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国境なき医師団の僕が「自分の理解」を突き詰めた理由

 社会の国際化が進んだ今、主義主張や思想がまったく異なる人々と何らかの機会で接することもあるかもしれません。もしもそんな相手と交渉することになったら?

 スーダン、シリア。イラク、イエメンなど紛争が絶えない過酷な国や地域において国際人道支援の現場で活動してきた、国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎さんは、今という視点で見て相手との共通項がなければ、時には自分のルーツをたどることも必要だと説きます。

 村田さんの著書『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』からお届けします。

『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』(サンマーク出版) 村田慎二郎
『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた
命の次に大事なこと』

「セルフ」だけでなく「アイデンティティ」を理解、確立せよ

「HIROSHIMA」で1945年に、なにがあったか──。

 それは、世界で広く語りつがれている。

 イスラム教のさまざまなグループの人たちの間でも、だ。シリアやイラク、スーダンやナイジェリアなどの長年の紛争地の経験で、僕はそのことを知っていた。

 主義主張や思想がまったく異なる相手と交渉する際、どこに自分との共通点を見いだせるか。自分の仕事上の立場や所属する社会になにも相手との共通項がなければ、ときには親やそのまた前の世代にまでさかのぼってみる。

 これは拙著『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』でも詳しく述べているが、のちにハーバード・ケネディスクールでハイフェッツ教授の「アダプティブ・リーダーシップ論」の授業から、理論的に教わったことだった。

 社会の国際化が当たり前になった今日、「セルフ」だけでなく自分の「アイデンティティ」を理解し、確立しておかなければならない。

 さらにいえば、自分の交渉相手が運んでいる水がどこからきているか、彼らの「アイデンティティ」の源も理解しておく必要があるのだ。

<祖先との対話で自分と歴史を結びつけよ>
祖父母との対話

ハーバードで学んだ瞑想法

 では、どのように自分のアイデンティティを確立すればよいのか。

 身近なところでは、これまでの人生の経験から自分がどんな考えをもつに至ったかを振り返ってみるといい。

 職場の上司や部下からの自分に対する期待、また自分の親や周りの人たちから受けてきた教えや期待を書き出してみる。

 すると自分の考え方や行動は、自分の仕事上の役割や社会の影響を受けていることがわかる。

 むずかしいのは、自分の祖父母やその前の世代から引き継いでいる考え方に意識をめぐらすことだ。とくに大事なのは、第二次世界大戦のころ現役でいた世代とのギャップを埋めることだと僕は思う。

 しかしもう、その世代のほとんどの方は残念ながら他界されている。

 僕の祖父母がまさにその世代なのだが、僕が大人になる前に亡くなり、深い話はできなかった。これからますます、そういった日本人は増えていくだろう。

 そこでおすすめなのが、瞑想(めいそう)をした上での祖先との対話だ。あくまで想像上にすぎないのだが、これがやってみると意外に効果はバツグンだ。

 この方法は、ハーバード・ケネディスクールでティーチング・アシスタントをしていたアメリカ人のコーチにガイドしてもらった。

 コツさえわかればひとりでもできるので、やってもらいたい。

 まず目を閉じて、大きく深呼吸をする。

 ゆっくりとだ。静かな空間で自分の心が落ち着いているときがいい。

 抱えている悩みや心配事は考えず、頭の中は空っぽにする。

 想像力を使って、戦時中の世代の人たちの現役のころの姿を何人かイメージする。僕の場合は、軍人だった自分の祖父たちが5人ほど浮かんできた。

 目はずっと閉じたままだ。そこから、やせており、泥だらけの軍服を着た彼らとの想像上の会話がはじまった。

「どうしてあんな戦争をしたんですか」

「どういう意味だ?」

「軍事力も資源も、すべてにおいてスケールが違うアメリカを相手に、無謀な全面戦争をしたことです。勝てると思っていたのですか」

「それに中国や韓国でおかしたといわれていることは、武士道に反するのではないでしょうか。いまだに恨みに思われていて、政治のカードにも使われています」

「おまえが俺たちの時代のことをどれだけわかっているか知らないが、俺たちは国のために戦った。あのときはそれが正義で、そうしなければいけなかった。俺たちは子どもや、おまえたちの世代のために戦ったんだ。多くの仲間が自分を犠牲にして守りたかったことを、おまえたちは守っているか」

「時代は変わったんです。いまは、日本はとても平和で経済の規模は世界で指折りです。私たちの世代は、その恩恵を受けています」

「本当か。それはよかった。それで、おまえはなにをしているんだ」

「国境なき医師団という組織で、世界各地の紛争地で人道援助をしています」

「そうか──。俺たちの時代には、考えられなかった仕事だな」

 しばらく祖父たちは顔を見合わせて、最後にこう言ってくれた。

「誇りに思う。頑張れよ」

 この瞬間、自分と祖父たちがつながった気がした。いままであの戦争に複雑な思いをもっていた僕としては、想像上であったとしてもこれは大きかった。

 不完全でも不思議とリアリティがあり、祖父たちの当時の苦悩や僕たちの世代に対する思いをはじめて感じとることができた。

 自分の願望が含まれていたとしても、最後のメッセージにはとくに勇気をもらえた。

自由に自分の人生を生きるためのアイデンティティ

 祖父たちとのこの想像上の対話を経験してから、僕は自己紹介のときに必ずこう言うようになった。

「I am a humanitarian from Japan (私は日本出身の人道主義者です)」

 アイデンティティへの深い理解が、セルフ(自己)を支える。

 アイデンティティに縛られるのではなく、自由に自分の人生を生きていくために自分のアイデンティティを確立し、セルフと分ける。

 これが、僕たちがこれからの時代、命の次に大事なことである命の使い方を考えるとき、真の自己実現として必要な要素のひとつだといえる。

<本稿は『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo  by Shutterstock


【著者】
村田慎二郎(むらた・しんじろう)
国境なき医師団 日本事務局長。1977年、三重県出身。
静岡大学を卒業後、就職留年を経て、外資系IT企業での営業職に就職。「世界の現実を自分の目で見てみたい」と考え、国境なき医師団を目指すも英語力がゼロのため二度入団試験に落ちる。
2005年に国境なき医師団に参加。現地の医療活動を支える物資輸送や水の確保などを行うロジスティシャンや事務職であるアドミニストレーターとして経験を積む。2012年、派遣国の全プロジェクトを指揮する「活動責任者」に日本人で初めて任命される。援助活動に関する国レベルでの交渉などに従事する。以来のべ10年以上を派遣地で過ごし、特にシリア、南スーダン、イエメンなどの紛争地の活動が長い。
2019年より、ハーバード・ケネディスクールに留学。授業料の全額奨学金を獲得し、行政学修士(Master in Public Administration=MPA)を取得。
2020年、日本人初、国境なき医師団の事務局長に就任。現在、長期的な観点から事業戦略の見直しと組織開発に取り組む。学生や社会人向けのライフデザインの講演も行っている。NHK総合「クローズアップ現代」「ニュース 地球まるわかり」、日経新聞「私のリーダー論」などメディア出演多数。

『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』(サンマーク出版) 村田慎二郎

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