準備にばかり時間をかける人と期限を決めてすぐにやる人の圧倒的な差
「まだ準備が整っていない」「後でやろう」「明日から始めよう」
仕事でもプライベートでもやりたいこと、やらなければならないことがあるのに、何かと理由をつけて後回しにしていませんか。準備にばかり時間をかけたり、モヤモヤ考えたりしているなら、「期限」を決めてさっさと一歩を踏み出したほうがいい。そこに年齢の早い遅いも関係ありません。
『新版 自動的に夢がかなっていくブレイン・プログラミング』よりお届けします。
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一秒たりとも「準備」に時間をかけてはいけない!
やるべきことが決まったら、すぐに取りかかろう。明日ではなく、来週でもなく、クリスマスが終わってからでも、子どもたちが独立してからでもなく、ハレー彗星が飛んできて始まりの合図を送ってきてからでもない。今から始めよう。
何かの講習に通いはじめるのも、誰かに面会を申し込むのも、達成したい何かを教えてくれるクラブに入会するのも、相談相手を見つけるのも、実習生としての雇用契約に署名するのも、今だ。電話をかけて、始めるための手続きを知っている相手をつかまえろ。とにかく始めることが大切だ。
たいしたことを成し遂げられないうちに人生が終わってしまういちばんの理由は、いつも準備ばかりに時間をかけるからだ。
昨日には「明日から始める」と言っていたことだろう。だが、「さあ、準備万端整った。今なら始められる」と感じるときなど決して来ない。今しかない。
今から始めなければ、20年後になったとき、それまでに成し遂げられたことよりも、成し遂げられなかったことのあまりの多さに、がっかりしてしまうことになる。
階段がいちばん上まで全部見えている必要はない。まずは最初の一段を上ろう。
踏み出すべき方向への小さな一歩が、
人生でもっとも大きな一歩と
なることがある。
おぼつかない足どりでもいい。
その一歩が肝心だ。
計画の実行に取りかかると、自分が求めるものが突然引き寄せられたように思えたり、気が合う人たちが周囲にあらわれたりする。
目標の達成に役立つ情報を提供してくれる人が登場したり、同じ目標を目指す仲間ができたりする。すると、難しいと思っていたことでも、何とかなりそうな気がしてくる。かつては曖昧だったことがはっきりとしてきて、探していた答えが、具体的な形をとって身のまわりに見つかるようになる。
目標を決めたらすぐ、
達成するための行動を
開始すること。
成功するには計画を立てるのが大切なのは言うまでもない。だが、計画を練ってばかりで、行動を開始しない人が多すぎる。すぐさま競技に出て、実際に競技するのがどんな感じなのかを体験し、どうすべきなのかを学んだほうがいい。
計画を立てるのを言い訳にして、いつまでも開始を引き延ばしてはならない。やってみたくてたまらないうちに動け。
住宅ローンを払い終えてから、子どもたちが家を出てから、もっと自信がついてから、年が明けてから、誕生日が来たら、次のブルームーン(1か月に2回満月が来るときの2回目の満月)を見てから、結婚してから、離婚してから、別居してから、昇進してから、引退してから、解雇されてから、飼っているオウムが死んでからでは遅い。今しかない!
「計画A」がうまくいかなくても
気にすることはない。
アルファベットは
あと25文字も残っている。
「思ったより時間がかかりそう」なら、どうするか?
最初に思っていたよりも、目標達成までに長くかかりそうだとわかることがある。
そんなときは、最初の目標を切り分けて、いくつかの小さな目標に分割し、それぞれに期限を設定してやり直そう。それでもダメなら、さらに小さな目標に切り分けよう。
これぐらいの期間があれば達成できるだろうと思っていても、それはあくまでも予想だ。ちょっとした見込み違いがあれば、それに合わせて目標を立て直すことも必要になる。
何度も期限を設定するうちに、正確な期間を見積もることができるようになる。
<実話>アラン・ピーズ(本書共著者)の場合
5歳のときのある日、プールへ行った私は、泳いでいるうちにプールのなかの背が届かない場所に来てしまい、おぼれそうになった。このことは、いつまでも忘れられない記憶となって残った。
14歳になった私は、水難事故を防止するライフセーバーの「ブロンズメダルを獲得する」と決めて、ライフセービング団体に加入した。だが、父が転勤となり、家族でメルボルンに引っ越した。
ブロンズメダルを獲得するための訓練は途中で終わってしまったが、この目標はまだあきらめていなかったので、そのまま「Bリスト」に残した。
25年後、39歳の私は、シドニーに近いアバロンという町のライフセービング団体に入り、ブロンズメダルを獲得するためのトレーニングコースに参加して訓練を再開した。
このコースでは、事故にあった人を救うための心肺蘇生術から、救命胴衣やサーフボード、救命ボートといった用具の使い方まで、さまざまな技術をしっかりと覚えこむことが要求される。ランニングや水泳など、いろいろな体力テストも受けなければならない。
体力訓練は厳しかった。40歳近くの男には、なおさらだった。コースに集まっていたほかの参加者は17歳から22歳で、彼らについていくのは大変だったが、私はそれまでの10年間で武道をいくつかやっていたので体力はあった。
ただ、水泳の試験には困った。この試験では、0.5キロを8分以内に泳ぎきらなければならない。体力的には問題なかったが、速く効率的に泳げるフォームで泳ぐには、顔を水につけなければならない。これが私には恐怖だった。39歳だというのに、まだ5歳のときにおぼれそうになったことが忘れられなかったのである。
サーフィンは数年前からやっていた。だが、顔を水につけることだけはできなかった。これでは、制限時間内に泳ぎきって試験に合格することができない。ここで訓練をやめてしまうのは簡単だったが、私はどうしても目標を達成したかった。そこで、水泳のクラスに通うことにした。
想像してみてほしい。私がプールの端っこに、4歳から6歳のほかの生徒6人といっしょに座っているところを。小さなプラスチックのビート板を手につかみ、先生の指導を受けているところを。顔を水につけられないという深刻な悩みを持つとはいえ、いい年をした男が明らかにまともに泳げないでいるのを、ほかの子どもたちの母親は、こっそりと笑いながら見ていた。
先生は生徒たちを2人1組のペアに分けた。私の相手となった6歳のダニーは、私が泳ぐ番が来ると、気の毒そうに私を見ていた。
私はまだ、どうしても顔を水につけたままでいることができずに悪戦苦闘しながら、小さなビート板を使ってプールを往復していた。
「よかったら、ぼくのビート板を貸そうか?」
ダニーは同情するように、ささやき声で話しかけてくれた。「こっちのほうが速く泳げるよ」
「スピードはどれも同じだよ!」
私は、情けない憂鬱な気持ちでブスッと返事した。
しかし、私を励まそうとアドバイスしてくれた、優しい6歳の男の子のおびえた小さな顔を見て、私はビート板の交換に同意した。
そして決心した。ダニーにできたのなら、私もがんばらなければ。
6回のレッスンで何度も何度も練習した結果、このクラスで私は顔を水につけるテストに合格し、さらに1週間後、ライフセービングの水泳試験では、制限時間を3秒切るスピードで合格して、ライフセーバーのブロンズメダルを獲得した。
目標を達成するために、
4歳の子どもたちといっしょに
水泳を習わなければならないのなら、
それが今すべきことである。
年齢なんか関係ない。
「期限」は、何年先でも、何回設定してもいい
「目標を達成しよう」という心の準備はできただろうか。
目標がはっきりと決まり、期限つきで計画を立てれば、どんな状況であっても、少々のことで挫折することはなくなると思っていい。
私は、25年待って目標の期限を決め直し、あきらめずに再スタートを切った。
目標の障害となったのは、顔を水につけられないという問題だけだった。14歳のときにブロンズメダルを獲得するという目標を立て、ようやく達成したときには40歳近くになっていた。この目標を「Aリスト」としてふたたび取り組める状況が整うまでに、25年もかかった。
大事なのは、何をしたいかを決め、ちょうどいい時期が来たときに期限を切る。それだけだ。
目標を決めても、優先順位がいちばん高い目標でなければ、すぐに行動を開始しなくてもいい。一度に全部の目標を目指すのは無理がある。今だと思うときが来たら期限を決めればいい。
ライフセーバーのブロンズメダルを獲得するという目標では、私は期限を2回設定した。状況が変わったからというだけで目標をあきらめてはいけない。状況は変わりやすい。だが、忘れてはいけない。期限を決めなければ、何も起こらない。
人は、期限があるから行動に駆りたてられる。
1年後に後悔することになるだろう。
去年の今日、始めればよかった、と。
今でなければ、いつ始める?
<本稿は『新版 自動的に夢がかなっていくブレイン・プログラミング』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ(Allan Pease Barbara Pease)
講演家、作家
ビジネスにおける人間関係を語る第一人者として、数々の著書を執筆。18冊がベストセラー入りし、そのうち10冊がベストセラー第1位を獲得。セミナーも毎年30か国にのぼる国々で開催している。日本でも『話を聞かない男、地図が読めない女』『嘘つき男と泣き虫女』などが大成功を収めた。100か国以上で出版され、55の言語に翻訳された著書の累計発行部数は3000万部を突破。各国の多数のメディアにも登場する。夫妻の著作をもとにテレビ番組9シリーズ、舞台4作、映画1作が制作されており、なかでも映画は観客動員総数が1億人を超えるヒットを記録した。
【訳者】
市中芳江(いちなか・よしえ)