運のいい人が「自分を粗末にせず大切に扱う」理由
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運のいい人は自分を大切に扱う
自分を大切に扱う──。
運のいい人はみな、きっと実践しているはずです。
たとえば、朝はいた靴下に小さな穴が空いていることに気づいたとします。こんなとき、運がいい人というのは「今日は外で靴を脱がないからこのままはいていってしまおう」などとは考えません。ちゃんと靴下をはき替えるのです。
あるいはひとりで食事をするとき。運がいい人は、安易にコンビニエンスストアのお弁当ですませようとはしません。心のこもった料理を出してくれるレストランに足を運ぶ、または簡単なものでも自分でつくるのです。
つまり、自分を粗末にせず、自分を大切に扱う。
他人を敬うのと同じように、自分自身を敬うのです。
以前、ナディーヌ・ロスチャイルドの 著書『ロスチャイルド家の上流マナーブック』という本を読んだとき、「ああ、やっぱり!」と感じたことがありました。
ご存じの方も多いかもしれませんが、ナディーヌ・ロスチャイルドは、もともとはフランス・パリの小劇場の女優でした。彼女は貧しい家庭に生まれ育ち、中学卒業と同時に家を飛び出し、印刷所や町工場などで必死に働きます。やがて小劇場の女優となるのですが、大人気スターというわけでもなく、だれもが一目置く美人というわけでもありませんでした。
自分を粗末に扱ってはいけない理由
そんな彼女が、あるときロスチャイルド家の中心人物のひとりであり、世界の大富豪のひとりでもあるエドモン・ロスチャイルド男爵と出会い、結婚。美と贅沢(ぜいたく)の世界を手に入れるのです。
その世界は、彼女が幼いころから夢見ていた以上のものでした。
彼女は運を味方にした女性、といえるでしょう。
その彼女が著書で述べていたのが、「あなたがまず心を配るべきなのは、自分自身です」という言葉でした。
彼女は「もしあなたがひとり暮らしなら、部屋は常にきれいに片づけるべきです。ひとりでお茶を飲むとしても、ふちの欠けたカップなどではなく、いちばん上等なカップを使ってください。家でひとりで夕食をとるなら、帰りにお花とおいしいデザートを自分に買ってあげましょう」とも言います。
つまり、自分で自分を好きになれるよう、自分自身に心を配る。自分で自分をかまうべきだ、と言うのです。
このくだりを読んだとき、「ああ、やっぱり運がいい人は、自分を大切に扱っているのだ!」と感じたものでした。
ではなぜ、自分を大切に扱うことが運のよさにつながるのでしょうか。
その人の運のよしあしは、周囲の人といかに良好な人間関係を築けるかということに大きく左右されますが、自分を大切にしている人はほかの人からも大切にされるのです。逆に、自分を粗末に扱っている人は、他人からも粗末に扱われるようになってしまうのです。
たとえば、あなたの目の前に2台の車があるとしましょう。1台はピカピカに磨かれた車で、もう1台は汚れていて車体に叩たたかれた跡がある状態です。
もしあなたが「この2台の車のうち、どちらかを棒で思いきり叩いてください」と言われたら、あなたはどちらの車を叩くでしょうか。
おそらく多くの人が、汚れている車を選ぶと思います。
自分で自分を好きになれるように
これは心理学の「割れ窓理論」(軽微な犯罪がやがて凶悪な犯罪を生み出すという理論)でもいわれていることですが、人にはある特定の秩序の乱れがあると、それに同調してしまうところがあります。
たとえばゴミひとつ落ちていないきれいな道にポイ捨てするのは気が引けますが、ゴミがたくさん落ちている道の脇なら「1個ぐらいなら捨ててもまあいいか」という気になる。すでに秩序が乱れている場所があると、さらに秩序を乱すことへの心理的抵抗が少なくなるのです。
実は、これと同じことが、人に対しても起こるのです。
自分を大切にしている人を粗末に扱うのは抵抗があります。しかし自分で自分を粗末に扱っている人には、こちらも同じように粗末に扱ってもいいような気がしてくる。身なりのきちんとした人には思わず敬語を使いたくなりますが、身なりにあまりに無頓着な人にはその気はなかなか起こりません。
つまり、ほかの人から大切に扱われるようにするには、そして、周囲の人と良好な人間関係を築くためには、まずは自分で自分を大切にする必要があるのです。
ナディーヌ・ロスチャイルドの言葉を借りれば、「自分で自分を好きになれるように、自分に心を配る」のです。
<本稿は『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>