。1回仕事をやって、「売れた」「増刷した」という手ごたえがあって、編集側がその実力を認めてくれたということだから。

装丁って、できあがっても郵送されて、基本誰も何も言ってくれないんです。「これでよかったのか」って評価は、編集者が別の仕事を依頼してくれたときにやっとわかる。装丁を始めて10年間くらいは評価がよくわからなかったから、「やめようか」と思ったりしたこともありました。そんな頃、先ほどの菊地氏の推挙をいただいて賞を取ったり、徐々にリピーターが増えたりして「ああ、自分みたいなブックデザイナーがいてもいいんだ」と自覚して、以来30余年、かれこれ40年の今があります。

鈴木成一が考える書籍の生存戦略

武政:出版業界の展望について、お考えを聞かせてください。

鈴木:逆に聞きたいんですが、本って残ると思いますか?(笑)

武政:うーん、確かに難しい質問(笑)。

鈴木:読んだら終わりですからね。

一方、なんとなくですが、工芸品みたいになっていくのかなと。私は本って、仏壇や墓に似ていると思うんですよね。内容はさておき、たまに開いてアクセスするもの。ああいう在り方になっていくのかなと思っています。

武政:一方で聖書や論語などのように、ずっと残るものは残る。

鈴木:そうですね。嗜好品といわれると、ちょっと違う気はするんだよね。消費するものという感じはない。いや、もちろんそうなんだけど、ちょっとずれている。そのずれている部分が大事で、残る理由になっていく気がする。

武政:だからこそ、実体としての価値に比重が置かれていく……。

鈴木:そう。インターネットの中にある情報は純粋な消費対象だから、簡単に忘れられるんですよ。でも本には形があって、どうしようもなくそこに在る。空間を占めて、自分の脇に転がっている。

本ってある種、人がそこにいるような、人格みたいなところがあるじゃないですか。だから、かたわらにそういうものが在るというか、いるというか。そんな存在になっていくのではないかと思っています。

(構成:吉原彩乃/編集者 撮影:矢口亨/Photographer)


鈴木成一 (すずき・せいいち) / ブックデザイナー

1962年北海道生まれ。筑波大学芸術研究科修士課程中退後、1985年よりフリーに。1992年(有)鈴木成一デザイン室を設立。1994年講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。エディトリアル・デザインを主として現在に至る。筑波大学人間総合科学研究科、多摩美術大学情報デザイン学科非常勤講師。著書に『装丁を語る。』『デザイン室』(以上、イースト・プレス)、『デザインの手本』(グラフィック社)。