友人の恋愛相談には的確でも自分の話だと冷静さを失う心理の正体
「絶対この人は違う!」と確信して始めた恋愛が、半年後には「やっぱり最悪の相手でした」と後悔してしまう。就職活動で「ここしかない」と思い込んだ会社が、入社してみれば自分に合わない職場だった――。
人生の重大な選択で、判断を見誤ってしまうことがあります。友人・知人が同じような状況に陥った時は「それは違うんじゃない?」とすぐに気づくのに、自分のこととなると途端に冷静さを失ってしまう。
それは私たちの内なる視点が、いかに判断を歪めているかを示しています。自分の信念にとらわれない意思決定には何が必要なのでしょうか。
客観性を追求する
あなたにはずっと親しくしている友人がいて、彼らは恋愛相談をするならあなたしかいないと思っている。ところが、どのマッチングアプリで出会ったらそうなるのか、彼らのデート相手は何だか変わり者ばかり。あなたはこれまで友人が不運を嘆くのを延々と聞かされてきた。
ごくまれに、友人が「奇跡的にまともな人に出会えた」と宣言することがあるものの、その関係はつねにこじれて厄介な終わりを迎え「やっぱりこれまでで最低の人だった。最初はカメレオンみたいにうまく本性を隠していただけ」となる。
そして次に会うと、最新の恋愛事情を披露される。
「ジョーダンのこと覚えてる? ほら中東に派遣されるから別れようって言ってきた人。あれ噓だったの。昨日ジョーダンがスーパーで靴下を買ってるところを見かけちゃって」
「もう恋愛はあきらめた」と彼らは何度もくり返す。「代わりに悪魔払いの祈禱師でも探す。私、絶対呪われてるから」
このような話をしたら、きっと自分はこう思うだろうという項目に〇をつけてみよう。
( )「自分で変な人を選んでいるのでは?」
( )「そのうち運が向いて、いい人に出会える」
( )「変な人を引き寄せる何かがありそう」
( )「とことん恋愛運がない」
( )「そういう関係から何かを得ているってことは?」
( )「魅力的な相手を変人に変える何かがあるんじゃ」
① 自分が相手にこう伝えるだろうと思う項目に〇をつけてみよう。
( )「自分で変な人を選んでいるのでは?」
( )「そのうち運が向いて、いい人に出会えるよ」
( )「変な人を引き寄せる何かがありそう」
( )「とことん恋愛運がないね」
( )「そういう関係から何かを得ているってことは?」
( )「魅力的な相手を変人に変える何かがあなたにあるんじゃ」
② 友人に伝える台詞と心のなかで思ったことが異なる場合、それはなぜだろう?
( )
③ 自分の問題を解決するより他人の問題を解決するほうが得意だろうか?
はい いいえ
答えが「はい」なら、それはなぜか?
( )
あなたが大半の人と同じなら、友人が変な人とばかり付き合うのは、ただの不運だとは考えないだろう。ほとんどの人は、付き合うタイプに(仕事、友人関係などにも)パターンがあれば、そのパターンは単なる不運や偶然、ましてや呪いではないことに気がつくはずだ。
友人に見えていなくてあなたに見えていることは、友人がデートのときに、変人を引き寄せる何らかの行動をとっている可能性が高いということだ。友人もそれに気がつけば、自分で対処できるだろう。
外部の第三者として、あなたには「友人」の立場がはっきりと見えている。しかしいざ、自分が内部の人間として問題に対処しようと思うと、その目は曇ってしまう。他者について明確に見えていることも、自分のこととなるとむずかしい。これが、自分のことより他人の問題を解決することが得意だと感じる理由である。
自分が中心にいると、人は周りがよく見えなくなる。
内の視点と外の視点
ここまでで(願わくは水晶玉をのぞきこんだかのように)明らかになったのは、あなたの信念が優れた意思決定の妨げになっているということだ。意思決定の過程で入力する情報ががらくたであれば、そのプロセスの質がどれほど高くても関係ない。
その情報とはあなたの信念であり、そこには多くのがらくたが潜んでいる。
ショック・テストでは、自分の知らないことを認識するのはむずかしいことがわかった。自分の考えが不正確なとき、それを見極めるのが苦手な私たちは、自分の知識を過信している。
その理由のひとつは、外部から自分の考えを眺めるのがきわめて困難だからだろう。
自分の知っていることや信じていることの不正確さを見極めることについて言えば、あなたは自分の背中に「私を蹴って(kick me)」という紙を貼りつけているようなものだ。目の前のものしか見えていないあなたには、背中の貼り紙が見えていない。どんなにすばやく回転しても背中は見えないし、誰かに背中を蹴られつづけていらいらしても、蹴られる理由はわからない。ほかの人の背中に貼ってある「私を蹴って」サインを目にしていても、だ。
*内の視点
私たちは誰もが、自分の抱く信念の内面から特殊なレンズを通して世界を見ており、感じ方はひとりひとり異なる。自分の頭の外側に出て、他者が同じ状況をどう見ているのかを理解するのは、誰にとってもむずかしい。
もちろん、そうだろう。あなたは自分の経験したことしか経験してきたことがないし、自分が触れてきた情報にしか触れたことがないし、自分の生きてきた人生しか生きたことがない。
あなたはほかの誰でもなく、あなたなのだから。
あなたは内面にとらわれ、そのせいで自分の信念、意見、経験を客観的に見ることが困難になっている。自分の背中にある「私を蹴って」サインが見つけられなくなっているのだ。
内の視点:
あなたの視点、あなたの経験、あなたの信念という内側から見た世界観。
結果主義は、内面問題のいい事例だ。あなたがたまたま目にした結果は、客観的に見ればどんなことも起こりえたという文脈において、結果を見る能力に影を落とす。これはあなたが学ぶ教訓の質にも影響する。異なる結果を経験すれば、異なる教訓を学ぶだろう。異なる結果を経験すれば、結果に先立つ決断の質の評価も変わってくるだろう。
未来の結果に対して、運はとても大きな役割を果たしている。客観的に見て、その結果が起こる可能性が高いか低いかは関係ない。重要なのは、その結果をあなたが経験したということだ。
一般的によく知られる別の認知バイアスもまた、内面問題の一端を担っている。
・確証バイアス──自分の信念を確認、強化する情報を求め、認知し、分析する傾向。
・反証バイアス──確証バイアスの仲間。自分の信念と矛盾する情報に、より批判的な基準を適用する傾向。
・自信過剰──自分のスキル、知能、才能を過信し、判断能力を阻害する性質。
・可用性バイアス──鮮明な記憶やよく見かける出来事を過大評価する傾向。
・直近効果──直近の出来事に影響される傾向。
・コントロールの錯覚──自分の能力を過大評価して出来事をコントロールすること。運の影響を過小評価すること。
「こうしたバイアスはすべて、内面の産物であることがわかるだろう。
確証バイアスは、自分が信じるものを裏づける情報を求めることだ。
反証バイアスは、自分の信念と矛盾する情報を評価する際に、より厳しい目を向けること。自分の意見と一致する情報に対しては「本当かな?」と問うが、一致しない情報に対しては「本当に本当?」という姿勢で臨む。
可用性バイアスは、想起しやすい出来事が可能性の予測を歪めること。
その他のバイアスも同様に、あなたの経験や信念に不相応な比重をかける。
*外の視点
私たちは内の視点で物事を判断する。しかし、外から見るとまったく違う世界が見えることはよくある。自分の認知の歪みに苦しみ、それを認識できていない人と一緒にいると、私たちはこの現象を体験する。それは、いつもおかしな人ばかりを選んでそれに気づかず、直近の恋愛問題を祈禱師に解決してもらおうとしている友人のようなものだ。
外の視点:
あなたの視点とは切り離された、世間一般としての事実。他者があなたの陥っている状況を見る視点。
あなたには彼らの状況がはっきり見えているのに、彼らはまったく気づいていない。あなたには、彼らの背中の「私を蹴って」サインが見えている。
内面の視点にとらわれている人とのそうしたやり取りの記憶は、多くの人が経験していることと思う。類似の事例をすぐに思い出せるなら、当然、あなたも同じことをしているだろう。
自分より他人を客観的に見るのが簡単なのは、自分の状況を推し量ろうと思うと、その信念を守ろうとするからだ。あなたの信念はあなたのアイデンティティを形成している。自分の間違いに気づいたり、信念を疑ったり、悪い結果を認めたりすると、それは単なる不運ではなく、自分の判断ミスということになり、そうなるとアイデンティティが揺るぎかねない。
私たちはアイデンティティを傷つけたくないと思っている。だから自分のこととなると、あなたの信念は運転席に座って、アイデンティティと自分の物語を守る方向へと(私は間抜けじゃない! 間抜けなのはあいつらだ!)ハンドルを切る。
一方、他人の問題を考えるときは、自分の信念と同じように他人のそれを扱うことはないので、同様の状況には陥らない。
すでにおわかりかもしれないが、内面の視点を直すには、自分の経験から離れ、他者の視点や世間一般の真実に対してできるだけ自己開示をすることだ。正しい情報はそうした場所に息づいている。
これが外の視点である。
あなたの直感は内の視点の喜びに従う。勘もそうだ。直感や勘は、あなたが真実であってほしいと思うものに影響される。
外の視点は、そうした影響への解毒剤である。
他者の視点を得ることの価値は、あなたは知らないけれど役に立つかもしれない事実を知っている、あるいは、あなたが知っていると思っている事柄の不正確な部分を正してくれる、というだけではない。たとえあなたと同じ事実をつかんでいても、その事実を別の角度から見る可能性があるという点だ。まったく同じ情報から、まったく別の結論を導き出す可能性があるのだ。
あなたと友人が、友人の恋愛遍歴という同じ事実を前にして、別の感想を持つのと同じである。
他者の異なる視点を受け入れ、そこに自分の視点をぶつけることで、客観的な事実に近づけるようになる。そして客観的な事実に近づくほど、意思決定のプロセスで入りこんでくるがらくたは減り、背中の「私を蹴って」サインを外の視点で見られるようになっていく。
<本稿は『How to Decide 誰もが学べる決断の技法』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
アニー・デューク(Annie Duke)
作家、コーポレートスピーカー、意思決定に関するコンサルタント
米国科学財団(NSF)から奨学金を得てペンシルヴェニア大学で認知心理学を専攻し、修士号取得。認知心理学の知識をもとにプロのポーカープレーヤーとして活躍し、2012年の引退までにポーカーの大会で400万ドル以上の賞金を獲得。共同設立した非営利団体「Alliance for Decision Education」は、意思決定に関する教育を通じて生徒や学生を支援し、彼らの生活を向上させることを使命としている。このほかにも「National Board of After-School All-Stars」のメンバーや、「Franklin Institute」の役員を務め、2020年には「Renew Democracy Initiative」の一員となる。自著『確率思考──不確かな未来から利益を生みだす』(日経BP、2018年)が全米ベストセラーになる。
【訳者】
片桐恵理子(かたぎり・えりこ)
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