五輪の予算が膨らんで施設が廃墟化する必然的構図
今年の夏はパリ五輪(オリンピック)が開催される。期間は7月26日〜8月11日。フランスの首都パリでオリンピックが開かれるのは1900年(第2回)、1924年(第8回)に続く3回目で100年ぶりだ。大会開催に向けて現地では競技場や五輪村、周辺のインフラなどの建設工事が佳境を迎えている。
一方、これまでに何度か伝えられてきたのは当初予算の超過だ。
「24年パリ五輪の予算は650億円超過の恐れ、仏政府が警告」(AFPBB News/2018年3月31日配信)
「パリ五輪・パラ予算、当初より1割増の6330億円…物価高騰や警備費増で」(読売新聞オンライン/2022年12月13日配信)
「2024年パリ五輪の納税者負担、約30億ユーロに膨らむ可能性」(Forbes JAPAN/2023年1月12日配信)
今回のパリ大会に限らず、歴代オリンピックは当初予算を超過している。大会直前まで工事が続いたケースもあり、オリンピックのために作った施設がその後に廃墟化することも多い。2021年に日本で開催された東京五輪も当初予算の金額よりもはるかに膨れ上がった。
ビッグイベントにつきものの予算超過・スケジュール遅延。これには必然的な構図がある。そこから学べる教訓はないのだろうか。
世界中のプロジェクトの「成否データ」を1万件以上蓄積・研究するオックスフォード大学教授が、「先例」に学ぶ重要性を、予算内、期限内で「頭の中のモヤ」を成果に結びつける戦略と戦術を解き明かした『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』よりお届けする。
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著者:ベント・フリウビヤ
オックスフォード大学教授。世界中の兆円規模のメガプロジェクトを研究、1万件以上の成否データを保有する唯一無二の存在。メガプロジェクト研究において世界最多引用をほこり、世界各国から助言を求められている。
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永遠の初心者症候群──五輪はつねに「初心者」だから変更の嵐
1960年以降、オリンピック(パラリンピックと合わせて6週間にわたって行われる、4年に1度のスポーツの祭典)の開催費用は爆発的に高騰しており、現在では数百億ドル規模にまで膨らんでいる。データが入手可能な1960年以降の夏季・冬季のすべての大会で、開催費用が予算を超過している。私とチームが調査した20超のプロジェクトタイプのうち、コスト超過率がオリンピックを上回るのは、核廃棄物貯蔵だけである。
さらにおそろしいことに、オリンピックのコスト超過率は「べき乗分布」に従う、つまり極端な値を取る確率が驚くほど高い。誰もうらやましがらないたった1つのオリンピック記録である、「コスト超過率」の記録保持者はモントリオールで、1976年の夏季大会は予算を720%超過した。だがべき乗分布のせいで、どこかの不運な都市が記録を塗り替えるのは時間の問題だ。
この惨憺たる実績にはいろいろな理由があるが、主な元凶はオリンピックが「経験」をあえて軽視していることにある。
オリンピックには常時開催地というものがない。代わりに国際オリンピック委員会(IOC)は、大会ごとに開催地の立候補を募り、大会を地域から地域へ、大陸から大陸へと移動させることを好む。
開催地が変わって経験がリセットされる
この方法はオリンピックのブランドを宣伝するにはうってつけだから、IOCの利益に適っている。ひとことで言えば、政治的に好ましい。
だがその反面、開催の権利を勝ち取った都市と国は、開催経験をまったく持たないことになる。たとえ過去に開催したことがあったとしても、はるか昔のことだから、関係者はすでに引退したか死んでいる。
たとえばロンドンは2度めを開催したが、1度めとは64年の間隔が開いていた。東京も2度めの開催は57年ぶり、ロサンゼルスは44年ぶりだ。
経験不足を補うために、開催都市は4年前か8年前の開催に関わった人や企業の協力を求めることもできるし、実際にある程度はそうしている。だがこの慣行が主流になることは、政治的にあり得ない。オリンピックには莫大な費用がかかるから、政府がうまみのある契約や雇用を地域に約束しなければ、開催の支持を得ることはできない。
そして、雇われるのが地域住民であれ、開催経験者であれ、開催地は先に述べた理由から、そうした労働力を指揮した経験がない。
その結果、大会は4年ごとにくり返されるにもかかわらず、パフォーマンスは上向きの学習曲線をたどらない。オリンピックはつねに初心者によって計画、実行される。私はこの致命的な欠陥を、「永遠の初心者症候群」と呼んでいる。
プライドとトップをめざす競争
それに加え、オリンピックにはプライドと、トップをめざす競争が絡んでくる。オリンピックのモットー、「より速く、より高く、より強く」に則り、開催都市は施設の建設でも最上級をめざす。既成の設計や先例の焼き直しではなく、つねに唯一無二の(最初、最大、最高の、最もユニークな、最も美しい)ものをつくろうとし、経験をないがしろにする。
この症候群が最もよく表れているのが、コスト超過のオリンピック記録保持者、1976年モントリオール大会だ。「すべての建物が壮麗で、近代的で、複雑だった」と、建設技術者が2013年に発表したケーススタディに書いている。「その最たるものが、メインスタジアムである」。
メインスタジアムを設計した建築家は、モントリオール市長ジャン・ドラポーの個人的なお気に入り、ロジェ・タイイベールである。彼が構想したのは開閉式のドームで、屋根の開口部の上に、傾斜した高いタワーがドラマチックにそびえるデザインだ。この設計が「前代未聞」であることが、ドラポーとタイイベールをことのほか喜ばせたが、それは警鐘として受け止められるべきだった。
タイイベールの計画は、現実的な問題をまるで考慮に入れていなかった。「スタジアムの設計は施工性を考慮せず、内部には足場を組むスペースすらなかった」と技術者はケーススタディで指摘している。そのせいで数十台のクレーンが密に配置され、互いに干渉した。
コストの爆発的増加と工期の大幅遅延を受け、ケベック州政府はドラポーとタイイベールを追放し、湯水のように資金を投入して、死にものぐるいで開催に間に合わせた。開会式の日、スタジアムにはまだ屋根がなく、華々しい目玉になるはずのタワーは根幹だけの醜い切り株でしかなかった。
大会後もコストの膨張は続いた。タワーは結局タイイベールが計画した通りには建設できないことが判明した。設計の代替案が考案され、ようやく屋根が設置されたのは10年後のこと。不運や不具合、補修や交換が続き、コストはさらに跳ね上がった。
ロジェ・タイイベールが2019年に亡くなったとき、モントリオール・ガゼット紙は「ケベック市が負債を完済するのに30年かかった」と死亡記事に書いた。「そして40年以上経った今も、市は機能しない屋根に悩まされている」
スタジアムには大会前にその形状から「ビッグ・Oオー」の愛称がつけられたが、すぐに「ビッグ・オウ(巨大債務)」に代わった。その意味で、このスタジアムは、近代オリンピック大会の非公式マスコットとみなされるべきかもしれない。
モントリオールはけっして例外ではない。ネットで「オリンピック 廃墟」と入れて画像検索すると、さらにひどい結果に終わったオリンピックの奇抜な施設がぞろぞろ出てくる。
気合いを入れて最高のものを目指すことは決して否定されるべき姿勢ではない。でも、だからといって「過去のもの」を「使えない遺産」と無意識に決めつけることは危険きわまりない。経験を無意識に軽視するコストは、金銭的にも時間的にも高くつくのだから。
<本稿は『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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