「正しい努力と動機と環境がそろえば、勉強は必ず昨日よりできるようになる」“ビリギャル本人さやか”が考える「地頭がいい」の定義
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(通称、『ビリギャル』)著者・坪田信貴さんと“ビリギャル本人さやか”さんによる対談連載(全3回)の第2回(坪田さんは海外からオンラインで参加)。今回は「どうやったら勉強ができるようになるか」について、親や日本社会などの学習環境から深堀りします。
(司会:武政秀明/Sunmark Web編集長)
◎第1回(「親が子どもにネガティブなことを言うのは勉強に悪影響を与えます」“ビリギャル本人さやか”が自分の体験を交えて断言する理由)はこちら
親が「子どものため」に生きるのは正しいか?
――子どもの教育に対する、親の果たす役割についてお二人はどう考えていますか。
坪田信貴(以下、坪田):親御さんって、基本的には必ず子どもさんの将来のことを考えて「こうしたほうがいい」とは考えていると思います。例えば習い事とかも、子どもたちの選択肢を増やそうとか、健康のために……とか。そうやって結局は子どもたちのためにやっていると思うんですが、視点を本当の意味で変えてほしい。
お母さんたちも、「自分たちのために」って考えていいと思うんですよ。例えば、子どもが将来家庭を持ったとき、「お母さんに会いたいとは思うけど、お父さんに会いたいってなるのかな?」っていうことが起きたら、それって悲しいじゃないですか。あなたの求めている子育てって、それなんですか? って。
例えば、子どもがアイビー・リーグ(アメリカ合衆国北東部にある8つの名門私立大学の総称)に入って、しかも社会的に有名になってベストセラー作家になれば、「すごいですね、お父さん!」って言われるじゃないですか。でも、その娘は自分に懐いてくれていない、話もしてくれない……これって本当に、お父さんにとって、望んでいた子育てなのかな? って思うんですよね。
ビリギャル本人さやか(以下、さやか):うん、そうだね。
坪田:子どもにとっても、親に相談できない、親に会いたくない、二度と話したくないっていう人生って、損をさせられてる気がしますよね。親が自分の人生をいちばん楽しんでいる姿を見せるのが、本当の意味での子育てだと思うんです。仕事を頑張るでもいいし、趣味を一生懸命やるのでもいい。“学びの旅”を親自身がやっているのを見て、それが「素敵だな」ってなれば、子どもだって嫌でも同じことをするじゃないですか。
さやか:坪田先生がおっしゃったことを、私の新刊『私はこうして勉強にハマった』(ビリギャル本人さやか・著/サンクチュアリ出版)の「親御さんへ」ってところに書いています。私は坪田先生に会ったとき、「あ、こんなおもれえ大人いるんだなぁ」って思ったんです。で、私は正直、自分の親を見て「こういう大人になりたい」とは思わなかった。
あ、お母さんみたいなお母さんになりたいとは思ったんです! でも、お母さんみたいな生き方がしたいかというと、また違う話。ああいう、子どもを信じられるお母さんにはなりたいとは思ったけど、やっぱり母も典型的な日本人のお母さんで、子どものために我慢をして、子どものために献身的に、自分の人生より子どものために……って人。
――自分を後回しにしても子どものために、と。
さやか:本当に、レストランで頼んだごはんが美味しかったら、一口食べて残りをぜんぶ子どもたちにくれるような母でした。私、それがすっごい嫌だった。「え、なんであーちゃん(母親)、自分で食べないんだろう?」って。
子どもたちだって、お母さんに幸せでいてほしいから、おいしかったら自分で食べてほしいんだよ。お母さんに幸せでいてほしいのに、どうしてあーちゃんはいつも私たちのことばかり優先して、幸せじゃないように見えるんだろう? っていつも思っていましたから。
――子どもたちだって、親に幸せでいてほしいですから。
さやか:そう。なのに、日本の親御さんって「子どもが幸せだったら自分の幸せはもういい!」って思っている節がある。けど、それって子どもたちにとっては不幸だと思うんですよね。余計なお世話だから、やめてほしくて。
――坪田さんがおっしゃるように、親にも自分の人生を全うしてほしいと。
さやか:そうです。それを見て、子どもたちは勝手についてくるから。「教育って憧れだ」って先生がよくおっしゃるのは、まさにそういうことだと思っているんです。
親が憧れられる存在でいてほしいし、親が憧れられるロールモデルだったら、こんな最高の学習環境はないと思うんですよね。
「地頭がいい・悪い」に振り回されて、勉強を放棄する子どもたち
――日本中の親たちが、自分の子どもたちのことを、さやかさんのように「勉強ができる」子にしたいと思っています。
さやか:私、「地頭がいい」って世界一言われてる謎の人だと思うんですよ。なぜなら、「地頭」って言葉、日本語にしかないんで。で、世界一言われてる身としては「地頭って何?」って思いますよね。
――たしかに「地頭」って何か、よくわからずに使っている節があります。
さやか:私は慶應大学に受かるまで「地頭悪い」って言われてたのに、受かった瞬間に「地頭いい」ってなった。それに対して「根拠なかったやんか!」って思いました。
先生にもあらかじめ言われてたよね。「もし受かったら、地頭いいって言われるよ。で、受からなかったら、ほらどうせ無理だった、地頭悪いんだからって言われるよ」って。それ言われたとき、「ほんと先生かわいそうな人だな。冷たい人間だな。坪田先生って友だちいねえんだなぁ」って思ったけど、結果先生が言った通りになったんで、やっぱ先生すげえなって(笑)。
――(笑) 地頭とは何なんでしょうね……。
さやか:私なりにいろいろ調べた結果、「地頭」って言葉を最初につくった人たちは「地頭=思考力」と定義していたようなんです。コンサルの人たちが初めて使ってるっぽくて。コンサルの人たちって問題解決スーパー人間でしょ? 予期せぬ課題が出てきたときに、どう臨機応変に解決するかってことなので、知識とか暗記力のことではなくて、問題解決能力が高い人たちのことを「地頭がいい」って言ったっぽいんですよね。
つまり、考える力。スキルや知識に頼らずに、どう考えて問題を解決するかを地頭だと言っているので、世の中の人たちが言っている「地頭」がだいぶずれてるなって思ったんです。だって、「慶應行ったから地頭いいですね」って、こちらは暗記しまくって入ってるだけなので。
――「地頭」の定義を統一しなければなりませんね。
さやか:はい。本来、正しい努力と動機と環境が三拍子そろえば、勉強は必ず昨日よりできるようになるんです。なのに「自分は地頭が悪い、だから努力する意味がない」と信じて何もしない子どもが爆誕しまくっているので、けっこう罪は重いと思っているんです。
そういう意味では私、地頭は悪いです。思考力なんてないし、ってか暗記力もそんなにない。けど、地頭に近い非認知能力とコミュ力。これだけで結構来たと思っています(笑)。
「早さ」への固執が子どもの才能をつぶす
坪田:そもそも「地頭」って、英語でなんて表現するんだろうと思って調べてみたら、「fast learner(物覚えが良い人、習得[飲み込み]の早い人)」、「excellent comprehension(理解力が高い人)」でした。まさにコンサルの人たちのように、新しい業界の外観をサッと理解し、課題や解決策を早く検討して実行に移せれば「地頭がいい」わけですね。
――まさに、一を聞いて十を知るみたいな。
坪田:僕はよく、「坪田先生って学習指導で失敗したことないんですか?」と聞かれるんだけど、「失敗って何?」って詳しく聞いてみると「現役合格させられないこと」だったりする。でも、現役合格かどうかなんてどうでもよくて、100回やって失敗したけど、それでも101回目で成功したいって思えるようなものを見つけることのほうが大事じゃないですか。現役合格させるのはめちゃくちゃ簡単で、志望校の偏差値を低く設定すればいいだけです。
その価値観って結局、「時間」なんだなと。みんな、「早めがいい」って思ってるんだなと、今の話を聞いていて思いました。
――早さが価値なんですね。
坪田:でも世の中って、10年経ってすごい伸びたみたいな人って現実にいて、そういう人をみんな「大器晩成」って呼んだりしますよね。つまり、時間が早いほうがいいっていう前提が価値観としてあって、それから外れて異常に伸びた人は大器晩成って言われるんでしょうね。
例えば、サッカーの長友佑都選手は大学時代に補欠で、スタンドで応援団の太鼓を叩いていたんです。その人が最終的に日本代表をめちゃめちゃ長くやって、当時のセリアAの不動の左サイドバックになるまで成長した。
――まさに、サッカー界で大器晩成って言われていますね。
坪田:きっと時間をあまり意識していなかったのが長友さんで、それが最終的にうまくいったから大器晩成って言われているんでしょう。
同じように後々、大器晩成っていわれたかもしれないのに、みんなの時間の価値観のせいで埋もれていってしまった人が、実はたくさんいるのかなって思いますよね。実は後々、アインシュタインみたいな天才になったかもしれないのに、小学校の時点で「あなたは勉強が得意じゃない」「あなたは魚じゃないから海に入るべきじゃない」と思い込まされてしまった人が、もしかしたら世の中にはいっぱいいるんじゃないかな。
――もったいないことです。
「勉強を頑張れ」から「Let‘s learn!」へ
坪田:アメリカ人は「こんにちは」って言えたら「I can speak Japanese.(私は日本語が話せます)」と答える。でも日本人は、「Hello.」以上に英語がしゃべれても「私は英語が話せません」と答えるんです。
だから、日本人はみんな「私は勉強できないです」と言うけど、そんなわけじゃん! って思うんですよね。「3×4」って聞かれたら、ほぼすべての日本人の大人は「12」って即答できるでしょ? でもアメリカ人には、答えられない人が4割以上いる。
さやか:それはそう。
――識字率もそうですよね。日本の学習環境の基準が高いってことですね。
坪田:つまり、「勉強ができない」っていうのは思い込み。それを言ったら、僕だって勉強できないですよ。日本人って結局、開成とか灘を出て東大の文一を首席で卒業して、弁護士になったって人じゃなければ「自分は勉強できない」って思ってるきらいがある。たぶん、一番じゃないと「できない」「できるって言っちゃだめ」みたいなところがある。
さやか:日本人が言う勉強って、何かを早く効率的に覚えることだよね。私それ、できないというか嫌いなんですよね。あんまりしたくないんです。だけど、何か新しいことを知って、わくわくして学ぶことはすごく好きです。だから、「勉強好きなんですね」とか言われると「え、別に」って言いたくなっちゃう(笑)。
「勉強好きになったんですねぇ」「よかったですねぇ」とか、よく言われるんですよ!「いやいや、勉強自体がめちゃめちゃ楽しくなったと思ってるでしょ! そんなことねえからな」って。「ぜんぜん楽しくねぇわ、あんなわけわかんないやついろいろ暗記させられて、勉強なんかできればやりたくないわ!」って思います(笑)。
――「勉強」という言葉のニュアンスもあるのでしょうか。
さやか:日本人の「頑張る」とか「努力する」って言葉が「我慢する」に近いんですよ。なんか「耐え忍ぶ」みたいなニュアンスがものすごく強い。
その定義の努力だったら私、努力できない人なんですよ。自分の興味がないものをひたすら受けるって、私できないんですよ。だから、学校の授業が受けられなくて困っていました。私、人の話が「つまんないなー」と思った瞬間、ほんとに聞けなくなっちゃいますから。私は自分に興味がないものをひたすら耐え忍び、自分の感情をコントロールして長期間向き合うってことができないんです。
――日本人が一般的に言う「努力」はできないわけですね。
さやか:でも、モチベーション理論を学んで「それはあまり正しくない」とわかったんです。坪田先生はモチベーション理論を学んで知っていたから、私にフィットしたけど、学校の先生たちは「ただ頑張れ!」「意味のないことをやることが頑張るということだ!」「みんな嫌なんだからお前も頑張れ!」って言うでしょ。それは無理なんです。本当に。
それが頑張るとしたら、モチベーション理論に反することを日本人は頑張ってやっているので、それで「自分はできない」「頑張れない人間なんだ」「努力ができない人間なんだ」と思い込んでるのは、定義のせいだと思ってるんですよね。
坪田:本当にその通りだよね。そもそも、「勉強」って「勉める」「強いる」だよ。
さやか:本当だよね。地獄じゃん。怖いよぉ、やめよ~(笑)。
坪田:本来は「学習」だし、「learn」であるべき。ばびぶべぼ……のべ、音からして強い。なんか傷つけられる気持ちになるよね。
言葉で「勉強を頑張れ」っていう時点で、ムチを背中に打たれてる感あるよね(笑)。「Let‘s learn!」であるべきだよね。Let usだから、一緒にやろうよ、学ぼうよという感じ。発想を変えたほうがいい。それは大人側も、一緒に学ぶということ。
――ビリギャルだったさやかさんを教えた当時の坪田先生もそうでしたか。
坪田:当時は「さやかちゃんの表現おもろいんだよな~」「この子はどういうところにモチベーションを感じるんだろう」って、さやかちゃんに興味を持ちました。で、一歩踏み込んで、「この子にはどういうてにをはを使えばいいのかな」って考えてみる。「これ『を』じゃなくて、これ『こそ』って言えばよかったかな」とか、いつも考えていた。
自分の表現によって、相手の表情って変わるじゃないですか。僕の発言でさやかちゃんが「もっと友だちとダラダラしゃべりたい」ってなっちゃったのか、「すぐ席に戻って覚えてくる!」ってなるのか、当時いつも言葉選びを気にしてしていたし、「さやかちゃんにはこの言葉が響いたけど、じゃあ、他の生徒はどうなのかな?」ってトライアンドエラーを繰り返していました。勉強から学習に転換していかなきゃいけないんでしょうね。
学びの意味――魅力的になるために勉強がある
――「学ぶ意味」については、どう考えますか。
さやか:坪田先生がいちばんよく知っていらっしゃると思いますが、私の原動力は「人」なんです。私は人がすごく好きで、先生が心配しちゃうくらい、すぐ人のこと好きになっちゃうんです。それ異性としての男性のことだけじゃないですよ(笑)なんでもね。まさに「first believer(最初に信じる人)」って感じで、「はやっ!」っていうくらい、すぐ人に心を開いちゃうんです。
私の人生を振り返ってみても、ターニングポイントは人との出会いでした。坪田先生との出会いもそうです。先生と出会ってバーッと世界が開けた。だから、もっともっとおもろい人と友だちになりたいです。
――そういう意味で、留学は刺激的でしたね。
さやか:はい。「へ~、インド人ってそういう感じかぁ!」とか、文化が違うだけですごくわくわくしたし、日本で起き得ないことが電車で起きただけでも「うわ、すげえの見ちゃった!」って思うし、留学は私にとってすごくいい時間でした。もう、すべてが新鮮だったので。
私は学べば学ぶほど、いろいろな視点が広がって世界を広げられると思っているので、もっといろんな人に出会うために最短の道が「学ぶ」ことだと思っています。知識もそうだし、経験もそうだけど、学びってもっと大きなことだと思っています。
坪田:僕は「学びとは何か」って聞かれたら、人を魅力的にすることだと思います。教育の本質は「憧れ」だと思うんだけど、じゃあどういう人に憧れるかっていうと、会うたびに新鮮な人だなって。ずーっと同じ話してる人って、最初はいいんだけど、だんだん嫌になりませんか? でも、毎回会うたびに新しい話をしてくれて、しかもそれが面白い人って、何度も何度も会いに行きたくなるでしょ?
勉強の弊害ってまさにテストのために勉強させて、そこに何の感情も浮かぶ余白を与えていないから、生涯にわたって意味をなすものをあんまり学びとして得られていないんですよ。
――日本の教育が「勉強」偏重なんですね。
さやか:そう。「勉強」にあまりに重きが置かれていて、「学習」できる余白がなかったから、子どもたちが自信もなくしていくし、どんどん挑戦するのも怖くなって……ってなってるのかもしれないですよね。
坪田:「勉強しようよ」じゃなくて、「魅力的になろうよ」っていう感じにしていければいいんだろうね。
(構成:吉原彩乃/編集者、撮影:今 祥雄、編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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