「詳しくない分野の文章は書けない」と怖がる人に知ってほしいこと
SNSやブログで文章を書く人が「その道のプロ、専門家じゃない」「詳しくない」「オタクじゃない」とき、気が引けるかもしれません。
そんな人に対して、『書けないんじゃない、考えてないだけ。』の著者でブロガー「かんそう」さんは「詳しくなくても書いていい」と導きます。本書よりお届けします。
真の「雄太躯(おたく)」は死んだ
たまに「詳しくないジャンルなんですが、私なんかが書いて良いのでしょうか?」「◯◯に感動したので感想を書きたいんですが、オタクじゃない自分が書くのは気が引けます……」「もう他の人が書いているから自分なんかが書いても意味がないと思ってしまいます……」と相談されることがあります。そんな人には、いつもこう言っています。「うるせぇ書け」と。
まず、あなたはオタクというものを神格化しすぎている。現代社会において本当の意味で「オタク」と呼べる人間は、ほとんど存在しません。
そもそもオタクは自分から「オタク」とは言いません。なぜなら「恥」だからです。私が学生だった18年前、「オタク」といえばバレた瞬間に積み上げてきた生活が一瞬で終わりかねない忌み嫌われし存在「呪いの烙印」「背負ったカルマ」。わかりやすく言えば、「社会不適合者の総称」でした。
後ろから槍で刺されながら泥水すすって茨の道を歩くことしかできない悪魔の落とし子が、汚れた多くの苦しみを持つ「汚多苦(おたく)」と呼ばれてきたのです。
オタクとは「油」です。クラスで誰にも話しかけられなくて一人で浮いてるか、同じ種類の人間同士で固まって浮いてるか、その2種類だけ。油は「汚れ」に変わった瞬間に拭き取られてしまう。だからそれを悟られないよう、必死に擬態して息を潜めて生きてきたのです。
それでも推しを愛さずにはいられない、推しを愛する時間以外はいらない。だから風呂にも入らない。そんな面構えの違う人間たちが「汚多苦」を超えて、雄々しく太い躯を持つ「雄太躯(おたく)」になったのです。
今のオタクに優劣などない
しかし、近年「オタク」「推し」をカジュアルな流行語へと操作させた広告代理店によって全てが変わりました。ただ仕事が休みの日に酒飲みながら彼女とサブスクでアニメ観てるだけの連中が自分から「オタク」と名乗り始め、ただの「好き」の同義で「推し」が使われ始め、TikTokで『恋愛サーキュレーション』に乗ってギャルがダンスを踊った瞬間から「オタク」「推し」という言葉はなんの意味もなくなりました。
オタクだの、推しだの、もうどうでもいいのです。
だからまずは、「オタク」「推し」という言葉を恐れたり、ありがたがるのはやめましょう。その上であえて使わせてもらいますが、今のオタクに優劣などありません。全員等しく一列に並んでいます。オタク歴1日目と10年目どっちが偉いとかないですし、むしろ古参のオタクこそが本当に厄介な存在。推しにとって古参は、小学校のグラウンドの外でフェンス越しに野球部を見て指示出してくる近所のジジイです。
しかし、安心してください。
古参は「推しを知らない人間に褒められる」のが何よりの滋養であり、強壮のもとです。養命酒なのです。古参のオタクにとって、新規の「何もわからない状態だったんですが体験したらこんな素晴らしいことが起こりました!」という被験者的な視点は非常に含蓄があります。「俺たちが普段飲んでる変な液が入ったカプセルに全身浸かってほしい」「推しを摂取したことで起こるお前の体内の反応が見たい」そう思うマッドサイエンティストはそこら中に生息しています。
詳しいとか詳しくないとか関係ありません。ただ、あなたの「感動」をありのままに書けばいい。近所のジジイが必ず反応してくれるでしょう。
<本稿は『書けないんじゃない。考えてないだけ』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
かんそう
ブロガー