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稲盛和夫「人生のすべては自分の心が映し出す」

京セラと第二電電(現KDDI)を創業、経営破綻した日本航空(JAL)の会長として再建を主導し、「盛和塾」の塾長として経営者の育成にも注力した稲盛和夫さん。

2022年8月に90歳で逝去された稲盛さんは数々の著書を残されましたが、2004年7月にサンマーク出版から刊行した『生き方 人間として一番大切なこと』は稲盛さんの代表作の一つ。現在は日本国内で150万部を突破。その続編の『心。』は日本で25万部、中国で150万部を突破しています。

つねに経営の第一線を歩きつづけた稲盛さんが、心のありようと、人としてのあるべき姿を語り尽くした決定版であり、よりよい生き方を希求するすべての人たちに送る、「稲盛哲学」の到達点となった1冊です。

稲盛和夫さんが人生を通して伝えたかった「たった一つのこと」。本書『心。』から一部抜粋、再構成してお届けします。

『心。』


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人生のすべては自分の心が映し出す

 これまで歩んできた八十余年の人生を振り返るとき、そして半世紀を超える経営者としての歩みを思い返すとき、いま多くの人たちに伝え、残していきたいのは、おおむね一つのことしかありません。それは、「心がすべてを決めている」ということです。

 人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。それらはまるで映写機がスクリーンに映像を映し出すように、心が描いたものを忠実に再現しています。

 それは、この世を動かしている絶対法則であり、あらゆることに例外なく働く真理なのです。

 したがって、心に何を描くのか。どんな思いをもち、どんな姿勢で生きるのか。それこそが、人生を決めるもっとも大切なファクターとなる。これは机上の精神論でもなければ、単なる人生訓でもありません。心が現実をつくり、動かしていくのです。

 そんな〝心〟のありようについて最初に気づくきっかけとなったのは、私がまだ小学生のころ。肺結核の初期症状である肺浸潤にかかり、闘病生活を余儀なくされたことでした。幼い私にとってそれは、暗くて深い死の淵(ふち)をのぞいたような強烈な体験でした。

 鹿児島にあった私の実家は、叔父二人、叔母一人が結核で亡くなるという、まるで結核に魅入られたような家でしたが、私は感染を恐れるあまり、当時、結核にかかった叔父が寝込んでいる離れの前を通りすぎるときには、鼻をつまんで走り抜けていました。

 私の父はといえば、肉親を世話するのは自分しかいないと覚悟を決めていたのでしょう。感染することなどまったく恐れず、とても献身的に看病をしていました。私の兄もまた、そんなにたやすくうつるものではないだろうと、まったく気にもとめていませんでした。

 そんな父や兄は感染することなく、私だけが病魔に襲われてしまった。ひたひたと迫りくる死の恐怖におののきながら、私は日々鬱々とした気持ちで病床に伏せるほかありませんでした。

 そんな私を見かねたのか、当時隣に住んでいたおばさんが一冊の本を貸してくれました。そこにはおよそ、次のようなことが書いてありました。

「いかなる災難もそれを引き寄せる心があるからこそ起こってくる。自分の心が呼ばないものは、何ひとつ近づいてくることはない」

 ああ、たしかにそうだ、と私は思いました。病気を恐れず懸命に看病をしていた父は感染せず、また病気など気にせず平然と生活していた兄もまた罹患(りかん)しなかった。病を恐れ、忌み嫌い、避けようとしていた私だけが、病気を呼び寄せてしまったのです。

 すべては〝心〟がつくり出している――このとき得た教訓は、その後の私の人生に大きくかかわる大切な気づきとなりましたが、当時はまだ年端もいかない子どものこと。その意味するところを十分理解するまでにはいたらず、それによって人生が大きく変わることもありませんでした。

 その後、少年期から社会に出るまでの私の人生は、挫折と苦悩、失意の連続でした。中学受験には二度も失敗し、大学受験をしても希望の学校に行くことはかなわず、続く就職試験も思うようにならない。なぜ自分ばかりがこううまくいかないのだ、何をやってもダメにちがいないと失望し、うちひしがれ、暗い気持ちで日々を送るばかりでした。

 そんな人生の流れが大きく変わったのは、大学を卒業し、京都にある碍子(がいし)メーカーに就職してからのことです。

 不況による就職難の中、大学の先生からの紹介をいただいて、やっとのことで入社した会社でしたが、フタを開けてみればすでに経営は行き詰まっていて、ほぼ銀行の管理下にあるというボロ会社でした。

 同期に入社した仲間は一人、二人と辞めていき、とうとう私一人になってしまいました。

 逃げ場のなくなった私は、それならば、と心を入れ替えて仕事と向き合うことにしました。

 どんな劣悪な環境であっても、できるかぎりの仕事をやってやろうと肚(はら)を据え、研究室になかば泊まり込むほどに研究開発に没頭したのです。

 やがて成果が上がりはじめ、おのずと周囲からの評価も上がると、ますますやりがいを感じて研究に邁進(まいしん)する。するとおもしろいように、さらによい成果が出る。そんな好循環が生まれ、やがて私は、当時世界的にみても先駆的な独自のファインセラミックス材料の合成に成功することができたのです。

 けっして能力が向上したわけでも、すばらしい環境が与えられたわけでもない。ただ考え方を改め、心のありようを変えただけで、自分をとりまく状況が一変した。

 人生とは心が紡ぎ出すものであり、目の前に起こってくるあらゆる出来事はすべて、自らの心が呼び寄せたものである――少年のころにつかんだその法則を、このときにあらためて実感し、人生を貫く〝真理〟として心に深く刻みつけることとなったのです。

<本原稿は『心。』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

【著者】
稲盛和夫(いなもり・かずお)
1932年、鹿児島生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミツク株式会社(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。また、84年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。2010年には日本航空会長に就任。代表取締役会長、名誉会長を経て、2015年より名誉顧問。1984年には稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々の顕彰を行う。2022年逝去。
著書に『京セラフィロソフィ』『心。』(ともに小社)、『働き方』(三笠書房)、『考え方』(大和書房)など、多数。

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