小くよ89 人が投げたボールをすべてキャッチすることはない
家族や知人、上司・同僚から色んなことを頼まれて身動きが取れなくなった。忙しいとき、相談を持ちかけられてパンクしてしまった――。そんな経験がある人は少なくないでしょう。
すべてに応えたくなるのが人情ですが、その必要もありません。
2月にスタートした「Sunmark Web」の特別企画として『新版 小さいことにくよくよするな!』が説く格言を100日連続でお届け。
89日目は「人が投げたボールをすべてキャッチすることはない」
人が投げたボールをすべてキャッチすることはない
親友のベンジャミン・シールドがこれを私に教えてくれた。
私たちの葛藤は、人の問題におせっかいにも口出しすることから起きる場合が多い。だれかに悩みごとを打ち明けられると、それを受けとめなければと考えて応じてしまう。
たとえば、ひどく忙しいときに友達から電話でこう訴えられたとする──「母のことで頭にきてるの。どうしたらいいと思う?」こっちは「悪いけど私には関係ない」と思っているのに、つい投げられたボールをキャッチして問題を解決しようとする。そして後になってストレスを感じ、予定が遅れたことで腹をたて、みんなが勝手なことばかり言ってくるように感じる。
投げられたボールをキャッチすることはない。それを覚えておくとストレスがかなり解消される。友達が電話してきても、彼なり彼女なりが誘い込もうとするキャッチボールに参加しなくてもいいのだ。こっちが餌にかからなければ、相手はだれかべつの人を釣ろうとするだろう。
だからといって、けっしてボールをキャッチするなというのではない。そうしたいときだけすればいいという意味だ。友達のことを気にかけないということでもないし、冷たいひねくれ者になるわけでもない。もっと穏やかな人生を歩むためには自分自身の限界を知ることが必要だし、自分が参加することには責任をもつことも必要だ。
私たちは毎日のように無数のボールを投げられている──職場で、家庭で、子供、友人、隣人、販売員、見知らぬ人たちからさえも。投げられたボールをぜんぶキャッチしていたら私は気がへんになるし、あなただってそうだと思う。鍵は、投げられたボールをいつキャッチすればいいか自分でコントロールすることにある。そうすれば犠牲者になった気分を味わわずにすむ。
目がまわるほど忙しいとき電話に出て話すことも、ボールをキャッチする1つのかたちだ。電話に出れば、その時間も気力もエネルギーもないのにいやおうなく参加させられる。電話に出なければ、自分の心の平和にたいして責任をもつことになる。
これは侮辱されたり批判されたりしたときにも応用できる。だれかに批判されたとき、そのボールをキャッチして傷つくこともできるし、それを受けとめずに1日をすっきり送ることもできる。
<本稿は『新版 小さいことにくよくよするな!』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
リチャード・カールソン(Richard Carlson)
心理学者。ストレスコンサルタント。ユーモアにあふれ、率直でわかりやすく、しかも誰にでも実践できそうな「くよくよしない」ヒントを提唱。著作やテレビ出演、講演多数。著書に『(文庫)マンガで読む 小さいことにくよくよするな!』(サンマーク出版)などがある。
【訳者】
小沢 瑞穂(おざわ・みずほ)