文章のアイデアが浮かばないなら、もう書き始めてもいい
メール・チャット、報告書、SNS投稿、ブログ記事――。
文章を書こうと色々考えているけれど、なかなか妙案が思いつかず書き始めるに至らない。そんな人に知ってほしいのは「考える前に行動しよう」ということ。
『Think clearly』よりお届けします。
文章がどんどん書けるようになるための秘訣
あなたにこっそり、「文章を書くための最大の秘訣」をお教えしよう。たとえあなたが文筆業にたずさわっていなくても、この知識は役に立つ。
その秘訣とは、何を書くかというアイデアは、「考えているとき」にではなく、「書いている最中」に浮かぶということだ。
この法則は、人間が行う、ありとあらゆる領域の活動に当てはまる。
たとえば、ある製品が市場に受け入れられるかどうか、企業家にそれがわかるのは、市場調査によってではなく、製品をつくって市場に出してみてからだ。
セールスマンが完璧なセールストークができるようになるのは、セールス方法の研究を通してではなく、話術を何度も磨きあげ、数えきれないほど断られた経験があってこそ。親は子育ての指南書を読むことによってではなく、日々自分の子どもを育てながら教育者としての能力を育んでいく。音楽家は楽器の演奏方法を頭で考えるのではなく、実際に演奏しながらその楽器の名手になっていく。
それはどうしてか? なぜなら、世界は不透明だからだ。くもりガラスのようにぼんやりしていて、見通しがきかない。
先行きを完全に予測できる人はいない。最高の教養を身につけている人でも、先が読めるのは、特定方向の数メートル先までだ。予測できる境界線の先を見たければその場にとどまるのではなく、前に進まなくてはならない。
つまり、「考える」だけではだめで、「行動」しなければならないのだ。
それ以上長く思い悩んでも1ミリも先に進まない
私の友人の話をしよう。彼は、すでに10年以上、起業しようと試行錯誤を重ねている。頭のいい男で、大手製薬会社の管理職というよいポストにつき、MBAも取得している。
起業についての本を何百冊も読み、扱う商品を考えるのに何千時間も費やし、市場調査の資料を山のように集め、これまでに20を超えるビジネスプランを書き上げている。だが、まだひとつも形にはなっていない。
彼の思考はいつも、「起業のアイデアに将来性はある。だがうまくいくかどうかは、計画をスムーズに実行に移せるかどうか、そして予想されるライバル企業がどう動くかにかかっている」というところまでは進むのだが、そこでストップしてしまう。
彼の思考はすでに、これ以上長く思い悩んでも1ミリも先に進まないポイントに達してしまっているのである。いくら考えても、もう新たなことに思いいたらない。
このポイントを、ここでは「思考の飽和点」と呼ぶことにしよう。
頭の中で検討を重ねることに、意味がないわけではない。短期間でも集中して考えれば、とてつもなく大きな気づきがある。しかし、時間とともに新たに得られる認識はどんどん小さくなり、すぐに思考は「飽和点」に達してしまう。
たとえば投資の決断をするときは、調査できる事実をすべて机の上に並べ、考える時間は3日もあれば十分だ。個人的な決断なら、1日でいいかもしれない。
キャリアチェンジするかどうかを決めるなら、長くても1週間。ひょっとしたら気持ちの揺れを抑えるための猶予期間も必要かもしれないが、それ以上長く考えても意味がない。行動を起こさなければ、新たな気づきは得られないのだ。
頭の中で熟考しても、懐中電灯で照らす程度の範囲にしか考えはおよばないが、行動を起こせばサーチライトであたりを照らし出したかのように、一気にいろいろなものが見えるようになる。その強い光は、考えただけでは見通せない世界の奥まで行き届く。
それに、いったん先を見通せる新しい場所にたどり着いてしまえば、懐中電灯を使った頭の中での熟考もまた力を発揮するようになる。
考えるだけのほうがラク、行動するほうが難しい
次の質問について考えてみてほしい。「行動力」がどれほど重要かがわかるだろう。
大海の孤島に誰かを連れて行くとしたら、あなたは誰を選ぶだろうか?
この先を読む前に、少し時間をかけて考えてほしい。
あなたのパートナーだろうか? それとも友人の誰か? コンサルタントやあなたが知っている中でもっとも頭のよい教授だろうか? それともあなたを楽しませてくれるエンターテイナー?
もちろんそうではないだろう。孤島に連れて行くなら、「ボート職人」がいいに決まっている!
理論家や、教授や、コンサルタントや、作家や、ブロガーや、ジャーナリストといった人たちは、頭で考えるだけで世界を理解できると思いたがる。だが、残念ながらそんなことはめったにない。ニュートンやアインシュタインやファインマンのように、思索だけで新しい発見ができた人たちはむしろ例外だ。
学問の世界でも、経済や日常生活に関することでも、世界を理解するステップには、見通しのきかない世界と実際にかかわる作業がつきものだ。直接、世界に身をさらすことが必要なのである。
だが、言うは易く行うは難し。考えるだけで先に進めないことは私にもよくある。思考の飽和点をとっくに過ぎていても、つい考えすぎてしまう。
どうしてだろう? それは、考えるほうが簡単だからだ。
率先して行動を起こすより、考えているだけのほうが気楽だ。実行に移すよりぼんやりと思いをめぐらせているほうが、心地がいいのだ。
考えているだけなら失敗するリスクはゼロだが、行動すれば失敗のリスクは確実にゼロより高くなる。ただ考えたり、他人の行動にコメントしたりするだけの人が多いのはそのためだ。
考えているだけの人は現実とかかわらない。そのため、挫折する心配は一切ない。一方、行動する人は挫折のリスクと無縁ではないが、その代わり経験を積むことができる。
「望んでいたものを手に入れられなかった場合に、手に入れられるのは経験である」という、この状況を表すのにぴったりの有名なフレーズもある。
何を描きたいかは、描きはじめないとわからない
パブロ・ピカソは「新しいことに挑戦する勇気」がいかに大切かを、きちんと理解していた。
ピカソはこう言っている。「何を描きたいかは、描きはじめてみなければわからない」。
同じことは、人生にも当てはまる。
人生において自分が何を求めているかを知るには、何かを始めてみるのが一番だ。この記事を読んで何か行動を起こしてみようと思った人も、考えているだけではよい人生は手に入らないということだけは常に頭に入れておくようにしよう。
心理学には、「自己内観における錯覚」という言葉がある。
これは、自分の思考を省みるだけで、自分が実は何に向いているのかや、何にもっとも幸せを感じるのか、また自分の人生の目標や人生の意義までも徹底的に究明できるという「思い込み」を表す言葉だ。だが、自分の思考を探ってみても最後にたどり着くのはおそらく、気分の波と、とりとめのない感情と、曖昧な思考だらけの混沌とした泥沼だけだ。
だからあなたが次に重要な決断をせまられたときには、そのことについて入念に検討はしてみても、考えるのは「思考の飽和点」までにしておこう。
思考が飽和点に達する速さに、あなたは驚くに違いない。そのポイントにたどり着いたら、懐中電灯はいったん消して、今度はサーチライトに切り替えよう。ビジネスでもプライベートでも、あなたのキャリアにも恋人との関係においても、この法則は役に立つ。
<本稿は『Think cleary』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock
【著者】
ロルフ・ドベリ
作家、実業家
【訳者】
安原実津(やすはら・みつ)
◎関連記事