与太郎、一八、若旦那、権助…落語をたしなむ人が押さえている定番メンバーの横顔
日本の文化や日本人特有の価値観を知り、人間の本質を学び、人の心をつかむ術が身に付く――。ビジネスパーソンとして、たしなんでおいて損はないのが「落語」です。
その落語は「枕」「本題」「オチ」が基本構成ですが、このほかに知っておきたいのが登場人物。『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』から、お届けします。
登場人物を知っていれば落語は100倍わかりやすくなる
「落語の登場人物と申しますと、たいがい決まっております。八っつぁん熊さん、それに横丁のご隠居、人のいいのが甚兵衛さん、バカで与太郎という、このへんが大立(大事な人物)……」
これは、古典落語でよくある「枕」の一節です。フレーズ中に出てくるキャラクターたちは、落語界の定番メンバー。噺によっては、各キャラクターの年齢や職業などが、微妙に異なることがありますが、一つの噺に通常2〜5名のメンバーが登場します。落語家は、それを一人で演じ分けることになります。
まず、よく知られているのは「熊さん(熊五郎)」と「八っつぁん(八五郎)」でしょう。
威勢のいい江戸っ子のコンビで職業は大工であることが多いですが、「妾馬(めかうま)」という噺では例外的に、八っつぁんが武士に取り立てられます。
そして、天然ボケで愛嬌いっぱいの青年「与太郎」に、お人よしの「甚兵衛さん」。
ガミガミ型の年長者としては、貧乏長屋の「大家さん」。博学なお年寄りの「ご隠居さん(「岩田の隠居」と名字がつくこともあります)」。
田舎者の代表として描かれる「権助(ごんすけ)」さんに、「粗忽者(そこつもの)」(おっちょこちょい)、「お殿様」、女性キャラとしては「女中のお鍋」がよく登場します。
また「若旦那」と、それにまとわりつく「太鼓持ちの一八(いっぱち)」というコンビも欠かせません。
これらの人物相関図を分析すると……。
「ガミガミ型」の「大家さん」と対比するかのように、天然ボケの「与太郎」が存在しています。
「ネチネチ型」の「若旦那」に常に絡むように、「太鼓持ちの一八」が配置されています。
つまり落語の世界では、性格の違いや対立によって、ドラマが自然に生まれるようになっているのです。
特にユニークで知っているとより深く落語や日本人の価値観を理解できる人物について、具体例を挙げながら、紹介していきます。
最重要人物「与太郎」は哲学的側面を持つ〝愛されキャラ〟
与太郎は、落語で最も愛されているキャラクターの一人です。
彼は、もう成人といってもいい年齢に達しています。それにもかかわらず、頼りなく、世間一般の常識には無頓着で注意力も散漫なので失敗ばかりしています。それどころか、失敗しても気にすることなく、同じ失敗を何度も繰り返します。定職に就いていない、という設定も多くあります。もしかすると、せわしない現代であれば、与太郎は生きづらさを感じるかもしれません。でも、落語の世界ではいきいきと、ひょうひょうと生きています。
与太郎が登場する噺は非常に多く、それらを「与太郎噺」と称します。
多くの落語家は、枕で「与太郎=バカ」と定義して、本題に入ろうとします。
しかし、師匠談志は「与太郎はバカではない」と正反対の持論を展開していました。
確かに与太郎は噺の途中で、本質を突いたセリフをよく口にします。
「かぼちゃ屋」では、荷を担ぎながら「世の中、売る奴が利口で、買う奴がバカなんだなあ」と「経済の本質」をズバリ言い当てます。
「道具屋」では、壊れた時計を買わされそうになった客が「いらねえよ、こんな無駄なもの」と拒むのを聞いたとき、与太郎は、次のようになだめます。
「そんなことないよ。壊れた時計だって1日に2度は合うよ」
与太郎は時々、哲学者のように含蓄の深いセリフを吐くのです。
また与太郎は、どの噺にも「傍観者」のような立ち位置で、会話にスムーズに入ってきます。
自ら積極的に会話に入るという設定ではありません。どちらかというと「あ、与太郎が来やがった」などと声をかけられる形で自然と会話に入っていくのです。ですから、「噺の客観性が与太郎で担保される」とも言えるのです。
常に俯瞰(ふかん)的な視点で世の中をシビアに見つめている与太郎だからこそ、常識人から「バカ」と誤解されてしまう。与太郎は、そんな〝哲学者的〟な側面をもつ人間なのです。
フリーの売れない芸人「一八」と金持ちの道楽息子「若旦那」
江戸時代には、お座敷などで客の機嫌をとり、芸者などとともに芸を見せて場を盛り上げる「幇間(ほうかん)」という職業がありました。さらにその幇間よりも格下の「野だいこ」という人々もいました。
幇間は師匠に付いて芸を磨いてきたのに対し、野だいこは見よう見まねの素人芸に過ぎません。
落語の世界では、「一八」という「野だいこ」がよく登場します。「人に見せるような芸もないのに、金づるを探してただただ歩き回っている」というキャラクターです。
この「一八」とペアになるようにセッティングされているのが「若旦那」です。一八は、若旦那につきまとい、昼食をおごってもらうなど、とにかくお金を出してもらおうとします。
この「若旦那」は、落語の世界では、「父親である大旦那を怒らせてしまい、勘当となっている」というケースが非常に多いです。今風に言うと、「金持ちの道楽息子」です。
よく一八にたかられる若旦那ですが、ゴマをすられたりするとやはり気持ちがよいのでしょう。一八をからかいながらも、上手にあしらいます。
一八は、若旦那に逆らいません。若旦那という獲物を発見すると、扇子をパチパチさせながら、嬉々として近づいてゆきます。
一八は、話をひたすら若旦那に合わせ、なんとか価値観を一致させて「琴線」に触れ、最終的には「金銭」をひねり出そうと日々努めています。コンビの主導権は、やはりカネを出す側の若旦那にあるので、一八からの〝攻撃〟はどうしてもソフトになります。
面白いことに、若旦那は一八に対して「無茶ぶり」をしかけることがあります。それが、「野だいこ」が登場する「幇間話」の特徴です。
「幇間話」の一つ「山号寺号(さんごうじごう)」という噺を紹介しておきましょう。
「金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)」「身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)」「定額山善光寺(じょうがくさんぜんこうじ)」など、お寺には、たいてい「△△山」という山号がつきます。
一八は、つい「どこにでも山号寺号はある」と言い切ります。
すると若旦那が、まるで揚げ足を取るかのように、「じゃあ、お前ここ上野広小路の山号寺号を探してみろ」と「無茶ぶり」をします。
田舎者の代表格「権助(ごんすけ)」
「権助」は、田舎者の代表格として登場します。「飯炊き」という下男扱いではありますが、その名を冠した「権助魚(ざかな)」と「権助提灯(ちょうちん)」という噺では、〝旦那の浮気〟という大きな秘密を担う重要な役どころです。
「権助魚」では旦那の浮気のアリバイ工作に加担し、家を出てまだ十数分しか経っていないのに、「柳橋で芸者幇間をあげてどんちゃん騒ぎをし、日和(ひより)がいいから網を打とうということになり、隅田川の船宿から船を出して網打ちを楽しんだ」などと、一瞬でバレるような嘘を堂々と女将さんに言います。
挙げ句の果てに、隅田川では絶対に獲れないニシン、スケソウダラ、メザシ、タコ、そして蒲鉾(かまぼこ)などを証拠の品として、女将さんの前に出します。
しかし権助は、旦那にどんなにバカにされても落ち込みません。
「権助提灯」では、旦那が女将さんと妾(めかけ=愛人のこと)の家を行ったり来たりして、その度に旦那は権助に提灯の支度をさせます。旦那が何度も提灯の支度をさせるので、権助は提灯の火を消さないで待っていました。しかし、旦那は商人なので無駄が大嫌いです。そこで、権助に「無駄なことをするな!」と怒りました。すると、権助は「自分で言ってて気がつかねえか? 女一人で済むところを、もう一人妾をおいておく。これを無駄と言う」と旦那を諭します。
また「権助魚」では、自分の履物しか出さず、旦那から叱られたとき、権助は見事な切り返しで、旦那をギャフンと言わせます。
「太閤秀吉さまは、ご主人の信長公の草履(ぞうり)を懐に入れて温めていたという忠義者だぞ! だから、ああやって天下を獲るまでになったんだ」
「お言葉を返すようですがな、旦那。オラ、天下を獲るなんていう気持ちはサラサラねえだよ!」
このように、落語界の定番キャラクターは、笑いの才気溢れる人間ばかりです。
ただし、「長屋の家賃を何年も滞納している」など、欠点を持ち合わせていることも少なくありません。
「優れた人間」でも、「意識高い系」でもない、業にまみれた〝庶民代表〟。それが落語界の定番メンバーなのです。
<本稿は『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shuttestock
【著者】
立川談慶(たてかわ・だんけい)
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