大切なものは失いかけた時じゃないと気がつけない
冬の北海道で雪が積もった時にだけ浮かび上がる一本の道。北海道美唄市で「目の見えない精神科医」として働く福場将太さんは、その光景に人生の真理を見つめます。著書『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』よりお届けします。
見える道と見えない道
「ロードヒーティング」をご存じでしょうか?
北海道に着任して最初の冬のこと。
朝目が覚めるとやたらに寒い。そして窓を開けると、当時まだ見えていた目に飛び込んで来たのは一面の銀世界。
これが雪国かと思い知りながら、とぼとぼ最寄駅へと歩きました。そして粉雪がちらつく中、駅前の広場まで来ると、そこに全く雪がなく路面が露出した一本の道ができていたのです。
「きっと除雪業者のおじさんが朝早くにやってくれたんだな。
おかげで歩きやすいや」
そんなことを思いながら通勤バスに乗り込みました。
そして夕方、仕事が終わった私はバスで再びその駅に戻ってきました。降る雪はどんどん激しくなり、朝見た時よりも積雪は高さを増していました。
しかし……駅前広場を貫くあの道だけは変わらず全く雪がなく、路面が露出したままでした。
「除雪業者のおじさんも大変だなあ」
そんなのん気な感想でまたその道を歩いたのですが、あまりにも綺麗にひと粒の雪もなく、定規で引いたみたいに正確なライン、しかも朝見た時と道の位置が全くズレていないことに少し違和感を覚えました。
「よっぽど神経質で几帳面なおじさんなのかな」
なんてことを思いながらその夜は眠りました。
すると翌朝も変わらず大雪。
しかし駅前広場にはやっぱり全く雪がない一本の道。
さすがに気になった私は同僚に質問、そしてその道の真実を知ったのです。
それがロードヒーティング。
寒冷地域の道路や歩道に施される仕掛けで、地面の下に埋められた電熱器によってそこに降る雪を解かしていたのです。確かによく見ていると、その道の上に降った雪はすぐに消えてしまい、積もることはありませんでした。
普段は何もない駅前広場に、雪が積もった時にだけ浮かび上がる一本の道。
故郷の広島でも大学時代を過ごした東京でも見たことがなかった私は、このロードヒーティングが強く心に残ったのでした。
そこから年月が流れ、32歳で失明した私は移動には専らタクシーを利用するようになっていました。しかし久しぶりに用事でその駅に立ち寄った時、初めての冬に見たあの道のことを思い出したのです。
いつもはそこにあることなんて全然気づかないけれど、雪が積もった時にくっきりと浮かび上がる道。
ロードヒーティング。
そしてそんな道が心の中にもありました。目が見えなくなって悲しみに覆われた時、初めて見えた一本の道。
もちろん最初は見えませんでした。冷たく重たい雪に覆われて、猛吹雪に見舞われて、どう考えてもこの先歩き続けるなんて無理でした。
でもゆっくり時間をおいて、じっくり気持ちを落ち着けてからもう一度心の目を開くと、そこに道はあったのです。
ロードヒーティング。
地面の下から送られる熱が、足元の雪を解かしてくれている。その熱はきっとたくさんの人たちの優しさ、そしてやっぱり捨てきれない自分自身の情熱。
歩ける、これなら歩けそうだ。そうやって私の新しい人生は始まったのです。
北海道に来てもうすぐ20年。どうにかここまで歩けました。
正直なところ、どこまで歩くかは決めていません。10年後もかならず医師をやるぞなんて気負わずに、行けるところまで行って、そこで道が途絶えた時には焦らずまた立ち止まればいい。そうしているうちに浮かび上がる意外な道もあるでしょう。
今は素直にそう思えています。
目が見えているから見える道がある。
目が見えているから見えない道がある。
今毎日が平穏なら、人間はきっと改めて自分の生きる道を探そうなんて思わないでしょう。私もそうでした。
悲しみに覆われた時、目の前が真っ暗になった時、人間は慌てて道を探し始めます。私もそうでした。
そしてそんな状況になって初めて、自分の心の中に絶対に雪が積もらない道があることに気がついたのです。
大切なものは失いかけた時じゃないと気がつけない、というのは人間の本当に厄介なところですね。
もし今、あなたの毎日が平穏なら、それはとても良いことです。
でもちょっとした合間に、少しだけ探してみてください。
心の中のロードヒーティングを。
雪が積もらないとどこにあるのか分からないロードヒーティングですが、雪が降っていない普段でもそこにあるのは変わりません。
今の自分が持っている大切なものに気づいてください。
そうすれば、毎日がもっと輝きだすと思います。
そしてもしも今、あなたの心が悲しみに覆われているのなら、ゆっくり深呼吸してください。
意味なんてなくても、答えなんて出なくても、今はただ生きているだけでいい時間です。ゆっくりゆっくり心の中を歩いてください。
たくさんたくさん失って、いくつもいくつも奪われて、もう冷酷な雪しか積もっていない。その景色の中に、細くてもうっすらでも、雪が積もっていないロードヒーティングがかならず見えてきますから。
未来はきっと、その道の先にあります。
ロードヒーティング。
そんな道が心の中にもある。
悲しみに覆われた時に浮かび上がる
未来へ繋がる道。
だけどできるなら、
雪が降る前に探してみよう。
<本稿は『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
福場将太(ふくば・しょうた)
1980年広島県呉市生まれ。医療法人風のすずらん会 美唄すずらんクリニック副院長。広島大学附属高等学校卒業後、東京医科大学に進学。在学中に、難病指定疾患「網膜色素変性症」を診断され、視力が低下する葛藤の中で医師免許を取得。2006年、現在の「江別すずらん病院」(北海道江別市)の前身である「美唄希望ヶ丘病院」に精神科医として着任。32歳で完全に失明するが、それから10年以上経過した現在も、患者の顔が見えない状態で精神科医として従事。支援する側と支援される側、両方の視点から得た知見を元に、心病む人たちと向き合っている。また2018年からは自らの視覚障がいを開示し、「視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる」の幹事、「公益社団法人 NEXTVISION」の理事として、目を病んだ人たちのメンタルケアについても活動中。ライフワークは音楽と文芸の創作。
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