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「手や足を動かしている人にはかなわない」ブックデザイナー佐藤亜沙美さんが歩んできた壮絶で痛快すぎる仕事人生

表紙を見て思わず手に取ってしまったり、触れた質感や重みなどから内容への期待が高まったり――。本という「物体」には不思議な力があります。その源泉となる「装丁」を作り出すのがブックデザイナーです。

今回お話を伺ったのは、佐藤亜沙美さん。19歳でキャリアをスタートし、広告制作会社、出版社を経て、ブックデザイナー祖父江慎(そぶえしん)さんの事務所・コズフィッシュに在籍。2014年に独立して、現在は第一線で活躍しています。季刊文芸誌「文藝」、カルチャー雑誌「クイック・ジャパン」をはじめ、話題書のブックデザインを多数手掛ける彼女のキャリア、仕事術、装丁へのこだわりとは。全3回連載でインタビューをお届けします。

(聞き手:武政秀明/SUNMARK WEB編集長)

ブックデザイナー 佐藤亜沙美

“背水の陣”の覚悟で選んだデザインの道

武政秀明/Sunmark Web編集長(以下、武政): 佐藤さんは現在ブックデザインの第一線でご活躍されています。そもそも、デザインの世界に入られたきっかけはなんだったのでしょうか。

佐藤亜沙美/ブックデザイナー(以下、佐藤):19歳のときになにか手に職をつけなくてはと思ってデザイナーになることを決めました。「やりたいことを、やりたいようにやろう」と考えたときに手もとに自分の強みとしてあったカードが、絵を描くとか、プランを立てるとか、常識を疑うといったことだったんです。

それまで積み上げてきたものもなかったので、後ろは崖。デザイナーは、すごくリスクを取って選んだ道です。これがものにならなければおしまい、人生詰み、みたいな感じで。

今思うと甘い考えですが、デザインは実力主義と聞いていたので、気合いと根性と野心があれば、もしかしたら突破できるかもと若気の至りで思ったのもあります(笑)。

武政:まさに背水の陣ですね。19歳までの佐藤さんは、どう生きてこられたのでしょうか。

佐藤:私は機能不全家庭で育ちました。とにかくほっとかれて、常に誰かが泣いたり怒ったりしているような家庭環境。母も、祖母も、“家庭にロックされている”と、子どもながらに思っていて。中学校のときには「仕事をすることに協力的なパートナーを見つけて、経済的に自立するんだ!」と宣言していたので、その頃にはもう、「なにかに縛られる人生嫌だな」と思っていたんでしょうね。

ずっと、「手に職をつけることと経済的な自立」が最大の目標だったんです。そこを駆け上がる手段が、デザインだった。根性論というか、昭和感がすごいですよね(笑)。

武政:まさにド根性ですね。小さい頃からデザインに興味があった?

佐藤:私たちきょうだいはファミコン世代で、姉と弟はゲームが得意だったんですけど、私はまったくできなくて絵を描く感じに。

私は真ん中っ子で年子の弟がいたこともあり、人一倍頑張らないと親から注目されない環境だったんですが、「絵を描くと褒められるぞ」と気づいたのもあります。みんなが「上手にやろうね」という学校の世界で、ときどき「面白い絵を書くね」と褒めてくれる先生もいたことも大きかったです。

武政:定石通りではなく、常識を転換するのが面白いと感じていたわけですね。

佐藤:はい。今の思考回路が生まれたのは、そこからなのではと思っています。

華やかな広告業界から、狭き門をくぐって「装丁」の世界へ

武政:その気質を活かして、デザイナーの道へ。
 
佐藤:まず広告制作会社に入りました。当時はスキルがなかったので「なんでもします!」という感じで自分の作品や実績をまとめたポートフォリオを1冊持っていろんなデザイン事務所に当たり、「とりあえずいてもいいよ」と言ってくれた広告制作会社に拾ってもらった感じでした。
 
ただ、そこは2年で辞めると決めて入社して、ソフトの使い方や、現場がどう回っているのか、縦横の関係がどうなっているかなどの実務を中心に学びました。とにかく、「使える人間」になりたかったんです。
 
仕事をしているうちに、広告がどういう仕組みで成り立っているのかわかりました。華やかな世界ではあると思うのですが、資本主義的な流れに乗っている感じが私の気質には合わなくて……。表現の領域上、自分が得意なのは間違いなくデザインなんだろうけど、「ここじゃない気がする」と感じました。

武政:なぜ、最初から2年で辞めると?

佐藤:22歳で大学を卒業して世に出てくる人たちと戦う武器として「知識や経験、スキルはあります!」っていう手札を集めて、より使える人間になっておけばサバイブできるかなと。

だから、職場の方たちと食事とか、ぜんぜん行きませんでしたね。一人で淡々と、「手に職をつけるぞ……」と思っていました(笑)。

武政:かなり意識が高いですね。

佐藤:当時は毎日、お昼休みの1時間を使って書店さんに行っていたんですけど、そこでブックデザインの仕事を知りました。まだ「ブックデザイナー」とか「装丁家」とかで特集が組まれるような時代ではなかったけど、奥付を見ると「装丁」「装幀」「ブックデザイン」というクレジットが入っていて。そこで、「祖父江慎」さんという名前を知りました。

武政:それが後につながってくるんですね。

寝る間を惜しんで熱意を伝え続け、祖父江慎さんに弟子入り

佐藤:当時、ネットやSNSでの求人もまだ主流ではなくブックデザインは本当に狭き門で、出版社の社内デザイナーか、個人事務所の求人が出るのをただひたすら待つしかなかったんです。良い装丁を見つけたらその版元の出版社にデザイナーの連絡先を聞くなどしてアタックしていたりしていたのですが、後者は無理ゲーだなと思い、デザイナーの求人が出ている出版社さんを手当たり次第探して。自費出版系の出版社に入社することができました。

武政:そこから装丁の世界に。

佐藤:その出版社には2年間いたんですが、主には本がどうやって作られているか――印刷所への入稿の仕方、紙の決め方などを学び、なんとなく制作の流れをつかむことができました。

個人プレイが中心の現場で、「好きなように編集者とやり合ってね」という感じだったので、デザインプランはものすごくこだわって立てていましたが、どうしてもスキルが追いつかない。制作途中で頓挫して“置きに行く”デザインに収束することが多発してしまい、「何が足りないんだ?」と悩みました。

書店で新しい本が出てはカバーをめくって、デザインをチェックして……「祖父江 慎」の名前が、常に頭の中にありました。

祖父江さんの講演会に通ったり、インタビューを読んだりする中で「ああ、私がやりたいことを、この人はずっと前からやっている。この人なら、私の知りたいことを知っているはずだ」と。カチッと音がするように頭の中でパズルのピースがハマって、「私は何がなんでも、この人の下で働く!」と勝手に決めました(笑)。

武政:そこから祖父江さんへアプローチされたわけですね。

佐藤:正規のルートでは入れなさそうな事務所で、事務所の電話番号も公表されていなかったので、講演会に足しげく通い、楽屋を見つけてノックする。関係者に止められても、「こないだちょっと名前を覚えてもらったので、ご挨拶したくて」とか言って突破して(笑)。「なんでもやります!」と1年半くらい粘りました。

武政:祖父江さんからは、いぶかしがられなかったんですか。

佐藤:最初はやっぱり、「なんかめんどくさそうな人がきたな」って感じはありました(笑)。でもそこはやっぱり、若さで。「君、また来たのか!」「そこまで言うなら……」って感じでしたね。

その頃のことを知り合いに聞くと、「いつもリポビタンD飲んでたよね」と言われます(笑)。皆さんが美大とかで技術を積み上げている分、どこかでギュッとやり込まなきゃと思っていたんですよね。

武政:人の心を打つには、そこまでやって初めて……と感じます。

佐藤:当時は自費出版の会社で私がブックデザインした本を2~3冊、祖父江さんのところへ持って行って「う〜んイマイチだね」って講評してもらって帰ってくる、というようなことをやっていました。それを、何回も何回も何回も繰り返す。

「何が足りないんですか」と聞くと、「そういうレベルではない」と(笑)。「手癖でやっちゃっているから、何がどうとかっていう以前の問題だ」と、わりと辛めな講評をされていましたね。

武政:そして人員に空きがないから、1年半、入れなかったわけですね。

佐藤:はい。コズフィッシュで制作していて完成まで11年かかった『祖父江慎+コズフィッシュ』(祖父江慎・著/パイインターナショナル)という作品があるんですが、当時はその制作でとにかく人手が足りなかった。ときどき事務所に行って手伝っていました。

そうして先輩デザイナーが抜けるタイミングでやっと声が掛かって、そこから8年間お世話になりました。とにかく千本ノック的なお仕事をして、揉まれに揉まれて、2014年に独立して今……という感じです。

武政:壮絶ですね……情熱がすごい!

佐藤:当時は寝る間も惜しんでやっていました。素敵な勘違いですけど、「何者かになりたい」と思っていたので、思いついたプランはメモして、思いついた言葉は書いて……という感じでした。「なんで具現化しないんだろう?」「なんで形にできないのかな?」 って、すごく悔しかったですね。

コズフィッシュに入って「デザインの常識」が崩れた

武政:イメージを具現化できるようになったのは、いつ頃ですか?

佐藤:独立した頃ですかね。祖父江さんノータッチで、私のプランが通った頃。在籍6年目でしょうか。
 
それまではいろいろ言われて、出し戻しを重ねていました。デザイン的に甘いところがあると必ず突っ込まれるので「悔しいなぁ」と思いながら直して、直してみると「やっぱり、これが正解だったなぁ」と思って、また悔しくて……という感じでした。

武政:その壁を越えたと思う瞬間は。

佐藤:コズフィッシュでは入社して3年目くらいまで、世間的な“デザインのセオリー”みたいなものを取っ払われるんです。例えば、「センター揃えはだめ」「角を埋めるな」「ここに空間をつくれ」とか、そんな感じで。一般的に「美しい」といわれるデザインのロックを祖父江さんに外されて足もとがぐらぐらになり、よくわからなくなった期間が3年くらいありました。

武政:さらに、文字組の世界へ。

佐藤:はい。「本は文字のミルフィーユ的な集積体だから、文字組を考えろ」の期間がまた3年くらいあって、そこからプランを組み立てる期間に入っていきます。

祖父江さんのお名前でお仕事が来ていたので、プランに関してはある程度リスクテイクをさせてもらえる環境で、多少挑戦的なプランでも祖父江さんを通せば版元に提案できるのが大変ありがたかったです。「これ、何万円の本にするつもりですか?」みたいな、今考えるとひやひやもののプランもありました(苦笑)。

武政:そういうものを出し続けて、跳ね返ってきたものを自分の中で受け止めて。

佐藤:はい。祖父江さんに「このプランだと、定価1万円になるって言われました」と報告すると「でしょ」みたいな(笑)。

プランを出し続ける中で“制約”ってものがあって、その範疇で自分なりの遊びポイントを1カ所つくればいいんだなというのがわかった。制約があることで、「この本の中で本当に遊びたいポイントはどこかな?」って絞れるんです。

武政:まったくのフリーダムでやるよりも、制約があったほうが面白いものがつくれることがわかったと。

プランニング&交渉のカギは「手描きのメモ」が握る

佐藤:プランを立てるときは、祖父江さんも、事務所の先輩も、とにかく手書きでやっていましたね。最初からデータで取りかかると「レイアウター」になってしまうんです。

武政:どこに何を置くか、脳が「きれいに整えよう」としてしまう、ということですね。

佐藤:自分の頭の中にあるものをとにかく手書きでアウトプットして「“面白ポイント”はなんだ?」っていうのを書き出して、「この中で一点だけお金をかけるとしたら、ここだ」っていうのを視覚化して、そこで一点突破しろ! 他は捨てろ! っていうのを延々とやりました。

たしかに、もりもりに豪華にすると贅を尽くした感じになってしまって、読者に面白さが伝わらないんですよね。なので、「ここだけは絶対遊ぶ! あとは削ぎ落す」というのをやって、「面白ポイントはこれ」と決めてフォーカスするようにしました。そのうちに「私がこの作品でやりたいことはこれだ!」という感じで、その作品にとって何が大事なのか考えられるようになっていき、やり方がシャープになっていきました。言うなれば、「1作品、1遊び」みたいなことですね。

武政:セオリーが見えたんですね。

佐藤:例えば、『ファッションフード、あります。―はやりの食べ物クロニクル1970‐2010』(畑中三応子・著/紀伊國屋書店)の制作当時のメモが残っています。

『ファッションフード、あります。―はやりの食べ物クロニクル1970‐2010』(畑中三応子・著/紀伊國屋書店) 書影
『ファッションフード、あります。―はやりの食べ物クロニクル1970‐2010』

この作品は本来、長年の研究によってまとめられた専門書で、その時間の厚みを受け取ってデザインするとどうしても固い印象になってしまいそうでした。だから、「いや、フードがテーマなんだから、おいしそうな本をつくりたい!」と捉え直して、「じゃあおいしいだけにフォーカスして、お菓子とかやコーン、クレープ紙的なモチーフを付き物に取り入れたり、目次を純喫茶のメニューみたいにしたり……」という感じでプランを組み立てました。

武政:「歴史などは取っ払って、おいしいを目指そう!」と。

佐藤:はい。いま思うとやや飛躍しているのですが(笑)、とにかく若い人にも開かれた本になればという思いでした。

武政:かなり値が張りそうな仕様ですが、出版社はどう了承したんですか。

佐藤:このメモを編集者さんに見せて私のわくわくを伝えたら、「え、やってみたいです!」と言ってくださいました。

このメモで1回、コンセンサスを取っている感じですね。わりとハードな仕様でも「1回通してみましょう!」っていうモチベーションになってもらい、チームを結成するような。

武政:そのメモをはじめ、祖父江さんから受けた影響の大きさを感じます。

仕事の成否を決めるのは「圧倒的行動量」

佐藤:デザインの世界に限らず「手や足を動かしている人にはかなわない」と思っていて。コズフィッシュに入るまで、祖父江さんには秘書とか優秀なアシスタントがいて、何か一言いえば物事がバーッと進む……みたいなのをイメージしていたんですけど(笑)、現実は違いました。祖父江さんは24時間、机にベタ付きで働いていて、誰よりもデザインと向き合っていらっしゃったので、これだけ手を動かしている人にはかなわないなぁと。

考えている量が違うんだなと思いました。例えば、祖父江さんにプレゼンをするとき、私が即席で「こなそう」と思ってつくったプランはすぐ見抜かれてしまう。

武政:動かないと何も発生しませんね。

佐藤:効率を重視する人から「千本ノック? それやってなんの意味ある?」と揶揄されたこともありましたが、なんだかんだいってやはり地道にコツコツやってきた人が良い仕事をしているなと感じます。みなさん負けず嫌いの頑張り屋さんなのだろうなと思います。

武政:いい事務所に入られたんですね。大変だったと思いますが。

佐藤:当時はダンボールを敷いて寝たりしていましたから、なかなかない経験ですけどね(笑)。

(構成:吉原彩乃/編集者、撮影:矢口亨/フォトグラファー、編集:サンマーク出版 SUNMARK WEB編集部)


佐藤亜沙美(さとう・あさみ)
グラフィックデザイナー、ブックデザイナー
1982年福島県生まれ。2006年〜2014年、祖父江慎氏率いるコズフィッシュ在籍。2014年独立、サトウサンカイ設立。『文藝』アートディレクター。最近担当したデザインに令和ロマン・髙比良くるま『漫才過剰考察』、町田康『くるぶし』、綿矢りさ『パッキパキ北京』など。その他、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』などがある。

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