「推しに見返りを求めてはならない」オタク道を進む僕の学び
「推しに見返りを求めたら地獄の始まり」
こう言うのは『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』の著者でライターの横川良明さん。
横川さんが推し活から得た学びの一つを挙げます。
見返りなどあるわけがない
推しは絶対に自分のものには
ならないと100回半紙に
毛筆書きしてから進め
オタクの道
オタクをやっていると、たまに我に返る瞬間があります。
今月のクレジットカードの請求額を見て、「この金額はおかしい。絶対不正利用されてるわ」と明細をひとつひとつ丁寧にチェックした結果、すべて身に覚えがありすぎて自分の金銭感覚に狂気を感じたときとか。現場を終えて「あ~楽しかった~」と帰る夜道、所帯持ちの友達が家族で仲良くBBQをやっている写真を Facebookで見たときとか。老いていく両親がいよいよ結婚の「け」の字も僕の前で口にしなくなったときとか。
はたして僕はいつまでもこんな生活をしていて大丈夫なのだろうか、と。
はっきり言って、オタクをやっていて見返りなどあるわけがないのです。どれだけ身銭を投じようと、一銭のリターンもない。見返りを求めるならコツコツNISAでもやった方が断然いい。
どれだけ熱心に推したところで、あくまで推しは赤の他人。自分のものにはなりませんし、思い通りにもなりません。というか、推しに見返りというものを求め出した時点で、それは地獄の始まりな気がします。
我が子でさえままならないのに、推しがままなるわけがない
これだけお金を使ったのに。これだけ現場に通ったのに。と恨み言が口から出そうになるときもあるかもしれませんが、基本的にそれらは自分がしたくてやったこと。誰に強制されたわけでもないのです。
まあ、推しも推しでたまに「僕を知っている人にはぜひ来てほしいです」みたいなコメントをして、オタクを煽ってくるから厄介なのですが、それはそれであちらも商売。
推しにそんなことを言われてしまったら、今回の現場はスケジュールも厳しいし流そうかなと思っていたものを無理にでもお金と都合の算段をつけますし、必要もない写真集をあと5冊積んだりしてしまうのですが、それも最終的にはやはり自己判断。自分がやりたくてやった、としか言いようがないのです。
だから、のちのちどれだけクズであることがバレようとも、あっさり結婚しようとも、(考えるだけで震えますが)突然芸能界から引退しようとも、「僕のお金と時間を返して」と言えないのが推し活。それを不毛と思うなら純金積立とかした方が絶対にいい。それまでにもらった楽しい思い出とか、高揚感とか、幸せとか、そういったベネフィットを考えれば少なくとも対価としてはイーブンなはずだからです。
僕、『渡る世間は鬼ばかり』というドラマが好きでして。特に初期の頃が大好きで、小学生の頃からガン見していたんですけど、よく山岡久乃(やまおか・ひさの)さん演じる岡おか倉くら節せつ子こさんがこんなことを言ってました。
「娘なんて育ててもちっともおもしろくないですね」と。
ご存じでない方に向けて簡単に説明すると、『渡鬼』とは岡倉大吉・節子夫婦とその間に生まれた5人の姉妹によるホームドラマで、5人の姉妹は成人し、それぞれ結婚して家庭を持ったり、仕事にいそしんだりしています。女の子ばかりですから、娘はみんな結婚すると嫁ぎ先の人間になり、いろいろ姑めと揉めごとを起こして節子に泣きつくものの、最終的にはそれぞれの家に帰っていくわけです。
その顛末に毎回節子が「娘なんてつまらない」とボヤくまでが『渡鬼』のワンセット。そんな節子を見て、なるほど、たとえ我が子であっても自分のものになんてならないし、思い通りになどいくわけないんだと子どもながらに学んだのでした。
以来、推しに関しても、〝いつも心に岡倉節子〟。
出産から大学卒業までに最低3000万円必要と言われていますが、3000万円かけたところで我が子でさえままならないんだから、推し活なんて不毛で当たり前。「いくら自分のすべてをなげうったところで絶対に推しは自分のものにはならない」と100回半紙に毛筆書きしてオタクの道を突き進むのです。
<本稿は『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
横川良明(よこがわ・よしあき)
ライター
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